日本代表22歳FW中村敬斗、海外挑戦で“完全戦力外”「本当に苦しかった」 乗り越えた大きな壁「這い上がろうと思った」【現地発】
【インタビュー】19年夏にG大阪から海外へ、オランダ・ベルギー時代は「苦しい期間」
オーストリア1部リーグで今季24試合に出場し、13ゴール7アシスト(4月19日時点)の活躍を見せるのがLASKリンツのFW中村敬斗だ。3月シリーズで日本代表デビューを飾った22歳アタッカーの「過去」「現在」「未来」について尋ねるため現地で本人を直撃し、紆余曲折の海外挑戦に迫った。(取材・文=中野吉之伴/全4回の2回目)
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選手にとって海外移籍は簡単ではない。誰でも頭に思い描くものがあるだろう。華々しい未来像がそこにはあるのかもしれない。だが、思っていたイメージと違うことは誰にでも起こり得ることだ。今季オーストリア1部のLASKで出色のパフォーマンスを見せる中村にとってもそうだった。
2019年夏、ガンバ大阪から最初のレンタル先となったオランダ1部トゥウェンテでは開幕節のPSV戦でさっそく出場し、移籍後初ゴールをマークするなど、今後に期待を抱かせる上々のデビューを飾った。しかしシーズン途中からベンチスタートが続き、新型コロナウイルスの影響もあり契約延長に至らず。次なるチャレンジの場としてベルギー1部シント=トロイデンへ渡ったが、大きな壁にぶち当たることになった。
「オランダ、ベルギーでの経験は今に生きてますね。その時はなかなか苦しい期間だった。オランダではある程度、結果を出していたんですけど、特にベルギーでの半年は本当に苦しかった」(中村)
そんな苦い思い出を振り返ってもらうのは忍びないと思っていると、中村は言葉を選びながら当時の心境を語り出した。
「ずっとベンチ外でしたし、しかも(メンバー入りに)かすりもしないベンチ外でした。(ベンチに)入るとか、入らないとか、そんなんじゃないんですよ。監督から完全な戦力外になってしまった。それがきつかったですね。もう練習と練習試合だけみたいになっていましたから」(中村)
オーストリア2部でのプレーを決断「その時は日本には帰るつもりはなかった」
当時中村は19歳。さまざまなチャレンジがダイレクトに自身の血となり肉となる時期だ。だからこそ試合に出続けて、自分の成長と向き合い続けなければならない大事な年代でもある。
「本当にそうです。試合に出られると思って行ったんですけど、開幕戦から2試合は出られたものの、そこからいきなり外されてしまって。もちろん(シント=トロイデンでの)半年を別に無駄にしたとは思っていません。その半年間もやれることは全部やってきましたから。ただ、冬の移籍期間に入った時には『場所を変えたい』と思いました。幸いにも、トゥウェンテでの半年間はスタメンでずっと出て、リーグ戦でも4点は取っていたので、その時のプレーを評価されて、ジュニアーズ(LASKリンツのセカンドチーム相当)が取ってくれたんです」
試合に出たい。その思いは選手なら当然ある。その一方、オランダやベルギーの1部リーグでプレーしていた選手からすると、オーストリア2部リーグはどのように見えていたのか。そこに抵抗はなかったのだろうか。
「LASKリンツというチームは、ヨーロッパリーグとかにも頻繁に出てくるクラブという認識はありましたし、そこのセカンドチームということで、チャンスがあればトップチームへ上がれると聞いていました。だから全然マイナスな考えはなく、もうとにかく試合に出ることしか頭になかった。その時は日本には帰るつもりはなかったので、ヨーロッパで少しリーグが下がってもいいからとにかく試合に出続けて、そこから這い上がるという形を取ろうと思っていましたね」(中村)
蘇ったサッカーの「楽しさ」 オーストリアで抱く野望「日本人が増えてくれたら」
試合出場を渇望していた中村にとって、セカンドチーム相当のジュニアーズでプレーすることはむしろメリットになった。オーストリア2部リーグは、現在の欧州主要リーグ全体を見ても最も平均年齢が低いと言われている。周りには各国の世代別代表選手が集い、そこでプレー経験を積み重ねていく。 「むしろ試合に出やすい環境だなと思ったんです。それこそミスをどんどんしても、別に何か言われる環境じゃない。プレッシャーもないですし、思い切ってサッカーができました。夏から半年もなかったので3か月ぐらいしかなかったんですけど、この3か月はめちゃくちゃ大きかったですね。サッカーの楽しさを思い出させてもらって、サッカーってやっぱりこうだなっていう感じを持つことができて、いい仲間もできた。やっぱりそういういい気持ちになると、調子も上がってくるんですよね」(中村)
ひょっとすると寄り道だったのかもしれない。だが、寄り道が人生においてさまざまなメリットをもたらすことも多い。確かな自分の軸がそこで生まれ、育まれていく。やはり自分で道を切り開くことには大きな意義がある。 中村が笑顔で話す。
「僕が活躍して、ここでもっとステップアップを果たして、オーストリアのリーグ知名度が上がって、ここに来る日本人選手が増えてくれたらいいなと思いながらもやっています」
[プロフィール]
中村敬斗(なかむら・けいと)/2000年7月28日生まれ、千葉県出身。柏イーグルスTOR82―柏U-12―高野山SSS―三菱養和巣鴨Jrユース―三菱養和SCユース―G大阪―トゥウェンテ(オランダ)―シント=トロイデン(ベルギー)―FCジュニアーズ(オーストリア)―LASKリンツ(オーストリア)。J1通算24試合1ゴール。日本代表通算1試合0ゴール。2019年夏に欧州挑戦を決断し、G大阪からオランダのFCトゥウェンテへ移籍。2023年3月シリーズで日本代表に初選出され、同24日のウルグアイ代表戦で後半44分から途中出場し、A代表デビューを飾った。
[著者プロフィール]
中野吉之伴(なかの・きちのすけ)/1977年生まれ。武蔵大学人文学部欧米文化学科卒業後、育成層指導のエキスパートになるためにドイツへ。地域に密着したアマチュアチームで、さまざまなレベルのU-12からU-19チームで監督を歴任。2009年7月にドイツ・サッカー協会公認A級ライセンス取得(UEFA-Aレベル)。SCフライブルクU-15チームで研修を積み、16-17シーズンからドイツU-15・4部リーグ所属FCアウゲンで監督を務める。『ドイツ流タテの突破力』(池田書店)監修、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)執筆。最近はオフシーズンを利用して、日本で「グラスルーツ指導者育成」「保護者や子供のサッカーとの向き合い方」「地域での相互ネットワーク構築」をテーマに、実際に現地に足を運んで精力的に活動している。