「11月16日でした。いまでも覚えています」衝撃的だった“契約満了のお知らせ”…湘南MF小野瀬康介が“事実上の戦力外”から再起するまで
J1リーグの序盤戦で、湘南ベルマーレが存在感を放っている。就任3シーズン目の山口智監督のもとで、クラブのアイデンティティでもある躍動感溢れるサッカーを展開しているのだ。8節終了時点の成績は2勝4分2敗の10位ながら、16得点は首位ヴィッセル神戸に次ぐJ1リーグ2位である。
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大幅な入れ替わりのなかったチームで、貴重な新戦力となっているのが小野瀬康介だ。18年途中から22年までガンバ大阪で主力を務めてきた29歳が、オフに事実上の戦力外通告となる契約満了を言い渡されたのは大きな驚きをもたらしたものだった。キャリアの円熟期に新天地を求めることになった心境から、充実の時間を過ごす現在の胸中を、ストレートに明かしてくれた(全2回の1回目/後編へ)。
「唯一の友だちが智さんでした(笑)」
──開幕戦からスタメンに名を連ね、5節までフル出場を続けてきました。6節も終盤までプレーしました。チームにスムーズにフィットしていますね。
「開幕までは失敗をしながら修正をして、というのを繰り返していました。チームのみんながやっていることに何とか追いつけたというか、ベルマーレのやり方を理解していったかな、と思います」
──山口智監督は、ガンバ大阪所属当時のコーチです。
「智さんはもちろん知っていましたけど、ベルマーレのサッカーはこちらに来てから学んでいきました。できるだけ早く馴染みたかったので色々と聞きましたし、智さんや分析の白石(通史)さんに映像を使ってもらいながら、『ここはこうだよ』と指摘してもらったりしました。そうやって練習試合から、自分のなかで成功体験をつかんでいきました」
──横浜FCからレノファ山口、レノファからガンバ、そしてガンバからベルマーレと、自身3度目の移籍です。チームを変えることはものすごくパワーを使う、と聞きますが。
「そうですね、最初はパワーを注ぎましたし、気も遣ったような気がします(苦笑)。新しい人間関係を築くのは、やっぱりすごくパワーを使いますね」
──小野瀬選手と同じく新加入選手の山下敬大選手とは、レノファでチームメイトでした。以前からの顔馴染みは彼のほかにも?
「敬大と阿部ちゃん(阿部浩之)のふたりかな……。あとは対戦したことはあるけれどほぼ接点はない、という選手ばかりでした。最初から知っていたのはそのふたりと、智さんですね」
──監督を知っているのは大きいですね。
「唯一の友だちが智さんでした(笑)」
山口智監督は「全然絡んで大丈夫な人」
──クラブの公式動画を観ると、キャンプ中から馴染んでいましたね。
「そうですか、そうだと良かったのですが(苦笑)。サッカーはコミュニケーションが大事で、自分のことを知ってもらわないといけない。若い頃は自分からあまり話しかけたりしなかったんですけど、いまは自分が活躍するためにも自分を知ってもらったほうがいいと思っていて。他愛もない会話をしながら、『自分はこういう人間でこういう選手で、こういうことができるよ』ということを知ってもらうようにしています。この選手は絡んでいけるかどうか、というのを嗅ぎ分けるのは得意なので(笑)」
──移籍で磨かれた観察眼でしょうか(笑)。
「言われてみれば、そういう感覚が自然と身についていったのかもしれませんね。まあでも、このクラブはアットホームな雰囲気があって、みんなが声をかけてくれて、すごく温かく迎えてくれたので、かなりスムーズに入れました。チームメイトとスタッフのおかげです」
──ベルマーレの選手としてのお披露目となった1月の新体制発表会では、「チームにどのようなものを還元したいか」と聞かれて、「智さんの扱い方」と答えました。あのひと言で、ファン・サポーターの心もグッとつかみましたね。
「あれぐらい言ってもいい人なんだよ、ということを僕から伝えられたらと思いまして(笑)。全然絡んで大丈夫なんだよ、と。実際にそうするかどうかは、その選手次第ですけどね」
「いまでも覚えています」衝撃的だった“戦力外通告”
──それにしても、昨オフにガンバを契約満了になったことは驚きました。
「そう言っていただくことが多いんですけれど、僕自身もびっくりしたひとりです」
──これまでの経歴を見ると、契約満了はもちろん初めてですよね?
「はい、初めてでした。去年のシーズンが終わって、数日後に契約満了のリリースが出た選手がいて、僕も同じタイミングで出してもらうこともできたのですが、満了は初めてだったので……。恥ずかしいことではないですけど、世間に知られるのはどうなのかなと思って、『ちょっと待ってほしい』とガンバにお願いをしました。でも、移籍先が決まったことが先に発表されると、自分からガンバを出たように見えるかもしれないので、契約満了のリリースは出してもらいました。11月16日でした。いまでも覚えています」
──16日にリリースが出て、25日にはベルマーレへの完全移籍が発表されました。かなり早い印象ですが、オファーが届いてすぐに決めたということだったのでしょうか。
「ベルマーレが興味を持ってくれていることは、去年のシーズン中から代理人を通して聞いていました。そのときはガンバの選手でしたし、チームがJ1残留争いをしていたので、シーズンが終わるまでは試合に集中しました。で、全日程が終了したあとに、正式にオファーをいただきました」
──もう少し待っていれば、もっとたくさんのオファーが来たのでは、とも思いましたが?
「そう……かもしれませんね。僕が満了になると知らなかったクラブが多かったみたいで、ちょっとバタバタしていたというか、ベルマーレのほかにも声をかけてもらいました。でも、早めに決めないと、オファーをしてくれたクラブに迷惑がかかります。僕のなかではベルマーレがいいという感覚があって、一番に声をかけてくれた。それに、智さんの存在は大きかった。ベルマーレで新たにチャレンジしよう、という気持ちになりました」
──山口監督とも話をして?
「大阪まで会いに来てくれて、ふたりで話をしました」
「振り返ってみたら、ちょっと燻っていました」
──クラブを変えてさらに成長したい、という思いが強かったのでしょうか。
「そうですね、それはありました。やっぱり、クビになったあとなので、自分を欲してもらっているのは響きました。求められている場所があって、そこでプレーできるのはホントに幸せなことですし」
──チームを変えるのはステップアップと同時にチャレンジであり、リスクとの背中合わせでもある。それを恐れなかったからこそ、ここまでキャリアを積み上げることができたのでしょうね。
「レノファからガンバへ行った1、2年目は、貪欲でしたし、チャレンジをしていました。でも、ガンバへ移籍したことで地位とか色々なものが自分のなかで築けて、それを守るじゃないですけれど、振り返ってみたら3年目からはチャレンジせずに終わっていたというか……。ちょっと燻ぶっていました」
──1年目は途中加入で3得点3アシスト。2年目は7得点4アシスト。この2年目の成績が、ガンバでのキャリアハイということになりました。
「3年目からは、うまくいかないことのほうが多かったんです。最初の2年とあとの3年では、僕のなかで意味合いが違う。数字という結果がついてこなかったので。何かを変えなきゃいけない、というところもありました」
──ガンバはJ1でタイトルを狙うべきビッグクラブです。そうしたクラブの一員としてプレーする充実感がありつつも、環境を変える必要性も感じていた、と?
「そういうクラブでプレーできて、しかも試合に出続けることができた。それはもう、自分にとっての財産です。色々な意味で濃い5年間でした」
「また爪痕を残したい。小野瀬康介はここにいる、と」
──ベルマーレへの移籍を決断するにあたって、過去2度の移籍の経験が生かされたところはありましたか?
「横浜FCのユースからトップへ昇格して5年間、試合には出ているけれどプロとしての充実感とか結果を出している感じがなかったんですね。これは環境を変えるのもひとつの選択肢だなと考えていたところで、レノファからオファーをいただきました。そこは迷わず決めました……いや、でも、初めての移籍だったので、ちょっと悩んだかなあ」
──レノファからガンバへの移籍は?
「レノファの霜田(正浩)監督は、クラブとしてJ1昇格を目指しているけれど、他クラブからオファーがあればチャレンジしていいと、選手みんなに言ってくれていました。結果を残すことができましたし、自信をつけさせてもらいました」
──レノファ在籍2年目に霜田監督が就任し、小野瀬選手は前半戦だけで10ゴールをマークしました。
「結果的に夏までの半年しか霜田さんのもとでプレーしていないんですが、試合へ向けた準備などを学びました。横浜FCでももちろん意識していましたが、より細かいところまで気にするようになりました。『体脂肪が高いのは重りをつけているようなものだぞ。少ないほうが動けるに決まっているだろう』と言ってもらったり。あのときはサッカーが楽しかったです」
──小野瀬選手とオナイウ阿道選手らが繰り出す攻撃は、J2にセンセーションを巻き起こしました。前半戦を2位で折り返しましたね。
「チームとしてイケイケでしたし。ここからもう一度這い上がるじゃないですけど、そういう気持ちを強く持つことができました。霜田さんと出会っていなかったら、僕はガンバへ移籍できなかったと思います」
──ガンバへの移籍はシーズン途中でしたが、迷うことはなく?
「7月25日の熊本戦へ向かうバス移動中に、代理人から連絡が来て、即決で『行きます』と伝えました。クラブも快く送り出してくれました。当時25歳でしたし、あとがない年齢だったので、どうしても上でやりたいと思っていて。貪欲でしたね、かなり」
──その貪欲さが、ベルマーレへの移籍で再び沸き上がっている、と。
「そうですね、ここからまたもう一度爪痕を残すというか。小野瀬康介はここにいるぞというのを、J1リーグで見せられたらと思っています」