明神智和が語る日本サッカーの進歩。「異常」な状態にあった20年前から世界のスタンダードに到達した
日韓W杯20周年×スポルティーバ20周年企画「日本サッカーの過去・現在、そして未来」明神智和インタビュー(3)
【画像】「浪速の黒豹」パトリック・エムボマ。今でも記憶に残っている日本人選手とは?
(1)はこちら>> (2)はこちら>> 日韓共催の2002年ワールドカップから、はや20年が経過した。
「そりゃ、歳とるよなあと思って」
そう言って笑う明神智和は、当時24歳。最後のトルコ戦を含めて3試合に先発フル出場した気鋭のMFも、今年1月で44歳となった。
20年前のトルコ戦で着用したユニフォームは、その後、当時の所属クラブである柏レイソルに寄贈され、「日立台(ホームスタジアム)の入り口のところに飾ってもらっていました」。そして、自身が「最も印象深い」というロシア戦で着用したものは、「たぶん、実家にあると思うんですけど……」とのことだが、20年も前のことゆえ定かではない。
現在、ガンバ大阪のユースチームでコーチを務めている明神にとっては、教え子たちが高校生であることもまた、時代の変化を否応なく実感させる。
「彼らは(2002年には)まだ生まれていないですからね。あっという間に20年経ったなって思います」
20年という歳月は、日本のサッカー事情も大きく様変わりさせた。
2002年ワールドカップ当時の日本代表メンバーを見ると、全23人中、海外組はわずかに4人。だが、その勢力は徐々に拡大し、現在では、海外組と国内組の比率が完全に逆転するまでになった。
「そこが、日本のサッカーの一番進歩したところだと思います。当時はまだ、海外でプレーする選手が数人。でも今は、国内でプレーしている選手が代表に入るほうが少ないですからね。代表選手一人ひとりが日常的にヨーロッパのレベルでプレーしていて、それ以外にもたくさんの選手がヨーロッパにいる。これこそが確実に日本が成長している証拠だと思います」
だがその一方で、チーム作りに時間がかけられなくなっているのも確かだろう。20年前は、しばしば国内で代表候補キャンプが行なわれていたものだが、現在は練習のためのキャンプなど考えられず、公式戦であってもヨーロッパ組が試合前日にバタバタと合流。そんな事態も珍しくなくなった。
「それこそ20年前であれば、日本からヨーロッパ遠征に行っていたのが、今はもうヨーロッパにいる選手が現地で集まるだけ。時代の違いは、ものすごく感じます。
その分、ひとつのチームをしっかり作るっていう部分では、難しいところはあると思います。でも、それがもう世界のスタンダード。むしろ20年前は、日本がまだまだ世界に追いついていなくて、”異常”な状態だったんだと思います」
ワールドカップ出場当時は柏に所属し、その後、G大阪、名古屋グランパス、長野パルセイロと国内クラブを渡り歩いた明神。自分も海外でプレーしてみたかった――。そんな思いはないのだろうかと尋ねてみると、「いやもう、全然(苦笑)」。即座に答えは返ってきた。
「もちろん、漠然と『一回くらいはやってみたかったな』っていうくらいは思ったりもしますけど、自分にはその決意も、勇気も、チャンスも、実力も、すべてがなかったので。ただ、ヨーロッパのトップクラブの練習や試合の雰囲気がどういうものかっていうのは、いくら人に話を聞いて、ああ、そうなんだってわかった気になっても、本当のところは肌で感じないとわからないことだと思うので。そこはなんか、うらやましいなとは思いますけどね(笑)」
コーチという立場で日々接している高校生たちも、自分が10代だった頃とは、まるで異なる意識でサッカーをしていると感じている。
「今は見るものが違いますからね。映像もたくさん見られますし、みんなもっぱら海外サッカー。本当に詳しいですよ。だから、将来の夢も、プロになる、代表に入る、海外でプレーする、っていう3つがセットになっている。僕らの頃では、そんなふうに思えなかったですから」
“初の2カ国共催”で行なわれたワールドカップから20年となる節目の今年、”初の冬季”ワールドカップが開かれる。
「ヨーロッパのシーズンの最中に行なわれるので、選手たちがいいコンディションで臨めるっていうことと、あとは空調完備とか、最新のスタジアムで試合が行なわれる。そういうなかでの試合が見られるのは楽しみです」
とはいえ、明神が最も楽しみにしているのは、言うまでもなく、日本代表の戦いだ。
「やはり、日本のことが一番気になります。それはもう単に応援ですけど(笑)。アジア予選では最初ちょっと苦労したように見えても、自分たちでしっかりキップをつかみましたからね。日本がどれくらいやれるのか。もうそこしか見ていない、と言ってもいいくらいです」
過去に優勝経験を持つドイツ、スペインと同じグループに入ったことも、一層大会への関心を高めてくれているという。
「これがワールドカップの本当のグループリーグというか、強豪が2カ国も入ったことで厳しいとは思いますけど、(開催国の恩恵があった)20年前の組み合わせのほうが、それこそ”異常”だったと思うし。日本がベスト8を目指すためには、こういうグループを勝ち上がらなければいけない。それはワールドカップでは普通の状態なんだと思います」
世界のスタンダードから見れば、日本サッカーがまだまだ”異常”だった時代から20年。明神は大いなる期待を込め、新時代の日本代表へエールを送る。
「もちろん、普通にやったらドイツやスペインが勝つ確率のほうが高いのかもしれないですけど、何が起こるかわからないのがサッカーなので、やってみなければわからない。十分チャンスはあると思っています」
(おわり)
明神智和(みょうじん・ともかず)1978年1月24日生まれ。兵庫県出身。1996年、柏レイソルユースからトップチーム入り。長年、主将としてチームを引っ張る。その後、2006年にガンバ大阪へ移籍。数々のタイトル獲得に貢献した。一方、世代別の代表でも活躍し、1997年ワールドユース(ベスト8)、2000年シドニー五輪(ベスト8)に出場。A代表でも2002年日韓W杯で奮闘した。国際Aマッチ出場26試合、3得点。現在はガンバユースのコーチを務める。