堂安律「スカウトに1秒で“お断り”」「俺は日本代表になるんや」兄が語るビッグマウスの原点とは?「本田圭佑との“SNSでの一件”」じつはあった伏線
ブラジルとの決勝トーナメント1回戦でキーマンとなるのがMF堂安律だ。今大会は攻撃だけでなく守備面でも日本代表を支え、無敗でのグループステージ突破に大きく貢献した。そんな「背番号10」の原点と人間像を3歳上の兄、堂安憂(ゆう)さんの証言から掘り下げた。(全3回の2回目)◆◆◆
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「ご両親が子どもたちに伝えていた、堂安家のルールみたいなものはありましたか?」
そう問いかけると、堂安律の3つ年長の兄・憂(ゆう)さんは少年時代の記憶を掘り起こした。「具体的に何かっていうと難しいですけど、強く記憶に残っているのは、“卑怯なことだけはするな”ってことですかね。1対1で誰かと揉めるぶんには構わない。年上の人に向かっていくのもいい。でも、何人かで立場の弱い人を責めるようなことは、絶対に許さないと。好き勝手に生きるのはいいけど、“カッコ悪いことはするな”って厳しさはある家だったと思います」
本田圭佑へのリプライ「日本代表のことでしょうか?」
憂さんの話を聞いて、すぐに思い浮かんだエピソードがある。2022年6月15日、本田圭佑の「なあ。サッカーやるなら上目指せよ。」というSNSの投稿に、律が「日本代表のことでしょうか?」と強めのパスのようなリプライを送った一件だ。
前日の6月14日、日本代表はチュニジアに0対3の完敗を喫していた。それも、律にとってガンバ大阪時代のホームであり、代表デビューを飾った舞台でもあるパナソニックスタジアム吹田で。誰よりも負けず嫌いな男が、忸怩たる思いを抱いていたことは想像に難くない。
本田が「愚問です。日本代表はW杯優勝目指してる集団でしょうから。昨日の試合も(カンボジアの国旗)代表の試合と重なって観れてないです。どうでしたか?」(原文ママ)と返信すると、律はこう応じた。
「やはりそうですよね。たとえ試合を90分観ていたとしても本田さんは同じように感じたかも知れません。だからといってW杯優勝の夢は変わりません。11月楽しみにしていてください。」(原文ママ)
「本人はビッグマウスのつもりはなくて…」
本田圭佑と堂安律――どこか似通った属性を持つふたりの“公開討論”にファンやメディアは色めき立ったが、禍根は残らなかった。むしろ、その後の両者の発言を見るかぎりでは、互いへのリスペクトを強くした印象さえある。
SNSでのやりとりから約半年後、24歳の律はカタールW杯でドイツ、スペインからゴールを決め、16強進出の立役者となった。24歳の本田が南アフリカW杯で決めた、ふたつのゴールをなぞるかのように。
結果が伴わなければビッグマウスと捉えられるこうした言動も、堂安律という人間を形成する重要なパーソナリティのひとつなのだろう。身近で接してきた憂さんは、幼少期から変わらないその気質に苦笑いを浮かべる。
「やっぱり母が一番心配しますよね。黙っておけばいいのに、って。でも“それが律やしな”ってところもあるんです。本人は別にビッグマウスのつもりもなくて、思ったことを口にしているだけ。そうやって言葉にすることで、高い目標を現実にしてきたわけですから。もちろん家族としては心配もありますけど(笑)」
弟のすごさを認めた“ある出来事”
小田南公園で憂さんとの1対1に負け続け、悔しさを噛みしめていた小学生のころから、律は「俺は日本代表になるんや」と繰り返していた。そんな弟に比べて「現実主義者だった」という憂さんは、本気でプロになりたいとまでは思っていなかった。のちに自身も大学を経てJ3のAC長野パルセイロに入団したが、大志を抱き続けた弟とは熱量の差があったと明かす。
「やっぱ夢を持つことは大事やなって。いい意味で痛感しました。今はスクールの子どもたちにも“どんな夢でも、持っとかないと叶わないよ”って伝えますね。自分と律は性格も考え方も全然違うんですけど、だからこそたぶん、素直に尊敬できるんだと思います」
憂さんが明確に弟のすごさを認めた時期がある。小学4年時にセレッソ大阪アカデミーのセレクションで落選した律は、兵庫県内の強豪である西宮SSに入団すると同時に、ある決意を固めた。「セレッソのジュニアユースからオファーをもらって、1秒で断ってやる」と。
C大阪のスカウトに即答「行きません」
挫折を糧に、律は西宮SSでスキルを磨いた。ナショナルトレセンで名を馳せ、中学進学時には複数のJクラブのジュニアユースからオファーが届くほどの選手になっていた。そして、母が同席する場でセレッソ大阪のスカウトから声をかけられた瞬間に、「行きません」と即答したという。
「本当に1秒で断ったみたいです。普通は持ち帰って考えるところなんで、母は気まずくて“もうやめて”って感じだったと聞きました(笑)。兄としても、そんなんよう言えるな、と思いましたよ。こいつ、すごいやんって」
その後、ガンバ大阪のジュニアユースに入団しても、律は決して「一番の選手」ではなかった。関西全域から世代を代表する逸材が集まっていたからだ。2歳上には後の日本代表・井手口陽介がいた。技術的に上をいく選手は何人もいる。両親は当初、息子が試合に出場できるとさえ思っていなかったという。
「母も父も、その段階ではまだ律がプロになれると期待していたわけではなかった。母なんて“この子が入っても絶対ベンチやろな”って言ってました(笑)。親だからこそ、逆に控えめになっていたのかもしれません」
「メンタルに関しては誰よりも強かった」
では、なぜ他の誰でもなく、堂安律が突出した存在になれたのか。憂さんは「なんですかね……」と少しだけ間をおいて、兄としての見解を述べた。
「結局、技術ではないところなんですよね。もちろん技術も高いですよ。でも、僕はやっぱりメンタルだと思う。メンタルに関しては律が誰よりも強かった。それは間違いないと思います」
メンタル。発話者や文脈によって異なるニュアンスを帯びる言葉だ。その曖昧な手ざわりをもうすこし明確にしなければ、堂安律の「わかるようでわからない正体」を探ることはできない。日本代表の10番を背負うまでに至ったプレーヤーのメンタルはどんな強さを持ち、何に由来するものなのだろうか。 <続く>



