「泣くまでボコボコにされた」堂安律の意外な少年時代「あれほどワガママな子は…」ヤンチャ少年の運命を変えたキーマンに聞く「サッカーに救われた人生」
ブラジルとの決勝トーナメント1回戦でキーマンとなるのがMF堂安律だ。今大会は攻撃だけでなく守備面でも日本代表を支え、無敗でのグループステージ突破に大きく貢献した。そんな「背番号10」の原点と人間像を3歳上の兄、堂安憂(ゆう)さんの証言から掘り下げた。(全3回の1回目)◆◆◆
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10番は走る。10番は体を張る。「泥臭い」と形容しても差し支えないほどの献身性を、北中米W杯の堂安律は示している。名波浩や中村俊輔、香川真司といった「日本代表の10番」がまとっていた華麗なイメージを、あえて遠ざけるかのように。
試合を決める能力で歴代の10番に劣っているわけではない。言わずもがな、2022年のカタールW杯ではドイツとスペインを相手にゴールを決めている。ここまで代表通算68試合に出場して11ゴール。直近のスウェーデン戦では、見事なダイレクトパスで前田大然のゴールをアシストした。
技術の高さは十分に証明されている。だがそれ以上に、今回のW杯では守備面での粘り強さを感じさせる場面がことさら多い。
エゴイスト? 献身的? 堂安律とは…
大会期間中には「勝たせる選手が10番」「自分のゴールよりもチームが勝つこと」「W杯はエゴを出す大会じゃない」といった言葉もメディアの前で口にした。理由は明かされなかったものの、スウェーデン戦の交代後に怒りをあらわにしていたことも、チームへの思い入れの強さゆえと考えれば得心がいく。
同時に、いくつかの疑問が浮かぶ。堂安律とは、そもそも強気な発言で知られたプレーヤーではなかったか。自らの個をここまで抑制し、フォア・ザ・チームの重要性を訴えかけ、プレーでそれを体現するようなキャラクターだと、果たしてどれほどのファンが認識していただろうか。流行りの漫画のように「エゴイスト」とは言わないまでも、必要に応じてセルフィッシュになることは、サッカー選手としてのキャリアを豊かにすることと不可分でもある。
ときに感情をストレートに表現しながらも、調和や献身を是とする価値観を持つ。場合によっては、持ち前の得点力や技術の高さが後景に退くほどのハードワークさえいとわない。わかるようでわからない堂安律とは、いったいどんな人間なのか。
「サッカーに救われた人生」
そんな疑問をぶつけるのにうってつけの人物がいる。3歳年長の兄、堂安憂さんだ。J3のAC長野パルセイロなどでプレーし、2020年かぎりで現役を退いた。現在は地元の兵庫県尼崎市でサッカースクール「NEXT10 FOOTBALL LAB」を運営している。
「僕と律は、サッカーに救われた人生だったと思います。ふたりともヤンチャというか、好き勝手なことをする子どもだったので。母にもよく言われるんですよ。歯止めがきいたのは、サッカーがあったからやって」
長男の麿(まろ)さん、5つ離れた次男の憂さん、そして末っ子の律による堂安三兄弟は、全員が少年時代からサッカーに打ち込んだ。コミュニケーションの中心には常にサッカーがあった。年の離れた長兄・麿さんから憂さんが影響を受け、次いで律が憂さんの背中を追った。律の著書『俺しかいない』(集英社)には、「3つ上の憂が俺のアイドルだった」と兄に挑みつづけた日々の記憶が率直に綴られている。《小さいころは毎日、近所の公園で一緒にサッカーをして、泣くまでボコボコにされた。兄貴にはどうやっても勝てなかったけど、俺は根っからの負けず嫌いだから、何度も何度もこりずに勝負を挑んだ。》堂安律『俺しかいない』(集英社)より
原点は兄との“公園サッカー”
憂さんの証言も、この記述を裏付ける。
「小学生のころはほぼ毎日、朝か夕方に2人で1対1をやってましたね。大物駅の近くの小田南公園にコーンを置いて、簡単なゴールを作って。今は阪神タイガースの二軍施設(ゼロカーボンベースボールパーク)になっちゃいましたけど。泣くまでボコボコにした?
たしかにそうかも(笑)。帰り道ではよくケンカしてました」
憂さん自身、セレッソ大阪のアカデミーに進むほどの実力者だ。そのうえ3歳違いとなると、小学生の律に勝ち目はなかった。
「そのころから、律は今と変わらないくらい負けず嫌いでした。とにかく勝つまでやめない。1対1で僕が負けることはほぼないんですけど、たまにガチャガチャって抜かれることがあるじゃないですか。10回に1回もないです。30回、40回やって1回とか。それを『今日は俺が勝った』って言い張るんですよ」
ワガママ、でも“ちゃっかり”の末っ子気質
少年サッカーの指導者でもある憂さんは、「あれほどワガママな子には出会ったことないですね。大人になって、ちょっとは成長しましたけど」と笑った。それでいて、末っ子ならではの立ち回りのうまさも体得していたという。
「いつも好き勝手やってるのに、両親が怒りそうになると素直に引き下がるんです。意外と空気が読めるタイプというか、“これ以上はやばいな”って察知する(笑)。たぶん僕のほうが怒られてきたと思います。そういうとこ、律はちゃっかりしてるんですよ」
律はガンバ大阪のジュニアユースからユース、トップチームへと進み、10代のうちに海外移籍を果たした。字面だけでキャリアを追うと英才教育を施されていたようにも思えるが、三兄弟を育てあげた両親が子どもたちに求めていたのは、サッカーエリートとして成功することではなかったという。堂安家のルールと教育方針は、より普遍的で、地に足のついたものだった。 <続く>



