「正直、メンバーは凄かった」稲本潤一が忘れ難き“サンドニの惨敗”とドイツW杯の「最強」代表…でも現代表には「普通に負けるでしょ(笑)」

2024年12月、スパイクを脱いだ「最後の黄金世代」稲本潤一。日本サッカー界に大きな影響を与え、あらゆるサッカーファンの心に残り続けるだろう大功労者が、波乱万丈のサッカー人生を引退後初めて語った。黄金世代、日本代表、家族の支え……秘話満載、NumberWebでしか読めない独占インタビュー!〈全3回の2回目/3回目につづく

2000年2月にカールスバーグカップのメキシコ戦で代表デビューを飾って以来、稲本潤一は現役引退までに代表戦82試合に出場し、5ゴールを挙げている。多くの国際Aマッチの中で、一番印象に残っているのはどの試合になるだろうか。

「0‐5で負けたサンドニの試合ですね」

稲本は苦笑いを浮かべて、そう言った。

世界王者に惨敗

これは2001年3月、前年にアジアカップで優勝した日本代表が、フィリップ・トルシエ監督の母国フランスに乗り込み、フランス代表と戦った試合だ。サンドニのスタッド・ド・フランスは超満員になり、日本代表もベストメンバーを揃えた。しかし、雨交じりでピッチが田んぼ状態になる中、日本の選手はまともにプレーできず、5点を奪われて大敗した。98年フランスW杯で優勝した世界王者の強さを見せつけられた試合だった。

「アジアカップ優勝で勢いに乗ったチームで、ヒデ(中田英寿)さんも合流して、W杯優勝チームと戦えるんで、めちゃくちゃ楽しみにしていました。しかも、海外移籍を実現するために日本の代理人が欧州の代理人をたくさんスタジアムに呼んでくれていたので、気合が入っていたんです。

でも、ドロドロのピッチの中、こてんぱんにやられた。ジダンを始め、フランスはあのピッチの中でも滑らないでボールコントロールできていたけど、俺らはみんな滑りまくって何もできなかった。衝撃的というか、めちゃショックでしたね。これで海外移籍もなくなった。世界王者とは何もかも違う。その差を痛烈に感じさせられた試合だった」

通夜のようだったミックスゾーン

この試合で、稲本ら日本の選手は、世界と十分戦えると思ったことがいかに甘い幻想だったのかを実感し、落胆した。ミックスゾーンは通夜のように静かで、選手たちは世界との差を淡々と語っていた。

「ジダンとか、次元が違うなと思った。ボールを奪うことに関してはかなり自信があったけど、まったく獲れないし、触ることもできなかった。こういう選手に近づいていくためには、日本にいてはあかんと改めて思いました」

この試合で多くの教訓を得た日本は、その後、スペインを始め海外の強国と強化試合をこなして02年のW杯に繋げていった。稲本自身もアーセナルFCへの移籍を実現した。“サンドニの惨敗”は、02年日韓W杯に向けてチームも稲本自身もリスタートになった転換点的な試合だったと言える。

最も印象に残るW杯は……

では、一番印象に残っているW杯は、どの大会になるのだろうか。

「2006年、ドイツW杯です」

稲本は即答した。

意外な答えだった。

稲本と言えば、2002年日韓W杯の活躍がすぐに思い浮かぶ。戸田和幸とボランチを組み、機を見て前に駆け上がって攻撃参加し、フィニッシュに絡んだ。ベルギー戦では2点目のゴールをたたき込み、日本を勢いづかせた。日本史上初のW杯勝ち点は、稲本のゴールによってもたらされたといっても過言ではない。また、ロシア戦では決勝ゴールを決め、W杯初勝利、日本のグループリーグ突破に貢献した。ワンダーボーイと言われ、世界中に認知された。稲本を語る上で象徴的な大会といえばこの2002年ではないのか。

「史上最強」と言われて臨んだ大会

「2002年は活躍できたし、世界中の多くの人に名前を知ってもらった。自分のプレーを出すことだけに集中できて、楽しい大会だった。ただ、俺らの世代はそんなにいなくて、シドニー五輪からの流れでいえば、もっと入って一緒にプレーしたかったというのがあったんです。ドイツの時はそれが実現できて、俺らの世代が8名もいた。俺らがやらなダメでしょ、という中でW杯に臨んだんですけど……」

ドイツW杯での日本代表は、日韓大会ベスト16の結果を出した選手たちがベースになり、黄金世代の選手も多数入って「史上最強」と称された。そのため、前回のベスト16以上の成績も可能ではないかと、ファンの期待は大きく膨らんだ。

しかし、初戦のオーストラリア戦に逆転負けを喫すると、クロアチア戦はスコアレスドロー、ブラジル戦は4‐1で敗れた。日本は、1勝もできずにグループリーグ敗退という惨憺たる結果に終わった。

今思い返しても衝撃的なW杯だった

「今、思い返しても衝撃的なW杯だったと思います。そうなったのは、やはり初戦の逆転負けが大きかった。絶対に勝たないといけない相手にやられて、いきなり追いつめられてしまった。その結果、自分の我というか、試合に出たいという欲が出て、みんなバラバラになってしまった。2点しか取れんかったし、ひとつも勝てなかった。自分もクロアチア戦とブラジル戦に出たけど、何も結果を残せなかった」

黄金世代に加えて中田英、中村俊輔、宮本恒靖、柳沢敦、川口能活ら実力者が揃ったチームだっただけに、この結果は日本のサッカー界はもちろん、サッカーファンにも大きな衝撃を与えた。

「ドイツW杯で惨敗したことで、日本サッカーあかんやんって思われたと思うけど、正直なところメンバーはすごかった。時代が違ったら、ほぼ全員、海外でプレーできるぐらいの力をみんな持っていたと思う。それでもうまくいかないのがサッカーの難しいところだと思うし、改めてW杯で勝つことの難しさを感じた大会だった」

最後のW杯、南ア大会

その後、イビチャ・オシムが監督に就任すると、それまで代表の中心にいた黄金世代の名前は徐々に消えていった。逆にドイツW杯で1試合もピッチに立てなかった遠藤保仁が、オシム、そして岡田武史監督の代表チームの主力になっていった。

稲本は……最後に、南アフリカW杯を戦う代表に選出された。

「この時は、試合に出ることよりもチームを勝たせることとか、ドイツW杯のような失敗をしないようにという意識のほうが強かった。いい選手がいくらいても、ドイツの時のようになったら試合には勝てない。

岡田さんからはとくに何も言われていなかったけど、チームを盛り上げていく仕事を求められている、というのはわかっていた。それが苦にならなかったのは、30歳になって尖ったもんがなくなったのもあるけど、ドイツから4年という時間を経て、日本代表を広い視野で見られるようになったからだと思う」

ドイツがあって南アで結果が出た

川口とともにチームを支える立場になった稲本は、カメルーン戦とデンマーク戦で数分の出場に終わったが、チームはベスト16にまで進出した。

「南アフリカで結果が出たのは良かったと思います。でも、それはドイツがあったからだと思うんです。惨敗で終わったけど、そこからいろんな反省と教訓が得られた。それが南アフリカだけではなく、今の時代にも繋がってきている。そういう意味では日本サッカー界の歴史に“ドイツの惨敗”はあって良かったんじゃないかなと思います」

現代表と06年代表もし戦わば

ドイツW杯の日本代表は確かにメンバーだけを見ると、まさにその時代における強者揃いだった。そのチームがまとまり、今の森保一監督が指揮する日本代表と対戦したら、果たしてどうなるだろうか。

「いや、普通に負けるでしょ」

稲本は、そう言って笑った。

「森保さんは、3バックと4バックをうまく使い分けているけど、今の選手はそれをしっかりとこなせているし、それは個人戦術とかサッカーIQが相当高いからだと思うんです。俺も、若い頃にもっともっと考えてサッカーしていたらどこまで行けたかなと思うけど、当時は自分の個人能力でカバーし切れていたからね。でも、ヤット(遠藤保仁)や(中村)俊輔は、考えてやっていたからあそこまで成長したのかなと思う」

またファンタジスタの時代がくるかも

選手のタイプも当時とはかなり異なる。06年にはいなかったタイプの選手が、今のチームには多数いるという。

「ドイツW杯の時のチームには、今の代表のようにサイドからあそこまで仕掛けるタイプはほとんどいなくて、たぶんアレックス(三都主アレサンドロ)ぐらいだったと思う。でも、今は三笘(薫)、伊東(純也)、堂安(律)、中村(敬斗)がいて、みんな、ひとりでサイドから仕掛けていけるし、そういう選手が増えている。

その分、俺らの時にいたファンタジスタがいなくなっているけどね。ただ、サッカーはある一定の周期で回っているので、また数年後にはファンタジスタですごい選手が出てくるかもしれない。それは、楽しみですね」

〈全3回の2回目/つづきを読む

https://number.bunshun.jp/

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