リオ五輪OA招集も痛恨オウンゴール 藤春広輝から落ち込む若手へ「あれ以上の経験はない、大丈夫やで」

パリ五輪に向けた連載「Messages for Paris」(毎週火曜日更新)の第3回は、16年リオ五輪のサッカー日本代表にオーバーエージ(OA)として参加したJ3琉球の元日本代表DF藤春広輝(35)。1次リーグ第2戦のコロンビア戦(2△2)で痛恨のオウンゴールを喫し、批判にさらされ、チームは1次リーグで敗退。当時の経験を振り返り、後悔の念、そして日の丸を背負って五輪の舞台に立つ重みを語った。次回は、世界を驚かせた日本の技として、バレー女子日本代表の「回転レシーブ」に焦点を当てる。(取材・構成 金川誉)

あの時の記憶は、心の奥底で癒えない傷として残っている。

「今では、本当に何かがないと思い出さないというか…。でも、周りに言われたりすると、思い出しますね。あと安室奈美恵さんの曲が流れてくると、めっちゃ思い出しそうになるんです。だから自分では、あまり思い出さないようにはしています」

NHKのリオ五輪テーマソング「Hero」を聴くと、その傷は今でもうずくという。

第1戦のナイジェリア戦に敗れ、迎えた第2戦・コロンビア戦。1点を先制され、もう失点は許されない後半20分だった。相手シュートを味方GKがはじいたボールが、藤春の足元へ飛んだ。周囲に敵はいなかった。いつもなら、難なく処理できるはずだった。しかし、意思に反し、右足に当たったボールはゴールへ。痛恨のオウンゴール。その後チームは2点を返して2―2の引き分けに持ち込んだが、勝ち点3は逃した。第3戦のスウェーデン戦はベンチで出場なし。チームは1―0と勝利も、1勝1分け1敗で1次L敗退。結果的に第2戦の結果が決定打となった。

当時27歳。G大阪不動のレギュラー、Jリーグ屈指の左サイドバック(SB)で、A代表にも選出されていた。リオ五輪ではOAにA代表の主力を派遣しないという、日本代表・ハリルホジッチ監督の方針もあり、国内で結果を出していた藤春、DF塩谷=広島=、FW興梠=浦和=が選出された。

「(U―23の選手と)合わせる時間も少なかったですし、何とか他の選手の特徴をつかまないといけないと思って、練習からどんどんしゃべりかけるようにはしました。もともと、そういうタイプではなかったんですけど。あの時は必死で」

G大阪では与えられたタスクを黙々とこなす“職人型”で、リーダーの役割を担うタイプではなかった。しかし、この時は、OAとしての役割を必死にこなそうともがいていた。

帰国後には心ない批判にもさらされた。Jリーグ復帰戦では、相手サポーターからブーイングも浴びた。体が変調を来したのはその翌日だ。プールでの回復トレーニング前に、おう吐を繰り返した。その際、背中をさすってくれたのが、当時の長谷川健太監督(現名古屋監督)。

「健太さんには、おまえ背負いすぎじゃないか、って言ってもらって。それもあって、ちょっとだけ気持ち的に楽になったのかな。だから健太さんや、支えてくれた人たちにはすごく感謝しています」

傷ついた自分をサポートしてくれた人々への思いは大きい。

OAとしてチームの力になれなかったことに対し、後悔の念はある。ただ真っ先に思い浮かぶのは、オウンゴールの瞬間ではない。

「(第1戦)ナイジェリア戦のハーフタイムですね」

初戦は前半13分までにお互いが2点ずつ取り合う展開となった中で、チームは前半42分に3失点目を喫した。勝ち越されて戻ってきたロッカールーム。暗く沈んだムードが選手たちを覆う中で、行動を起こすことができなかった。

「やっぱり若い選手は、落ち込んでいたと思います。その時にリーダーシップを取れたかといえば、そこまでじゃなかった。もっと積極的にやればよかった。僕は黙々とやるタイプだったんですけど、それは後悔しています。うまくいっていない時に、自分たち(OA組)がもっとできたことがあったんじゃないか、とすごく思います。雰囲気的に、何かを変えなければいけなかった、と」

不安を抱えて迎えた後半の立ち上がり、日本はさらに2失点。結局4―5で初戦を落とした。

当時は大会後、周囲からの批判に耳を閉ざし、目を背けることで自らを守った。しかし、この経験をきっかけに、変わった面もあった。

「自分がやってしまったことに対して、世間から言われる、注目されることはやっぱり日の丸を背負って戦うことの大事さなんだな、と思うようになった。もうあれ以上の(つらい)経験はない、と思うようになった。あとは落ち込んでいる後輩に対して、言えるようになったかな。おれはあんな経験したけど今大丈夫やから、おまえも大丈夫やで、って」

藤春は変わっていった。元来ひとりを好む性格だったが、G大阪では外国人選手らも含めてコミュニケーションをとる機会が格段に増え、チームを支える存在に。練習への取り組み方など、若手の模範となった。そして昨季限りで13年過ごしたG大阪を退団する際には、長く共にプレーした仲間だけではなく、若手たちもその別れを涙で惜しむような存在となった。

今年のパリ五輪、出場権を獲得すれば、OAが議論となることは間違いない。藤春は言う。

「一人は(ロンドン、東京五輪にOAとして出場した)吉田麻也選手のような引っ張るタイプが必要なのかな。でも、若い選手がどう思っているのかも重要。バランスは難しい。引き締める時も必要ですし、引き締めすぎて周りの若い選手がのびのびできなくなってもダメ。まずはU―23の選手がいかに気持ちよくプレーできるかが重要だとは思う」

次世代の日本代表を担う選手たちの力を、最大限発揮させる人選がメダルへのカギとなると予想し、パリでの躍進を期待していた。

こんな人 13年前の2011年、G大阪加入当時の藤春は、正直頼りなかった。デビュー戦で緊張から腹痛を起こしていた姿には、「プロとして生き残っていけるのか…」と心配した。しかし、抜群のスピードを武器に日に日に成長。ピッチを離れると同僚と関わる姿が少なく、リーダーとしての振る舞いも求められる30代以降の姿はイメージできなかった。

転機は本人が「あの経験がなかったら、今でも若い頃のままだったかも」と語るリオ五輪だ。柔らかいキャラを生かした経験豊富な“お兄ちゃん”に。定位置を争ったDF黒川圭介にも「ギスギスするのは嫌」と、積極的に助言した。昨季の退団時は、黒川ら彼に関わった誰もが別れを惜しんだ。

今季は琉球に移籍し、ここまでJ3全試合にフル出場。24日にはルヴァン杯1次ラウンド2回戦でG大阪と対戦する。藤春が熱望していた古巣戦の実現は、彼が歩んできたキャリアに対する一つのご褒美だと感じる。(11~16、18~23年G大阪担当・金川 誉)

◆藤春 広輝(ふじはる・ひろき)1988年11月28日、大阪・東大阪市生まれ。35歳。東海大仰星高―大体大を経て2011年にG大阪に入団。15年3月に日本代表初選出。昨季限りでG大阪を退団し、今季よりJ3琉球へ完全移籍。J1通算271試合出場8得点。J2通算42試合4得点。175センチ、60キロ。

https://hochi.news/

Share Button