あまりに不遇…。日本代表に縁がなさすぎる選手(5)求められていない? 日本屈指の司令塔はわずか出場4分
日本代表は、日本で最高のサッカー選手たちが集まる舞台であることは言うまでもない。しかし、代表監督の戦術や好み、選手本人の負傷など、さまざまな理由から呼ばれなかったトップ選手も数多くいる。今回は、Jリーグで見事な活躍をしながらも、日本代表とは縁遠かった選手をピックアップして紹介する。
MF:二川孝広
生年月日:1980年6月27日
日本代表通算成績:1試合0得点
ガンバ大阪の下部組織で育った二川孝広は、1999年にトップ昇格を果たし、プロ2年目の2000シーズンから出場機会を増やしていった。次第にチームの主力に成長し、2003シーズンからは背番号10を付けて活躍。2014シーズンの3冠達成など、ガンバ大阪の成功に多大な貢献をした。
卓越したパスセンスで、遠藤保仁とともにガンバ大阪の攻撃を司った二川は、ファンタジーあふれるプレーで観客を魅了したが、日本代表でのプレーは2006年のキリンチャレンジカップ・ガーナ代表戦の1試合のみだった。それも、試合終了間際の4分間のみのプレーで、アピールする時間はわずかだった。
Jリーグで屈指のMFだった二川が代表と縁遠かった理由としては、競争の激しさが一番に挙げられるだろう。2007年アジアカップのメンバーには、遠藤、中村俊輔、中村憲剛といった選手に加えて、羽生直剛、水野晃樹、山岸智といったジェフユナイテッド千葉のオシムチルドレンが呼ばれていた。ハードワークを惜しまない、いわゆる「水を運ぶ人」が必要とされていたチームに、ファンタジスタタイプの二川は求められなかったと言えそうだ。
攻撃的MFは国外で活躍する選手も多く、日本代表で激戦区のポジションで、オシム監督体制のあとも二川には声が掛からなかった。