「遠藤保仁がすべてを変えるって思った」――。中村憲剛が今も忘れられない衝撃の試合

◆目標は兄。「目の前にいいお手本がいた」

3兄弟の末っ子として生まれた遠藤。6歳上の長男・拓哉さん、4歳上の次男・彰弘さんとともに鹿児島で幼少期を過ごした。

遠藤:「小学生の時は毎日兄貴とボールを蹴っていたので、兄貴を超えるのが目標でしたね。(兄がJリーガーになった時点で)完璧に『Jリーガーになる』という感じだった」

兄の背中を追いかけ、同じサッカーの強豪校・鹿児島実業へ進学。1年生にして全国高校サッカー選手権の優勝に貢献。年代別の日本代表にも選出される。

そして1998年、鳴り物入りで横浜フリューゲルスに入団した。

◆「俺フリューゲルスが好きだったのよ」

◆「遠藤保仁がすべてを変える」衝撃の初対戦

中央大学在学中、当時J2の川崎フロンターレに練習生として参加。それを機に2003年に入団した中村。

視野の広さと素早い判断力から繰り出すパスを武器に、ルーキーイヤーからほぼ全試合に出場し、頭角を現していった。

プロ2年目にはJ2で優勝を経験。遠藤と初めて対戦したのは…。

中村:「2005年の4月3日。アウェーのガンバ戦。この1週間前に当時のナビスコカップでホームでガンバと戦ったんですよ。ヤットさんはA代表で居なくて、3対3だったんです。いけるなあと思って、万博に意気揚々と乗り込んでいったんです。

それで、メンバー表を見たら遠藤保仁がいる。初めての対戦でした。僕は前年にボランチにコンバートされて、意気揚々とJ2を駆け上がって『いけるぞ』と思っていたのに、ものの見事にやられた。ヤットさんは覚えてないと思うんですけど、僕はそのインパクトが今も強すぎて」

中村にとって忘れられない試合となったのは、記念すべきJ1初出場のゲーム。

ガンバ大阪は序盤から遠藤を中心に主導権を握った。前半6分、遠藤が自陣でボールを奪うと、そこからカウンターにつなげ、最後は大黒将志がゴール。遠藤の守備から貴重な先制点が生まれた。

その後、川崎もジュニーニョがゴールを決めるなど一進一退のなか、2対2の同点で迎えた後半44分、遠藤はフリーキックで決勝点をアシスト。攻守にわたって存在感を発揮した。

一方、中村は相手ディフェンスの素早いプレッシャーにボールを奪われ、自分らしいプレーをまったくさせてもらえなかった。

遠藤:「全然覚えてない」

中村:「でしょうね(笑)。そう思いますよ。僕はインパクト強すぎて」

遠藤:「俺ら勝った?」

中村:「勝ちましたよ。3対2でした。だけど、もう全然先週やったガンバじゃなかったんですよ。遠藤保仁がすべてを変えるって思った。自分が2004年、J2を優勝した時に培ったものを全部ぶつけたんですけど、全然ぶつからなかった。ぶつけてもらえる余地もなかったんです」

遠藤:「全然覚えてないわ」

中村:「大丈夫です。僕がよく覚えてる。だから終わった時に負けたんですけど、悔しさよりもこんな人いるんだという喜びのほうが強かった」

◆「ものすごく悔しかった」

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