浦和OB福田正博氏、不遇の94年に結婚式「主賓の川淵さんが…」 Jリーグ30周年トークショー
浦和は14日、ホーム・埼玉スタジアムでG大阪と対戦する。Jリーグ30周年記念マッチと題した一戦を前に、浦和OBの福田正博氏(56)とG大阪OBの本並健治氏(58)によるイベント「レジェンドトークマッチ」がスタジアムの南広場で行われた。
この日は、93年5月16日のJリーグ開幕節(万博)と同カード。30年前はG大阪が前半29分に左CKからMF和田昌裕がゴールを決め、浦和を1―0で破った。同試合にともに先発出場していた福田氏、本並氏が当時を語った。
福田氏は「注目されていたし、すごい盛り上がりだった」。本並氏は「いよいよ始まるんだなという感じでしたね。下馬評ではレッズが強かったけど、アクシデントで柱谷(幸一)さんがケガして交代したのが大きかった」と振り返った。
89年に日本サッカーリーグ2部の三菱重工サッカー部に加入した福田氏。プロ契約した当時について「三菱重工をやめる時、部長さんに呼ばれて『どうしてこんなに安定した大きな会社をやめるんだ?』と言われた。プロは不安定だし、Jリーグがどうなるか分からない時代だった。人生の中で一番の決断だった」と明かした。
浦和は93年が10位・10位、94年は12位・11位。Jリーグ創生期は下位に低迷する不遇の時代が続いた。
福田氏は「全然勝てなかった。水色のユニホームは1回も勝てなかった」。94年3月には敵地・名古屋戦に2―7で惨敗した翌日に結婚式を挙げ、Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏が主賓でスピーチしたという。「いきなり説教でした。『レッズの関係者がいるけど、とにかく私を安心させてくれ。どうにか勝ってくれ』と言われた。なかなか主賓が言わないですよ」と笑わせた。
この日の浦和―G大阪戦を生中継したDAZNで解説を務めた。チームの好調を支えるボランチの伊藤敦樹を称賛。「伊藤はいい。夏に(移籍で)いなくならなきゃいいけどね(笑い)。スケールが大きい。一番の魅力は点が取れること。ボックスの中に入っていけるのは絶対に必要で、海外に評価されるのは点数。違約金をチームに残して出て行けるのなら、出て行くのも1つだと思う」と力説した。
浦和は今月6日、アジア・チャンピオンズリーグで史上最多3度目の優勝。次の目標は、06年を最後に遠ざかっているJ1制覇だ。
福田氏は「シーズン序盤にACL王者になったのは初めて。アジア王者として自分たちが受けなきゃいけない立場でずっとリーグを戦っていかなきゃいけない。チャレンジャーとしてやれれば非常に力を出せる戦い方を今年はしているけど、他のチームはアジア王者に対して向かってくる。それを上回って結果を残していかなきゃいけない。そういう戦い方で優勝できたら。今後が楽しみ」と期待を寄せた。