【Jリーグ30周年】遠藤保仁の美学…J1最多672戦出場「Jリーグで成長」伊ジェノアなど海外オファー快諾せず

Jリーグは15日、開幕30周年を迎える。その歩みを支えてきた人々の連載企画・第4弾として、最多出場記録を持つJ2ジュビロ磐田の元日本代表MF遠藤保仁(43)がインタビューに応じた。日本代表としても歴代最多152試合も世界と戦う中で「Jリーグで成長できる」という思いとともに、国内一筋のキャリアを貫いてきた日本屈指の司令塔。誰よりも長くピッチの上で感じてきたJの歴史と、未来への思いについて聞いた。(取材・構成=金川 誉)

Jリーグに憧れた少年は、43歳となった今も、そのピッチに立ち続けている。中学2年生の93年にJリーグが発足。プロサッカー選手という漠然とした夢が、目標に変わった瞬間だった。

「開幕戦の記憶はすごく残っています。ヴェルディマリノス戦。お客さまがいっぱいでセレモニーもあって、Jリーグってなんかすごい、格好いいなという思いが一番。さらに、兄貴がJリーガー(遠藤彰弘、94年に横浜M入り)になったことで、はっきりと目標になりました。当時の憧れは、ヴェルディのカズさん、ラモスさん、ビスマルクとか。マネしてましたもん。砂場でオーバーヘッドの練習したり。昔の方がテクニック重視で、局面で見たら楽しい時代でしたね」

98年に横浜フリューゲルス(横浜F)でプロ入り。当時、チームメートに感じた衝撃は、今でも強く残っているという。

「プロの世界は違いました。(日本代表MF)山口モト(素弘)さんとか、強度の部分など全然かなわなかった。本当にうまくて、ボールを取れない。(ブラジル代表MF)サンパイオには、どこから足が出てくるの?って感じたり。その中でもパスだったり、自分の長所では譲りたくない、とは思っていました」

その後、横浜Fの消滅により99年に京都、01年にはG大阪へ移籍し、キャリアを重ねていく。日本代表にも選出される中で、Jにあっても常に外国籍選手の基準を意識してきた。

「1年目、フリューゲルスに(ロシア代表FW)レディアコフという選手がいましたけど、本当にすごかった。懐が深くてボールが取れない。シュートのパンチ力もすごかった。僕は判断スピードなどには自信があったので、Jリーグが年々フィジカル志向が強くなっていく中で、外国人選手のパワー、スピードに刺激を受けてきました。(東京V、浦和で活躍した元ブラジル代表FW)ワシントンの腕の強さ。中盤なら(名古屋などでプレーした元コロンビア代表MF)ダニルソン。世界では彼らのパワーが普通。逃げているようでは、上ではやれないと」

G大阪では数々のタイトルを獲得し、日本代表としても152試合の歴代最多出場を誇る。数多くの選手が海外挑戦する中で、J一筋のキャリアを積んできた。海外移籍の希望はあった。しかし、なぜ行かなかったのか、という理由には美学があった。

「スタイルの違い。ほとんどそれが理由です。ずっと守備をするようなチームでは、楽しくなさそうだなと。一番移籍に近づいたのは、(イタリア・セリエAの)ジェノア。ポルトガル代表の選手か僕か、どっちかを獲得する、という状況になった。当時(2010年)は30歳。チャレンジしても面白いかな、と思いながらも、(守備的なスタイルのチームが多いイタリア移籍は)う~ん、という感じでした」

結果、ジェノアはポルトガル代表選手を獲得し、移籍は実現せず。その後も中東クラブなどから何度も声がかかったという。

「ほぼ即決で断っていましたね。今見れば、超魅力的なオファーでしたけどね。もちろん海外に行ってもまれた方が、成長が早いのかもしれない。でも、Jリーグでも成長できますし、どこにいてもサッカーはサッカーなので。自分次第でしょ。僕はJリーグでプレーして、W杯にも3回出させてもらった。もちろん他の(攻撃的な)クラブからオファーがくれば、と思うことはありました。行っていたら違う世界が見えていたかもしれませんけど、後悔することは一切ないですね」

今季も磐田でここまで全試合に出場し、Jを舞台に走り続ける。そんなレジェンドは、若手が次々と海外移籍する今のJリーグをどう見ているのか。さらにJリーグが発展するために、今必要だと思っていることを聞いた。

「今は若い選手が海外に行くのは当然の流れ。魅力ある選手が(海外に)引っ張られるわけなので、もっとその数を増やさないといけない。一番いい方法ですか? 全員の給料を上げること。それを世界レベルまで上げれば、みんなが日本いいやん、となる。メキシコは国内リーグの年俸が高くて、(代表レベルの選手が国外に)出て行く必要もない、という時代もありました。それでリーグのレベルが上がり、お客さんが増えて、サッカー専用のスタジアムが増えて、と自然になるのかな、とは思う。でも簡単にはいかない。少しでもいいので、右肩上がりにお客さんが増えて、組織が多くなって成長していければ。時間をかけて大きくしていくしか、手はないと思います」

◆取材後記  失礼ながら聞いてみた。「Jリーグ、飽きないですか?」。今季がプロ26年目。練習、試合の日々に、モチベーションが落ちることはないのか。すると「飽きないっすね。対戦相手に飽きたことはあります。また同じ顔やな、と。でも、試合すれば楽しい。同じ相手でも、同じ試合にはならない。うまくいくことも、いかないことも」と返ってきた。

さらに「この年になれば、必死こいてやるのが楽しいんですよ。43歳、いつ外されてもおかしくない。プロ1年目みたいな感覚。息子と同い年ぐらいの選手と一緒にボールを追いかけ、冗談言い合ってやるのも楽しい。以前とは違う楽しさですね」とも。どんな場所でも、成長できるか、楽しみを見つけられるかは自分次第。長くG大阪、日本代表で1学年上の“遠藤さん”を取材してきたが、年を重ねて、また違う味がするような…。約2年半ぶりの取材は、やはり楽しかった。(G大阪担当・金川 誉)

◆日本代表国際Aマッチ通算出場5傑 最多はMF遠藤保仁(磐田)の152試合。DF長友佑都(FC東京)の142試合が2位。DF吉田麻也(シャルケ)の126試合が3位。4位は横浜Mや磐田、浦和と国内一筋だったDF井原正巳の122試合。119試合のFW岡崎慎司が5位となっている。

◆遠藤 保仁(えんどう・やすひと)1980年1月28日、鹿児島県生まれ。43歳。3兄弟の三男としてサッカーを始める。鹿児島実高を経て98年に横浜F入団。京都を経て2001年からG大阪。05年リーグ初優勝、08年ACL初優勝、14年3冠などに貢献。09年アジア年間最優秀選手賞。14年JリーグMVP。ベストイレブン12回は歴代最多。3度のW杯に出場し、国際Aマッチ出場152試合は歴代最多。20年10月に磐田へ期限付き移籍し、22年に完全移籍。178センチ、75キロ。家族は妻と4子。愛称はヤット。

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