速さは史上最強クラスも、Jリーグで“大成できなかった”スピードスターといえば〈dot.〉

 高校選手権を制したスピードスターと言えば、松橋章太だ。1982年8月3日生まれ。中学時代は陸上部と掛け持ちで、200メートルで全国3位、100メートルで全国5位に入ったという俊足の持ち主。国見高では同学年の大久保嘉人とホットラインを築き、2000年度に高校三冠を達成。当時、裏に抜けた松橋を止められる高校生はいなかった。だが、鳴物入りで入団した大分では、多大な期待と重圧の中でシュート精度の低さが目立ち、プロ5年目までリーグ戦63試合に出場して1得点のみ。ようやく2006年に高松大樹との2トップを組んでリーグ戦10得点と結果を残したが、その年がキャリアハイ。2008年から神戸、熊本、長崎でプレーし、J1出場通算97試合14得点の記録を残して31歳で現役引退。J1最多のリーグ戦191得点の元相棒・大久保とは大きく差をつけられるプロ人生となった。

平山相太、家長昭博、本田圭佑らを擁した2005年のワールドユース(現U-20W杯)出場のチームには、苔口卓也というスピード自慢の快足FWがいた。1985年7月13日生まれ。玉野光南高時代からU-18日本代表に選出され、C大阪入団1年目から21試合に出場して期待を集めた。だが、松橋同様にFWとしては得点能力が足りず、今で言う「サッカーIQ」の低さも指摘され、プロ3年間でリーグ戦53試合に出場して2得点のみ。北京五輪代表を目指した反町ジャパンでも次第に招集外となっていった。その後、2010年から在籍した富山では中心選手として活躍を続け、2013年にはリーグ戦自己最多11得点をマーク。だが、舞台はJ2(2015年からはJ3)だった。J1通算62試合2得点、J2通算187試合38得点、J3通算124試合23得点という数字を残して2019年に現役を退いた。

同じ世代にはもう一人、同じくスピード自慢の水野晃樹がいる。1985年9月6日生まれ。清水商業高卒業後に千葉に入団。当時のオシム監督に抜擢されてトップチームでの出場機会を与えられ、前述の2005年のワールドユースでは得点&アシストを記録。その後も“オシムチルドレン”の一人として、俊足を生かしたドリブルと精度の高い右足キックを武器に活躍し、2007年にはA代表に選出されて計4試合に出場した。だが、2008年1月に移籍したセルティックで出番を得られず、膝の怪我、2度の手術もあって在籍2年半で公式戦出場12試合1得点のみ。2010年6月に柏に移籍してJ復帰を果たしたが、その後も相次ぐ故障に見舞われて「スピードスター」としてのトップフォームを取り戻せず。それでも37歳となった今季もJ3盛岡でプレーを続けていることは、彼のサッカーに対する情熱と真摯さを物語っていると言えるだろう。

さらに、水野同様まだ現役だが、J史上最速クラスの俊足を持つ永井謙佑(名古屋)は、ロンドン五輪で4位躍進に貢献してJリーグでも長く活躍を続けているが、岡野雅行と同じく「大成したか」と問われると疑問符が付く。そして、その爆発的なスピードを武器に高校卒業後に海を渡り、2012年に19歳でA代表デビューを飾った宮市亮(横浜FM)は、間違いなく「日本の未来を担う逸材」であり、「世界に通用するスピードスター」だったが、度重なる故障でキャリアが停滞。2021年にJ復帰を果たした後、2022年7月に10年ぶりのA代表選出が話題となったが、そのピッチ上で右膝前十字靭帯断裂の大怪我を負う不運。すでに30歳となり、ここから「大成する」というのは現実的ではない。

カタールW杯の日本代表には、伊東純也前田大然、浅野拓磨などの「スピードスター」が多くいた。そして現在のJリーグにも、細谷真大(柏)、藤井智也(鹿島)、横山歩夢(鳥栖)といったスピード自慢のアタッカーたちがいる。世界のサッカーの潮流を見ても、単純な足の速さ、スピードを備えた上で、技術、戦術に優れた選手が多くなっている。今後、「新しい景色」を見るためには、日本にも伊東純也に続く「大成したスピードスター」の出現が大いに求められている。(文・三和直樹)

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