堂安律20歳が“4カ月ノーゴール”に苦悩した日々「香川真司くんのような長くトップレベルの選手は違った」「甘いコースにしか…」
〈背番号7を託された欧州挑戦2年目の苦悩。「このまま俺は終わってしまうんじゃないか……」〉
欧州挑戦2年目のシーズンは苦しかった。背番号7を託された俺は絶対的な中心として、フローニンゲンの攻撃を一手に担ったが、とにかくゴールから見放されたシーズンだった。PK失敗だけでなく、シュートがバーやポストに嫌われるシーンが何度もあった。チームも第10節までわずか1勝にとどまり、最下位に沈むこともあった。あのときは正直苦しかったけど、「この経験は絶対に無駄じゃない」と自分に言い聞かせながらやっていた。
「今ほどチームのド中心としてプレーできることはそうない」「20歳でこの厳しい状況を経験できているのはラッキーだ」と、この状況が少しでも自分を成長させてくれるだろうとポジティブにとらえていた。中心選手になったからといって、結果が出ないチーム状況を深刻に考えすぎると、自分のプレーはできない。プロである以上、チームが勝つことがいちばんだけど、海外に来てから持ち続けている「個人の活躍がいちばん。それがチームのためにもなる」という考え方を変えてしまってはダメだと思っていた。
人間はやっぱり危機感がなくなると成長できない
アジア杯が終わってからはメディアに調子が悪いと言われていたけど、「そんなことない。全然いいだろ」と現実を受け入れることを拒否し、勘違いしている自分がいた。ちょうど1年前は、フローニンゲンで結果を出さないとガンバに逆戻りになってしまうという崖っぷちの状況だった。その後、日本代表にも招集されるようになり、常に緊張感を持って取り組まないといけない環境が続いたからこそ、なんとかやれていたんだと思う。
でも、日本代表にもコンスタントに呼ばれていれば、自分では気がつかないうちに慣れも出てくる。オランダ国内での評価もそれなりに上がり、移籍のウワサがいくつも飛び交っていたから、「冬にステップアップできるだろう」と甘く考えていた。人間はやっぱり危機感がなくなると成長できないということを痛感した。
そういうことにようやく気づいたのは、2019年3月30日の第27節AZ戦だった。ドリブル、パス、シュート、なにをやってもうまくいかない。言い訳のしようもないほど、シーズンワーストのパフォーマンスだった。試合後には「このまま俺は終わってしまうんじゃないか……」と、怒り、あせり、危機感がつのった。サッカーではなにをしてもうまくいかない時期は必ずある。できることをすべてやって点がとれないなら、しょうがない。でも、俺は本当にすべてやり切っているのか――。
AZ戦は自分と向き合い、「目を覚ませ!」と怒鳴りつけるいいきっかけになった。「アジア杯の反省はなんだったんだ!」と自問自答した。高い意識でやってきたつもりだったけど、なにかを劇的に変えたわけじゃなかった。フローニンゲンの中心選手で満足するなら、別にこのままでもいい。でも、俺の目標はそこじゃない。もっと高みを目指すべく、もう一度、すべての行動をサッカーに向けていく決意を固めた。
香川真司くんのように長くトップにいる選手は…
これまで以上にサッカーを突きつめて考えるようになった。試合後、リカバリーだけの予定だったのにサブ組の練習に混じってシュート練習したり、オフでジムに1時間行くところをピッチ練習に変えたり、トレーニングの質や強度を意識的に高めた。ただ、練習量を増やすのは限界があるし、これまでも100%でやってきたという自信があった。
アジア杯のあとに日本に置き忘れてしまい、しばらくサッカーノートを書いていなかった。久しぶりに読み返したら、1年前にどれだけ高い意識でやっていたかがわかった。「この1年間、意識を高く持ってやってきたからこそ、ここまで来れたんだ」と自信になったし、頭がクリアになった。ハングリーな気持ちを取り戻せた。
サッカーノートには、自分に話しかけるように、「調子に乗るな」「もっと謙虚に」など、思ったことを正直に書き留めている。3月の日本代表活動であらためて感じたのは、みんな技術は高いし、その差はほんの少しだということ。でも、それぞれ結果が違うのはなぜかといえば、やっぱりメンタルの違い。香川真司くんのように長くトップレベルでやっている選手たちは、1回のトレーニングにしても、1回の食事にしても、すべての行動がピッチに向いていると実感させられた。
なかなかゴールを決められなくても、ピッチのなかでうまくなっている感覚はあったし、いつか運がめぐってくると思っていた。ただ、それを待っているだけではしょうがない。自分からつかみにいく必要があった。のどが渇いたときにジュースじゃなくて水にするとか、寝る時間を少し早めるとか、日々のちょっとした行動で少し先の未来が変わっていくと信じていた。
“とにかく点をとったらOK”と考えていたはずが
〈4か月も無得点。ゴールに取り憑かれ、運がめぐってこなかった〉
アジア杯が終わってから、4か月近くも点がとれなかった。ここまでゴールから遠ざかったのは生まれて初めてだった。
調子はむしろ、ずっとよかった。監督を含めて、得点以外のプレーを評価してくれる人もいた。でも攻撃の起点になってチームの勝利に貢献したからいいとは、まったく思わない。逆に調子が最悪でも、とにかく点をとったらOK。結果がすべて。海外に行ってから、そういう考え方に変わった。
日本にいるときはアシストにも美学を感じていたけど、まったく魅力を感じなくなっていた。どんなにいいプレーをしていても、ラスト10分で代えられて、途中から出た選手が後半ロスタイムにゴールを決めたら、そいつが次の試合に出る。そういう世界でやっていたら、内容がよかったなんて言っていられない。海外に行って現実を思い知らされた。俺が目指しているのは、ピッチにいる22人のなかでいちばん輝いている選手だから。
得点を意識するあまり、丁寧に蹴ろうと
やっぱりゴールがいちばん評価されるし、単純にいちばん目立つ。「アタッカーとして生き残るためにはゴールしかない。それで周りを黙らせるしかないんだ」という意識が強かった。アジア杯で結果を出せなかったことで、そこからはゴールを決めたいという野心ばかりが大きくなりすぎてしまった。「もっと貪欲に点をとらないと」という気持ちが強すぎて、数的有利な状況でも、フリーの味方にパスを出さない場面が何度もあった。ゴールに取り憑かれて頭でっかちになり、心と体のバランスが崩れていた。
空回りした気合はプレーにあらわれる。シュートを打つときに肩に力が入ってしまい、ボールをインパクトし切れない。GKと1対1になってもゴールの隅を狙えず、置きにいって甘いコースにしか蹴けることができない。得点を意識するあまり、丁寧に蹴ろうと無意識に体が反応してしまい、消極的になってしまっていたんだと思う。
海外に行ったばかりのころはもっと気楽に構えて、「チームのためにがんばろう」という意識が強くあった。ゴールに対する執着心はあっていいと思うけど、それに固執しすぎると自滅してしまうのだ。
やっぱり楽して決めようとしても、結局、ダメ
フローニンゲン2年目のシーズン終盤はもう開き直っていた。「どれだけチームメイトがミスしてもポジティブに鼓舞して、俺が引っ張ってやろう」という意識でがむしゃらにプレーした。
その成果が出たのが、2019年5月12日の第33節フォルトゥナ・シッタート戦での会心のミドルシュートだった。打った瞬間に、「おっ!」と思ったのは初めてかもしれない。パンチ力、一発の振りは誰にも負けない自信がもともとあったけど、「サッカー選手としての俺の強みはやっぱりこれなんだ」とあらためて感じさせてくれるゴールだった。
この4か月はゴールのことばかり考えて、守備をサボることもあった。でも、やっぱり楽して決めようとしても、結局、ダメ。みんなが守備をしているときに、「ラッキー。カウンターに備えておこう」と前線に残っても、なぜかボールは転がってこない。しっかり守備に戻って、カウンターで必死に走るからこそ、おいしいところで運がめぐってくるんだと思う。
そこを突きつめなければ欧州で生き残れない
海外挑戦2年目は学びが多かった。日本代表での活動も加わってタフなシーズンだったけど、言い訳するつもりはない。ゴール前の最後の部分で踏ん張れず、ペナルティーエリア内での質が落ちた。それまでの1年半くらいは、「調子が悪くても、シュートを打ったら入る」という感覚をずっと持っていた。
組み立てがうまいとか攻撃の起点になれることも大事だけど、それ以上にゴール前での質が求められる時代だからこそ、そこを突きつめなければヨーロッパで生き残っていけない。そういうことを思い知らされた1年でもあった。