「内心、腐っていた。試合後にカップ麺を食べたり…」堂安律が後悔する“甘すぎな17~18歳の暗黒時代”「敵は自分なんだ、と今になって」
カタールW杯で2ゴールを奪う活躍を見せた堂安律。豪胆さを感じさせる24歳だが、彼のパーソナリティは中学~高校時の若き日にどう形作られ、そしてヨーロッパ挑戦当初にどんな挫折を味わったのか?
書籍『俺しかいない』(集英社)より一部転載します(全3回の2回目/#3へ)
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〈世界を意識したスペイン遠征。「7年後の東京五輪でエースとして日本を優勝させる」〉
俺がヨーロッパでプレーしたいと思うきっかけになったのは、そのスペイン遠征だった。中2、中3、高1と毎年のようにスペイン遠征に行って、現地でレアル・マドリードやバルセロナ、エスパニョールと本気の試合をした。
当時は俺たち日本人のほうが技術は高くて、ヨーロッパの強豪にもほとんど勝っていた。俺は中3のとき、大会のMVPにも選ばれた。でも、その大会の得点王は韓国のイ・スンウ。当時から注目されていた同い年の選手で、俺はものすごくライバル意識を持っていた。
彼の目の前でゴールを決められたことは、ジュニアユース時代でいちばんうれしい出来事だったかもしれない。まあ、その後、やり返されてしまうんだけど。
彼らは中2、中3だけど、すでに契約の世界で生きている
スペイン遠征中にコーディネーターの人から、「彼らは中2、中3だけど、すでに契約の世界で生きている。給料をもらっている選手もいれば、学校に行くことを免除されている選手もいる」という話を聞かされ、衝撃を受けた。今でも鮮明に覚えている。
まだまだ両親に育ててもらっている感覚の強かった当時の俺からしたら、ものすごく違和感があった。自分の力だけで生きていくことへの憧れや嫉妬。「俺も早く海外に行って、彼らを超こえていきたい」と思った。
でも、海外のレベルがものすごく高いとは思わなかった。まったく歯が立たないという経験は一度もしたことがなかったし、実際に俺たちはレアルやバルサにも勝っていたから。「このままそういう相手に勝ち続けていったら、将来はとんでもない日本人選手になれるんじゃないか」という思いのほうが強かった。
当時から俺は将来のことをリアルに考えていた。2017年のU-20W杯で活躍して海外へ行くのが、目指すべき理想のルートだと思っていた。そのためにはこれから3~4年、どのように実力を磨いていけばいいか。そうやって逆算していた。
中3の9月には、東京五輪の開催が決まった。運命だと思った。「7年後の東京五輪でエースとして日本を優勝させる」という夢ができた。ガンバ大阪のトップチームで活躍しない限り、その先の海外挑戦もないことはわかっていた。立ち止まってなんかいられなかった。
敬輔くんや宇佐美くんといった先輩にかわいがられた
〈暗黒のU-23時代。「サッカー選手として成り上がる」という覚悟が足りなかった〉
ジュニアユースからユースに上がった2014年は、ガンバが3冠を達成した歴史的なシーズンだった。
2015年、年明けすぐに行われたトップチームの沖縄キャンプでケガ人が続出し、「ユースから誰か呼ぼう」という話になった。ほかにもいい選手がたくさんいたのに、なぜか俺に声がかかった。ユースに上がったばかりの当時、ジュニアユースで磨いたドリブルにキレが出てきて、調子がものすごくよかったからかもしれない。
実際、オフ明けで調整中のプロの選手を相手に、コンディションの仕上がっていた俺はキレキレだった。(岩下)敬輔くんや宇佐美くんといった先輩たちからかわいがられて、憧れの選手のブログに写真を載せてもらえたことがすごくうれしかった。
俺のサッカー人生のなかでもいちばんの暗黒時代
キャンプでのパフォーマンスを評価してもらえて、2015年にはトップチームの試合に出させてもらった。16歳352日でクラブ史上最年少となるJリーグデビューを飾れたけど、順風満帆だったわけじゃない。ここからプロの大きな壁にぶつかることになる。
2016年には、このシーズンから新しく設立されたガンバ大阪U-23で試合に出ることが多くなった。攻撃面は評価してもらっていたけど、守備がまったく機能していなかったから、監督の(長谷川)健太さんになかなか使ってもらえなかった。
あのころは、俺のサッカー人生のなかでもいちばんの暗黒時代だったと思う。ピッチに立ったら一生懸命やるから、周りにはそう思われていなかったけど、内心、腐っていた。ときにはそれが態度に出てしまった。
当時、U-23の監督だったノリさん(実好礼忠)に「おまえら、帰れ」と言われ、「いいすか」と反発して、本当に帰ったこともあった。17歳、18歳とはいえ、プロとして甘すぎたことが多かった。
自分自身のメンタルコントロールがまったくできていなくて、仲間に対するリスペクトもなかった。公式戦で無意識に舌打ちをして、ノリさんにこっぴどく叱られたこともあった。それからは一度もしていないけど、その当時はあまりにも心のバランスが取れていなかった。
「ちゃんとやらなあかんぞ。健太さんにチクるぞ」
U-23時代には、人数がそろわず、4人、5人で練習した日もあったし、リフティングをひたすらやらされる日もあった。トップチームに上がれず、フラストレーションを溜める若い選手ばかりで、ノリさんも大変だったと思う。ノリさんはやさしくて、近い距離感でグチも言えるような指導者だった。俺の状態を見極めて、「ちゃんとやらなあかんぞ。健太さんにチクるぞ」と言ってくれたりするノリさんのキャラクターに、当時の俺は救われていた。
プロだから技術的なことはあまり言われなかったけど、「とにかく仕掛けろ」と言われていた。大人になると効率ばかり求めるけど、「数的不利でもいいから仕掛けろ」「そういうところでもいける選手じゃないと、トップチームで活躍できひんから」と言われたのをよく覚えている。
あと、「2手先、3手先を常に読め」「試合が終わったら、体よりも脳が疲れたと思わないと」「自分の能力が最大限発揮できるのはどの局面か。そこまでどう持っていくか」ということもよく言われていた。俺は我が強いけど柔軟だから、そういうアドバイスはしっかりと実践してきた。今、ヨーロッパの所属クラブでも、日本代表でも、そのときの経験がものすごく生きている。
サッカー選手として成り上がる覚悟が足りなかった
U-23時代には、食生活をまったく気にかけていなかったけど、今はものすごく後悔している。寮から練習場に向かう途中でコンビニのチキンを食べたり、試合が終わってからカップラーメンを食べたりしていた。プロ意識が足りていなかった。心のどこかにまだ「練習させられている」という意識があったんだと思う。練習はしていたけど、ただ、していただけ。「サッカー選手として成り上がってやる」という覚悟が足りていなかった。敵は自分なんだ、と今になって思う。
〈J1初ゴール。健太さんの言葉で気がついた、俺のストロングポイント〉
U-23では、ノリさんから攻撃面のことで常に発破をかけられてきた。でも、トップチームでは、健太さんからプレスのかけ方や立ち位置など、とにかく守備のことを言われた。攻撃面のことを言われた記憶がほとんどない。2017年になるとトップチームでの出場機会も増えていった。攻撃的にいくときのカードとして、俺は健太さんに使ってもらえるようになった。
健太さん、すみません。守備を求められるのは無理です
2017年4月16日、J1第7節。アウェイでのセレッソ大阪とのダービーで、俺は0-0で迎えた後半、右ウイングバックとして投入された。直後に先制点が決まったけど、その後、俺の軽い守備から(杉本)健勇くんに突破されて同点に追いつかれた。さらに、俺の右サイドを崩されて失点。ロスタイムに追いついたけど、俺の守備が原因で試合を壊してしまった。
翌日、プールでリカバリーしているときに健太さんに呼び出された。「どうだった? 昨日は」と言われて、俺は守備のことにはいっさい触ふれず、攻撃面の課題を口にした。俺は悪くないですよ、というニュアンスを含ませながら……。
すると、健太さんから、「違う。おまえのところで2点やられたんだぞ」ときつく言われてしまった。俺は自分の気持ちをそのまま口にした。
「健太さん、すみません。守備を求められるのはもう無理です。右のウイングバックとして途中から出るより、FWやサイドハーフとしてベンチのほうがいい。そこで勝負させてください」。そう言った瞬間「俺、終わったかもしれない。監督にそんなことを言ってしまって……」と血の気が引いた。
律。おまえのいちばんの特徴はなにかわかっているか?
中4日で迎えたJ1第8節、大宮アルディージャ戦。なぜか俺はトップ下でスタメンだった。紅白戦でも説明は受けなかったけど、前日に健太さんからこんなことを言われた。
「いいか、律。おまえのいちばんの特徴はなにかわかっているか?」
「ドリブルですか?」
「違うよ。ドリブルがうまいヤツはもっといるよ」
「え、フィジカルですか?」
「いや、おまえ、ちっちゃいだろ。違うよ。律はシュートがうまいんだよ。だから、どんどん打て、明日」
その試合で俺はJ1初ゴールを含む2ゴールを決めた。スタメンフル出場でチームも6-0と大勝。特に1点目はペナルティーエリアの少し外、右ななめ45度から左足を振り抜いたゴールで、堂安律を象徴するような一発だった。健太さんの言葉のおかげで自分の強みを再認識できたし、積極的にシュートを打つことができた。
日本代表やヨーロッパで経験を重ねれば重ねるほど、健太さんの言っていたシュートの意識、守備の意識がいかに大切かがわかってきた。