世界で通用する選手とは? G大阪アカデミーが取り組む「人としての成長」への投資
G大阪元スカウト・二宮博氏インタビュー第3回
サッカーのカタール・ワールドカップ(W杯)で、日本代表は強豪のドイツとスペインから大金星を挙げ、“死の組”と呼ばれたグループリーグを突破し世界を驚かせた。史上初のベスト8進出こそ逃したものの、日本サッカーの着実な成長を導いた根底にあるのが育成年代の充実だろう。その筆頭と言える存在であるガンバ大阪の下部組織で、スカウトとして多くの才能を発掘し、アカデミー本部長も務めた二宮博氏を、ドイツで20年以上にわたって育成年代の選手を指導する中野吉之伴氏が取材。プロクラブとして選手を育成する上で大切な視点について話を聞いた。(取材・文=中野 吉之伴)
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プロスポーツの育成機関が重要視するなかに、プロ選手を、さらには世界で通用する選手を自分たちのアカデミーから輩出するというのがある。
では世界で通用する選手というのはなんだろう? 選手はどんな環境でサッカーをし、そして生活をすることが大切なのだろうか。
2016年度にJリーグ最優秀育成クラブ賞に選出されたガンバ大阪育成アカデミーで本部長を務めていた二宮博は、アカデミー改革立役者の1人だ。スカウトとしてカタールW杯に出場した日本代表の鎌田大地や堂安律といった選手の育成に関わってきた。そして本部長時代には育成でプレーする選手の生活環境を、もっと良いものにできないかというテーマと向き合い続けていた。
「以前の環境というのは、選手は自分の家の近所の学校に通いながら、高校生でしたら18時に大阪府吹田の万博に集合してトレーニングという形でした。どちらかというと塾に近い形ですよね。でもそれって、選手たちとは1日わずか2時間のお付き合いですよね。それだと見えない部分もたくさんあります。
それに関西エリア全体から選手は通って来ていたのですが、それこそ滋賀県から来ている子もいたわけです。練習が18時から20時まであったとしたら、終わって急いで帰っても家に着くのが23時になってしまう。帰宅時間が遅いということは、当然ベッドに入る時間も遅くなるし、睡眠時間も短くなる。食事もそうです。そうした非常にハードワークな毎日を過ごしながら、本当に学校の勉強ができるのか、と。
ガンバとしては育成アカデミーの選手を、もっと人としての成長を大事にしようとプロジェクトをスタートさせたんです。そこで選手がもっと無理なく教育を受けられるように、育成アカデミーと高等学校との提携を模索したんですね。そして寮も完備するようにしました。当時責任者だった私がやっていたことです。私たちは子供たちの学校生活を全く知らなかった。でももっと子供たちの学習面、生活指導面にも関わって、子供たちの良さを引き出して、それがピッチ上でのプレーにも反映されてという環境作りをしていったんです」
クラブと学校が提携することで学業、食事、睡眠も充実
欧州プロクラブの育成アカデミーに、学業や人間形成プログラムを疎かにするところはない。プロ選手を目指すという子供たちだからといって、サッカーだけをやっていれば大丈夫ということはないのだ。人としての成長は、欠かすことができない大事なテーマ。そこへの取り組みによる日常の変化は、少しずつ感じられるようになったそうだ。
「例えばですけど、先生が練習や試合を見に来てくれたりしました。それぞれの選手のためにクラブと学校とが関わることで、より多くの人が支えようとしてくれているのを、選手・保護者が十分に感じたのではないかなと思っています。学校と提携しなかった時代では全く分からなかった。担任の先生も知りませんでした。そういう時代でしたね」
プロの育成アカデミーにいる選手みんなが、プロ選手になれるわけではない。なれるのはほんの一握り。でも選手はみんな自分の夢を叶えるために、ハードワークをして犠牲を払って懸命に生きている。そんな選手たちに対して、本当にクラブは最高の環境を提供できているのかどうか。それにプロになれないから、それでおしまいなどあってはならない。たとえプロサッカー選手になれなかったとしても、社会に出て活躍する人材を育成するという視点は必要不可欠なものだった。
「学習時間の確保もしなきゃならないですし、早い時間に食事もとらさないといけない。睡眠時間も大事です。学校と提携して寮を設置して、選手たちを夜型サイクルから昼型サイクルへと移行させて、時間をもっと有効に使えるようにして、豊かな生活を可能にして、クラブと学校が一体となって全人教育をしていきたいというのがビジョンでした」
今でこそJリーグの下部組織で、サッカーと学校と日常生活とのバランスを考えた取り組みは当たり前になってきているかもしれない。何事もやればやるほど、良くなるわけではない。負荷と休養のバランスは、トレーニングや試合においてだけ気をつければいいわけではない。
大切なのは選手が「正しい努力の仕方を知ること」
ブンデスリーガで育成クラブとして最高レベルの評価を得ている、SCフライブルク育成ダイレクターのアンドレアス・シュタイエルトが話してくれたことがある。
「僕らは子供たちを『選手』としてだけ見がちだ。でも彼らは学校に行けば『生徒』になり、家に帰れば『息子・娘』となるんだ。それぞれのカテゴリーごとに違う顔を持っている。そしてそのどれもが大事なんだ。可能な限り『普通な時間』を過ごせるように配慮することが欠かせない。友だちと遊ぶ、1人で部屋でくつろぐ、家族で食事をとる。そのすべてが、成長になくてはならないものなんだ」
夢を見ることは大事なことだ。夢に向かって努力することはかけがえのないことだ。でもそのためには正しい努力の仕方を知ることが必要だろうし、十二分に正しい努力をするための環境作りも大事だ。努力をするとは、無理をするということではない。二宮の話からは、人の成長に大切なことについて改めて考えさせられた。(文中敬称略)
■二宮 博(にのみや・ひろし)
1962年生まれ、愛媛県西予市出身。中京大卒業後、西予市の野村中学校の保健体育教員を経て、94年にG大阪のスカウトに転身。強化部スカウト部長、アカデミー本部長、普及部部長などを歴任する。2021年2月よりバリュエンスホールディングス株式会社に入社(現在の役職は社長室スペシャリスト)。
中野 吉之伴 1977年生まれ。
ドイツサッカー連盟公認A級ライセンスを保持する現役育成指導者。ドイツでの指導歴は20年以上。SCフライブルクU-15チームで研鑽を積み、現在は元ブンデスリーガクラブであるフライブルガーFCのU12監督と地元町クラブのSVホッホドルフU19監督を兼任する。執筆では現場での経験を生かした論理的分析が得意で、特に育成・グラスルーツサッカーのスペシャリスト。著書に『サッカー年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)、『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)がある。WEBマガジン「フッスバルラボ」主筆・運営。



