不完全燃焼の鎌田、4年後へ「代表を引っ張っていける存在に」
サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会決勝トーナメント1回戦で、日本は前回準優勝のクロアチアとのPK戦にもつれ込む激闘に敗れ、過去最高順位となるベスト8を目前にして涙をのんだ。1次リーグ初戦から全4試合に先発した鎌田大地(アイントラハト・フランクフルト)は敗戦から一夜明けた6日、報道陣の取材に応じ「次の4年間は代表を引っ張っていける存在になりたい」と次回のW杯を見据えた。
今大会は攻撃の軸としての役割を担いながら、4試合で得点、アシストともにゼロ。初のW杯は不完全燃焼に終わった。クロアチアとの試合後には「僕は期待値的には間違いなく点を取ってほしかった選手だったと思う。みんなが本当に期待していたと思うので、できなかったのは自分の実力不足です」と漏らした。結果にこだわってきたからこそ、自身のパフォーマンスには納得できなかった。
■挫折をバネに成長
悔しさを糧に這い上がってきたサッカー人生だ。中学、高校時代は世代別代表とは無縁。G大阪ではユースに昇格できず、京都・東山高へ。高校時代はJリーグの複数のクラブに練習参加したものの、色よい返事はもらえなかった。才能を開花させたのは、J1鳥栖で指導を受けた森下仁志監督(現G大阪ユース監督)の存在も大きかった。
「いくつかのJクラブに引っかからなかったと聞いていたので、これはラッキーだと思った」。技術の高さとボールタッチの柔らかさ、さらに独特の間合い。森下氏は18歳のルーキーにひと目でほれ込んだ。
公式戦デビューは開幕から約2カ月後の松本戦。後半27分に送り出すと、最初のプレーでエースの豊田陽平(現J2金沢)に約30メートルのスルーパスを通し、チャンスを演出してみせた。さらに後半45分には値千金の同点弾。「ものすごいものを持っている」。期待は確信に変わった。
向こうっ気の強さも人一倍だった。コーチや先輩にも物おじせずに自分の考えを口にし、森下氏に対しても「なんで使われないんですか?」と真正面から尋ねてきたことがある。「(選手にとって)負けん気は絶対に必要。僕は大歓迎でした」と懐かしむ。
鎌田自身、プロで初めて出会った監督への恩を忘れたことはない。2017年夏、鳥栖からEフランクフルトへ移籍するセレモニーの席で「クソガキだった僕の面倒を見てくれて、すごくお世話になりました。あの人じゃなかったら、今の僕は確実にいない」と感謝の言葉を口にして旅立った。
■ビッグクラブで定位置を
挫折をバネに日本代表まで上り詰めた男は、カタールでの経験をどう生かすのか。
「いいクラブでプレーして、日本人の価値を高めることも僕にはできる。ビッグクラブに行っても、なかなか定位置をつかめなかったのが日本(選手)の状況だと思う。僕自身がそういう壁を壊したい」
4年後のW杯。「新しい景色」を目指すチームの先頭に立つ覚悟だ。(ドーハ 大石豊佳)



