西野朗さん組織力の日本 個の力も証明 8強への壁破るにはさらなるレベルアップを

◆カタールW杯 ▽決勝トーナメント1回戦 日本1(PK戦1―3)1クロアチア(5日・アルジャヌーブ競技場)

スポーツ報知にカタールW杯特別評論を寄稿する前日本代表監督の西野朗氏(67)が、クロアチア戦と、大会を通じた森保ジャパンの戦いを総括した。日本が誇る組織力、総合力に加え、三笘薫ら明確な武器を持つ選手の重要性を力説。4年後の8強入りに向け、さらに「個」を磨くことがチーム力アップにつながると語った。

またか…。勝利の女神は、またも日本にほほ笑んではくれなかった。実に残酷なPK決着で勝負は決まった。ただ、下を向く必要はない。厳しい見方が多かった1次リーグで、ベンチの戦略を選手たちが忠実にピッチに描き、ドイツ、スペインに逆転勝ちした。ベスト8を見据える形で余力を持ってのトップ通過は、過去3回とは違う、新しい景色の中で臨んだベスト16の戦いだったからだ。

日本は前半、リアクションサッカーだった1次リーグとは違い、ハイプレスでボール奪取を試みた。これに、技術力の高いクロアチアはボール保持で対抗した。試合が拮抗(きっこう)する中、前半終了間際のいい時間に、大会前に森保監督が「いろいろ準備しています」と話していたCKから先制した。後半に入ると、少し低めに守り、カウンター狙いにシフトした。守備に自信を持っていること、相手の疲弊を感じ、浅野、三笘らの突破力を生かした追加点狙いだった。

戦術としては間違っていなかったが、クロアチアの試合運びがさすがだった。高さを生かして同点、柱であるモドリッチ、コバチッチに疲れが見えると迷わずに若手と交代した。三笘の縦への突破、浅野のスピードを封じ、堂安にはスペースを与えないなど特長のある選手を要所で抑えた。勝ち越し点が欲しい場面でも、安易にパワープレーなどに走らず、慌てずに自分たちのペースに引き込もうとした。そこには一発勝負での勝ち方を知る欧州勢の伝統、したたかさがあった。

私が監督で、森保監督がコーチだっだ4年前のロシアW杯は、2―2からベルギーの高速カウンターを浴び、16強で敗退した。自分たちから攻めての2得点で、世界との差はわずかだと思った。ただ、そのわずかが分からず私は「何が足りないんだ」と自問自答した。あれから4年、日本は素晴らしい成長を見せた一方、8強への壁は破れず、「まだ、何かが足りない」という現実を突きつけられた。

4年後に向け、足りないものを追求しながらの旅となる。ひとつ挙げるなら「個」のさらなるレベルアップだ。組織力が持ち味の日本が今大会、個で勝負できることを証明した。三笘の存在がフォーカスされ、日本人だって個で勝負できる、していいんだと刺激を受けた選手も多いだろう。彼からボールを受けるストライカーも今以上に必要なことを感じたはずだ。日本が持つ対応力、柔軟性を生かした戦略、戦術的な変化は一定の成果を出した。今後は、欧州リーグなどで生き残るためにも必要な自分を磨くことが、足りないものを埋めていくベースとなる。

世界との差また開く 日本チームに対し、ねぎらいの言葉がたくさん届くことだろう。岡田(武史氏)も同じだろうが、私もW杯で指揮した立場として、あえて言いたい。私はロシアでの敗戦後、「(開催地)ロストフで倒れ込んで背中に感じた芝生の感触、見上げた空を忘れるな」と選手に伝えた。あれから4年、ドーハの芝生の感触、空の色も苦い記憶として残ることになった。しかし、世界との差がおぼろげだった4年前に比べ、今はより進むべき道がはっきりしている。だから、選手たちには、また強いチャレンジをしてほしいと伝えたい。気を緩めれば差は、また開く。歩みを止めてはいけない。(前日本代表監督・西野朗)

◆西野 朗(にしの・あきら)1955年4月7日、浦和市(現さいたま市)生まれ。67歳。早大時代にFWで日本代表入り。卒業後は日立製作所(現・柏)に加入し90年に引退。94年U―23日本代表監督に就任し、96年アトランタ五輪でブラジルを破る“マイアミの奇跡”を演出。その後は柏、G大阪などの監督を歴任してJ1最多270勝。2016年に日本協会の技術委員長となり18年4月、日本代表監督に。16強入りしたロシアW杯後の同7月末に退任。19年7月、タイ代表監督に就任し、21年7月に退任した。

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