やっぱり強い…日本代表、W杯背番号7の系譜(4)”鳥肌”フリーキック炸裂! 躍進を支えたチームの心臓

日本代表は初出場となった1998年のフランスワールドカップから数えて6大会連続でワールドカップ本大会に出場している。背番号7を背負った選手たちは、大舞台でどのような活躍を見せたのか。今回はワールドカップで7番を背負った日本代表選手を大会ごとに紹介する。※所属チームは大会前時点、年齢は初戦時点のもの。

南アフリカW杯

監督:岡田武史

戦績:ベスト16

背番号7:遠藤保仁ガンバ大阪

生年月日:1980年1月28日(30歳)

個人成績:4試合出場/1得点0アシスト

日韓ワールドカップを終えた2002年11月に日本代表デビューを果たした遠藤保仁。翌年のコンフェデレーションズカップでは主力としてプレーするなど、代表に定着して06年のドイツワールドカップにも選出された。背番号4をつけて臨んだ初のワールドカップだったが、中田英寿がボランチにポジションを下げたこともあり、フィールドプレーヤーの中では唯一、出場機会がないまま大会を去った。

ドイツ大会を最後に現役引退した中田の背番号7を継いだ遠藤は、イビチャ・オシム監督が就任した日本代表の中心選手となった。オシムジャパンではトップ下など攻撃的なポジションでの起用が多かったが、指揮官が岡田武史へと代わると、ドイツでプレーする長谷部誠とボランチに固定された。

大会直前のシステム変更により、南アフリカワールドカップではインサイドハーフで全4試合に先発。カメルーン戦の本田圭佑のゴールは、遠藤のパスが起点となった。中央から遠藤が低く速いパスで右サイドに展開すると、これを受けた松井大輔は切り返しから左足でクロスを上げる。ファーサイドでフリーになった本田がこれをゴールに流し込んだ。

オランダ戦に敗れて臨んだ第3戦のデンマーク戦は、17分に本田のFKが決まって先制に成功する。そしてその13分後、ゴール正面30mほどの距離でFKを得ると、本田と遠藤がキッカーとして立った。本田が蹴るそぶりを見せる中で蹴ったのは遠藤。弧を描いたボールは、相手GKも届かずにゴールネットを揺らした。

3-1で勝利した日本代表はラウンド16でパラグアイと対戦。しかし、チャンスは作れどゴールは遠く、0-0のままPK戦へと突入した。PK職人の遠藤は1人目のキッカーを務めてこれを成功させる。しかし、日本代表は3人目の駒野友一のキックがクロスバーをたたき、5人全員が成功したパラグアイに屈した。

出場機会がなかったドイツ大会から4年、背番号を4から7に替えた遠藤は中心選手の1人だった。ゴールネットを揺らした芸術的なFKと正確無比なPKはもちろん、高い技術で日本代表の躍進を支えた。

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