「嫌だなと思いながら父の横を歩いていました」永島優美アナ30歳が明かす、幼少期に苦しんだ“スター選手・永島昭浩の娘”という視線
フジテレビ・朝の看板番組『めざましテレビ』の7代目女性メーンキャスターを務め、現在は昨年からの新情報番組『めざまし8』の初代メーンキャスターを務める永島優美アナウンサー。父は元サッカー日本代表の永島昭浩で、自身は学生時代をチアリーディングに捧げてきた。“サッカー選手の娘”として悩みを抱えていたという当時の記憶を振り返った
【インタビュー写真】父は元サッカー日本代表、フジ・永島優美アナの特別撮りおろしインタビュー写真を全部見る(貴重な幼少期から新人アナ時代も)
スタジオを明るく照らす笑顔。それが、アナウンサー・永島優美さんの最大の魅力だろう。
だが、幼少の頃は、テレビ越しに見る明るい永島さんの姿が想像できない時期があった。
人気サッカー選手・永島昭浩の娘に生まれて
「極度の人見知りだったんです」
将来を心配した母は、その性格をどうにか変えるためにダンススクールに永島さんを入れた。人前で踊ることで、少しでも人見知りの性格を変えようと思ってのことだが、週末になると人見知りが露わになった。
「週末は、サッカーの試合がありスタジアムに連れていかれるんですが、それがもう悩みといいますか……」
永島さんの父は、元プロサッカー選手の永島昭浩氏。ガンバ大阪から清水エスパルス、ヴィッセル神戸でストライカーとして活躍し、J1通算165試合61得点という成績を残した。サッカー選手が父ならスタジアムでは「がんばって!!」と応援し、ゴールを決めようものなら大喜びしそうだが、永島さんには遮断したくなるような空間だった。
「家族席にいると『永島選手の娘さん』って必ず言われて。当時はそれが本当にイヤでイヤで。だから、スタジアムに行きたくなかったですし、行っても試合を見ないでコンコースで走り回って遊んでいました。ゴールすると、ウオオオッとスタジアムが揺れるので、あぁなんか起こったのかなとは思うのですが、場内アナウンスで『ながしまー』って聞こえてきたりしても、逆に隠れていましたね」
そのため、父のゴールはほとんど記憶がない。また、合宿や試合で家を空けることが多かったため、帰ってくると人見知りのせいもあるが素直に甘えられなかった。
「遠征などでなかなか家にいなかったので、父は当時の私からすれば、たまに帰ってくる顔の濃い、なんだか怖い人という感じ(笑)。たまに外で隣を歩いていても『あっ永島選手だ。隣にいるのが娘さんか』と言われることも多く、当時は一緒に歩きたくなかったですね。なんで私はサッカー選手の娘なんだろう、という悩みがずっと自分の中にありました」
「サッカー選手の娘」という肩書はついて回ったが…
「サッカー選手の娘」という肩書は、どこに行ってもついて回った。いつの間にか、サッカーを遠ざけるようになり、「サッカーの壁」みたいなものが心に生じた。
「サッカー選手の娘だから運動神経もいいだろうと思われがちですが、そんなことはなく。私は走りも遅いし、球技が一番苦手でした。中学はサッカーが強い学校だったのですが、父から『怪我が怖いからサッカーはダメだ』と言われていましたし、私自身もやろうと思わなかったですね。父がサッカー選手だから、なるべくサッカーとかかわらない方がいいんだろうっていうのをずっと感じていたからです」
ずっとサッカーを避けていた永島さんだが、その壁は意外と簡単に崩れていく。当時アイドル的人気を誇ったある選手がきっかけだった。
「小学校5年生くらいの時に、玉田圭司選手にハマりまして(笑)。父じゃなくて玉田選手のおかげでサッカーの魅力に気づいたんです。それからは友人といろんな試合を観に行くようになりました」
“極度の人見知り”を変えたチアリーディング
同じころ、永島さんは人見知りの性格を変えようと、ある行動に出た。 「自分の意見が言えて、クラスでワハハと盛り上げている同級生に憧れの気持ちがありました。自分もそうなりたいと思って、小5の時、友人と音楽会の司会に立候補したんです。そこで人前で話す経験をして、ひとつ壁を乗り越えられたかなと思いました」
そして中学に入って、関西学院大のアメフト部を見に行った時、チアリーディング部の常に笑顔で、全力で応援する姿に心を打たれた。そこで、中2の時に先輩ら10名とチアリーディング部を創設した。高校でもチアリーディングを続け、高3の時には副部長になってチームをまとめた。5年間で、「サッカー選手の娘」という肩書が気にならなくなり、人見知りも徐々に克服していった。
「最初は、人見知りの性格なので、人前で大きく笑ったり、大きな声を出したりすることが全然できなかったんです。でも、やらざるをえない環境でやっていくと、それが当たり前になって、声を出すことや人前で何かをすることが怖くなくなりました。そうやって徐々に、どんな時も笑顔でいられるようになったんです。
大学時代や社会人になって、自分を表現する場面ですごく役立ちましたね。チアリーディングの経験がなかったらテレビカメラの前に平常心では立てなかったと思います」
「『嫌だな』と思いながら、いつも父の横を歩いていました」
チアリーディング部で得たものは、それだけに止まらなかった。大勢の人の前に立ち、笑顔で踊るので、度胸がついた。また、チームスポーツなので全体を俯瞰し、うまく動かしていく経験も得られた。そして、外を一緒に歩きたくないと思っていた父とは、普通に出歩くことができるようになった。
「子どもの頃は極度の人見知りだったので、『嫌だな』と思いながら、いつも父の横を歩いていました。でも、サッカー選手の娘として興味本位にジロジロ見られたりした当時の悩みを父が知ったのは、私が社会人になってからなんです。そうしたら『本当に申し訳ない』って謝っていましたね(笑)。でも私のやりたいことを応援するスタンスでずっといてくれたことは、すごくありがたかったです」
『めざまし8』で共演が実現「父がめちゃくちゃ緊張して…」
父への理解が深まり、親子の距離が縮まった。今では、番組で親子共演を果たすまでになった。昨年の東京五輪の期間中、サッカーの解説者として昭浩氏が『めざまし8』に出演。永島さんが「今日解説いただくのは、永島昭浩さんです」と紹介したが、なかなかシュールなシーンだった。
「あの時は、父がめちゃくちゃ緊張していましたね。前日に父から『明日、めちゃ緊張する。どうしよう』って電話が来たんですが、『もう寝るから、切るね』って言って(笑)。番組で娘に迷惑をかけられない、嫌な思いをさせたらどうしようというような気持ちだったみたいです。私も父が生放送で変なことを言わないか、妙な緊張がありました」
番組内では、さすがは親子と思わせるシーンもあった。
昭浩氏がサッカーの解説で「東京のこう…たえ……」と口ごもると、永島さんが「高温多湿」とすぐフォロー。すかさず昭浩氏が「そういうこと!」と返す絶妙な掛け合いで、スタジオには大きな笑いが起きた。今年はサッカーのビッグイベント、カタールW杯が待っている。ここで、2人の掛け合いを再び期待してしまう視聴者も多いのではないだろうか。
「視聴者のみなさんはどうなのでしょう? (笑) ただ、一緒に出る時は私も父も内輪的にならないように気を付けて進行しています。とにかくサッカーのことをちゃんとお伝えするという気持ちで、そこを必ず第一目標にしようといつも話をしています」
苦手だった父の凄さを知った今「素直に尊敬しています」
昔はサッカー選手の父を受け入れられず、プレーを見ることすら抵抗があった。最近はキャスターという立場で解説者の父と仕事をするようになった。今、永島さんの目には父・昭浩氏は、どう見えているのだろうか。
「担当している『ジャンクSPORTS』で、いかにアスリートの皆さんが身体を酷使して真剣にスポーツに向き合っているのかを改めて知って、父の凄さを実感しました。やっぱりJリーグ発足当時からサッカーに真剣に向き合っていたのはすごいことだと思いますし、素直に尊敬しています」



