G大阪FWパトリックが日本語を学ぶ理由は?日本国籍取得目指すストライカーが直筆メッセージに込めた思い

来日10年目となるG大阪のFWパトリック(34)が、自身のSNSで日本語学習の様子をアップし、話題を呼んでいる。ピッチではパワフルなプレーでチームに貢献し、Jリーグを代表する外国籍選手の一人として活躍してきた裏で、真摯(しんし)に日本語学習に向き合う理由とは。日本を愛し、日本国籍取得も目指すブラジル人ストライカーの思いに迫った。

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■添削コメントが励み

「きょうのテストかくにんおねがいします。わたしがんばれます。は、を、に、で、の、と、とてもむずかしい」

これはパトリックがツイッターで4月24日につぶやいた投稿だ。【疑問詞と助詞の整理】という日本語テストに取り組み、「どこ(に)いきますか」など、カッコ内を埋めていく問題を、自筆で書き込んだ写真とともにアップ。コメント欄には、ていねいに添削されたフォロワーからの回答や、励ましの言葉が並ぶ。学習の“足跡”を定期的に投稿し、懸命に日本語学習励む姿が共感を呼んでいる。

「サポーターのみんなが僕の文章を直してくれたり、ミスを教えてくれることをモチベーションにして、頑張る気持ちになれています」。そう語るパトリックは、今季で来日10年目。本格的に日本語の勉強を始めたのは3、4年前で、現在はネットなどの教材を利用し、毎日約30分をめどに継続している。「選手やサポーターの皆さんと、直接コミュニケーションをとりたい。一番は、日本人との距離をもっと近くしたいというのが目標です」と語る。

■ペラペラ息子の激励

これまでの生活でも「日本にはリスペクトしてくれる方が多いので、日本語ができなかったことで、つらい思いをしたことはない」と言う。それでも学んだ言葉がとっさに浮かばず、頭が真っ白になることや、あとで思い出して悔しい思いをすることはある。先日、10歳の長男・フェリペくんとハンバーガー店へ。注文の際に「単品」「セット」という言葉が浮かばず苦労したが「どうにか思い出すことができて解決しました」と笑った。日本育ちで関西弁も堪能な息子は、隣で父が奮闘する姿を見守っていたといい、「いつもお父さんと僕が一緒にいられるわけじゃないから、自分で解決しないといけないよ」と励まされたという。

カタールW杯への道

日本国籍を取得し、日本代表として戦いたいとの思いも長年、胸に秘める。しかし手続き上、クリアできていない問題も残り、11月のカタールW杯までの帰化は「正直、難しいと感じます。(日本代表ユニホームを着る)青い気持ちは持っているのですが…」と明かす。サッカー界では中国のように、国家を挙げたサポートで帰化した事例もあるが「簡単に国のやり方を変えないところは、日本としての強みだと感じます」と理解を示した。

引退後も日本で それでも学習意欲を失わないのは、現役を引退した後も、日本で暮らしたいという思いがあるからだ。「日本で仕事したり、関わっていきたい気持ちがある。ブラジルの選手を日本に連れてきたり、日本になじめるように、文化を伝えるサポートをしたい」。ピッチ外でも明確な目標を見据えるパトリックは、今日も机に向かい、コツコツと日本語の習得に取り組んでいる。

◆パトリック(アンデルソン・パトリック・アギアル・オリベイラ)1987年10月26日、ブラジル・マカパ生まれ。34歳。バスコ・ダ・ガマ、アトレチコ・ゴイアニエンセなどを経て2013年に川崎に加入。その後、甲府、フォルタレザを経て、14年にG大阪加入。17年途中に広島へ移籍し、18年は20得点でJ1得点ランク2位。19年途中にG大阪へ復帰。14年Jリーグベストイレブン。189センチ、82キロ。家族は妻と息子。J1通算243試合82得点。

◆帰化の条件 国籍法第5条によって定められた一般的な条件には、正当な在留資格を有した上で、引き続き5年以上日本に住んでいることなどがある。他にも素行などに加え、日常生活に支障のない程度の日本語能力(会話及び読み書き)を有していることも必要。それをすべて満たしたとしても、必ず許可されるとは限らない。パトリックは来日10年目だが、14年には半年間ブラジルのクラブでプレーし、16年後半にも負傷の治療により数か月に渡って帰国。引き続き5年以上の居住条件を満たすのは、今年からになる。

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