遠藤保仁が「鬼スパルタ」の部活で得たものとは? 「今の時代の子供たちとは違う」
連載「ニッポン部活考論」、名司令塔が高校時代に得た鉄のメンタル
日本の部活動の在り方を考える「THE ANSWER」の連載「ニッポン部活考論」。今回はジュビロ磐田のMF遠藤保仁に話を聞いた。1979年度生まれの“黄金世代”の1人として、1999年ナイジェリア・ワールドユース準優勝など10代の頃からトップレベルで活躍。日本サッカー史に残る名司令塔としてJリーグ、日本代表で輝かしい成績を残してきたが、そのベースにあったのは鹿児島実業高校時代の厳しい部活での日々にあった。
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1980、90年代の高校、大学の部活は、上下関係が厳格な縦の社会で指導やルールも非常に厳しく、かつ理不尽なことも多く、そこを経験した人にしか分からない独特の世界があった。
遠藤保仁も、その時代に部活を経験している。
「部活は、鬼スパルタでした(苦笑)」
上下関係は厳しく、監督や先輩の言うことは絶対で、同じ学年で誰かが何かをしたらその選手だけではなく、連帯責任で全員が丸刈りにさせられた。また、学年には4、5人のリーダー格がいて、誰かが規則を破ったり態度が悪いと、そのリーダーの責任として追及された。
「自分はリーダーに入っていなかったので、そういうことはなかったけど、そういうのを見ているとかわいそうに思ったし、理不尽やなぁって思っていたね。ただ、個人的には兄貴がいたので、(先輩たちも)僕のことを知っていて、他の1年生よりは名前を知られていたから、めちゃくちゃ厳しくされたことはなかった。でも連帯責任は一緒に取らないといけないので、先輩に『1年全員、五厘カットの丸刈りにしてこい』って言われた時は、さすがに『えー』ってなりました」
経験者なら理解できると思うが、昔の部活は、それが普通だった。先輩が白と言えば、それが黒でも白だった。先輩の“パシリ”や練習着の洗濯に加え、寮生活では先輩の起床係や雑多な仕事をすべてこなした上で練習でしごかれる。日常の生活とはかけ離れた理不尽の嵐が吹き荒れる世界で1年生は生き抜き、成長していく。それゆえ、3年間で身についたものは、非常に大きい。
「本当に自分らの世代はスパルタで、鍛えられてなんぼという世界。やられたらやり返すのが当たり前だったし、いろんな理不尽なことを乗り越えてきた。だから、メンタルは相当、鍛えられて根性がついたと思うし、多少のアクシデントを乗り越えるような気持ちの強さが身についた。そこは今の時代の子供たちと比べて違うところかなと思いますね」
部活で限界を超えてきた選手は「火事場の馬鹿力がある」
遠藤は、よく何事にも動じない鉄のメンタルと称される。それは性格的な部分もあるが、高校時代に鍛えられたところもある。そうして厳しい部活で身に付いた根性は、サッカーにおいて、どんなシーンで実感できるのだろうか。
「最後の最後ですよ。火事場の馬鹿力っていうじゃないですか。僕らの世代は、その言葉がぴったりとハマるぐらい鍛えられました。最後にチームのために走るとか、体を投げ出すとか、チームのためにひと踏ん張りできるのは部活上がりの良いところだと思います」
厳しい部活は大変な分、得るものは多かった。今は、部活の在り方が変化し、理不尽な世界が消えつつあり、選手の自主性や主体性を重視する指導が増えてきている。
「時代の流れもあるので、今の時代に昔のことを当てはめても上手くいかないと思いますね。指導者のレベルも上がっているし、選手の意識も多様化している。社会もスパルタという言葉が消えつつある。だからといって高卒の選手がダメになったかというとそうではなく、今の時代でも良いところはたくさんあるので、そこを伸ばしていければ自分らの時代とは異なる部活上がりの良い選手がプロになるんじゃないでしょうか」
チームには毎年、高校の部活出身、クラブユースからの昇格、大卒などの選手が入団してくる。遠藤は24年前、横浜フリューゲルスに入団したが、それ以降はチームに入ってきたルーキーたちを見てきている。部活とクラブユースで区切った場合、違いはあるのだろうか。
「今まで両者を見てきましたけど、ユースの選手はボールの扱いが上手いし、それにプラスしてメンタルが強い選手が海外に行っている。あと、ユースの選手は、仲間を作りたがる傾向にあるかなと。部活の選手は、下手じゃないけど、クラブユースよりもボール扱いに差が出やすい。でも、部活で限界を超えてきた選手は、火事場の馬鹿力があると思うんですよ。これは自分のイメージだけど、そういう力は部活とクラブユースでは多少の差があると思います」
親は子供を我慢して見守り、子供も我慢を経験する
子供は自分で選択し、考えるようになってきており、部活動の環境も変わってきている。一方、その子供を見守る親は、どうだろうか。試合中、小学生や中学生はもちろん、高校でも親が子供に過度に肩入れし、叱咤する声が聞こえてくる。また、うちの子供をなぜ起用しないのかと、監督やコーチを問い詰めるモンスター系の親もいる。
「基本的に文句の出ないチームは絶対にないので、指導者の立場で言えば文句が出て当たり前って感じで受け止めて、それでもブレずに『うちのやり方はこうです』っていうのを示していけばいいと思う。『絶対に口出ししないでください』と言っても、言う親は言いますしね。自分は、口出ししたことはない。練習を全部見ていないし、監督やコーチに意見を求められたこともないんで。でも、それで良いと思います。任せているんですからね」
遠藤の性格上、自分からは特に言わず、子供が聞いてきたことのみに反応しそうだが、答えを最初から与えてしまっては子供の成長は鈍化する。親は子供を我慢して見守り、子供はいろんなことを考えて我慢を経験し、成長していく。そこは、部活もクラブユースも同じだ。
■遠藤保仁
1980年1月28日生まれ、鹿児島県出身。3人兄弟の三男として幼少期からサッカーに熱中し、鹿児島実業高校卒業後の1998年に横浜フリューゲルス加入。1年目からJリーグで活躍すると、京都パープルサンガ(当時)を経て2001年にガンバ大阪に完全移籍した。司令塔として攻撃的スタイルの中核を担うと、J1優勝2回、2008年AFCチャンピオンズリーグ制覇などクラブ黄金期の確立に大きく貢献。日本代表でも長年にわたって活躍し、W杯に3度出場した。国際Aマッチ152試合出場(15得点)は歴代最多記録となっている。昨年10月にジュビロ磐田へ期限付き移籍、プロ24年目の今季もレギュラーの1人としてJ1昇格を果たしたチームを支えた。