Jリーグで苦しむ“元日本代表”の指揮官たち 成功例となった監督はわずか〈dot.〉
サッカーの世界において近年、益々その重要性がクローズアップされているのが「監督」である。欧州リーグにおいては、元一流プレイヤーだった者が監督としても優れた手腕を発揮している例は少なくないが、Jリーグにおいては元日本代表の肩書を持つ監督たちが苦しんでいるケースが多く見られる。
将来の日本代表監督として期待されながらも苦難の日々を過ごしているのが、日本の元10番にして磐田黄金期の司令塔、名波浩だ。現役引退から6年後の2014年の9月にJ2・磐田の監督に就任して監督業をスタートせると、持ち前のコミュニケーション力と「言葉力」で若手を指導し、翌2015年にはJ2で2位となってJ1昇格。2017年にはJ1で6位となった。だが、翌2018年に16位と低迷し、翌2019年も成績不振で6月に辞任した。
そして2年間のブランクを経た今年6月、下位に低迷していたJ2・松本山雅の監督に就任して再建を託されたが、笛吹けども踊らずの状態でチームは浮上せず。就任前の19試合で勝点19(4勝7分8敗)から就任後の22試合で勝点15(3勝6分13敗)とむしろ成績が悪化。28日にJ3への降格が決まり、「名波監督の評価」は最後まで上がることはなかった。
同じく将来の日本代表監督として期待されている宮本恒靖も、監督としての評価を下げた1年になった。優れたインテリジェンスを持つ頭脳派DFとして活躍し、W杯に2度出場し、2004年のアジア杯優勝にも貢献した元日本代表主将。現役引退後に国際サッカー連盟が運営する大学院(FIFAマスター)を卒業し、2017年にJ3を舞台にしたG大阪U-23の監督に就任。2018年途中にトップチームの監督となると、即座に守備を立て直し、3年目の2020年にはJ1の2位にチームを導いた。
しかし、優勝が期待された今季は開幕から低迷。極度の得点力不足に陥り、その解決法を提示できないまま、10試合(1勝4分5敗)終了で18位と低迷した5月に解任。「G大阪でJリーグ優勝監督となって日本代表監督へ」というシナリオは“書き直し”が必要になり、監督としての手腕にも一旦、疑問符が付けられることになった。
「○○ジャパン」という意味では、「ラモスジャパン」の誕生を期待した者もいるはずだ。Jリーグ創世記のスター選手として活躍したラモス瑠偉。“ドーハの悲劇”を味わったオフトジャパンでは背番号10を背負い、力強くチームを引っ張った。現役引退から8年後の2006年にJ2・東京Vの監督に就任し、翌2007年にJ2で2位となりJ1昇格を果たしたが、翌年はエグゼクティブディレクターとしてフロント入り。2014年からJ2・岐阜で再び監督業をスタートさせるも、1年目に17位、2年目も20位と結果を出せず、3年目にシーズン途中解任。フロントとの確執も取り沙汰された。その後、自身3度目のビーチサッカー日本代表監督を経て、2020年2月に古巣・東京Vのチームダイレクターに就任。辛口な“ラモス節”は健在だが、監督としてのキャリアは途切れたままだ。
そのラモス瑠偉と同じ“ドーハ組”からは、現日本代表監督の森保一と次期代表監督候補に名前が挙がる長谷川健太の2人のJリーグ優勝監督が生まれたが、彼らはむしろ例外的。当時、最も「監督的」だった“闘将”柱谷哲二は、2002年にJ1・札幌の監督に就任するも途中解任となり、2008年にはJ1・東京Vで指揮を執ったが17位でJ2降格。その後、J2・水戸で5年間チームを指揮したが、17位、13位、15位、15位と下位低迷が続き、5年目にシーズン途中解任。その後J3の鳥取、北九州でも結果を残せなかった。
その柱谷とコンビを組み、代表主将の座も受け継いだ井原正巳は、コーチとしては手腕を発揮したが、監督としては“微妙”だ。2009年にJ1・柏の代行監督を務めた後、2015年にJ2・福岡を率いてプレーオフからJ1昇格を果たしたが、翌2016年にJ1最下位となって1年で即J2降格。2019年からJ1・柏のヘッドコーチを務めて選手から高い信頼を寄せられているが、現役時代に「アジアの壁」と呼ばれて歴代2位の代表キャップ数を誇る男としては、随分と控えめな指導者キャリアとなっている。
さらに柱谷、井原の後に日本代表の主将を務めた森岡隆三も、引退後に指導者の道を歩み、J2・京都のコーチやU-18チームの監督を経て、2017年にJ3・鳥取の監督に就任したが、結果を残せず。1年目にシーズン17位と低迷すると、2年目の2018年も開幕から不振が続き、6月にシーズン途中解任となった。同じく日本代表の名DFとして名を馳せ、2度のW杯出場を果たした秋田豊も、監督としての成績は芳しくない。2010年のシーズン途中にJ1・京都の監督に就任するも、就任後2勝3分14敗という結果で、わずか半年で解任されることになった。
前述した森保一、長谷川健太以外にも、神戸の三浦淳寛、鹿島の相馬直樹とJ1クラブを指揮する元日本代表経験者はいるが、Jリーグ全体からすれば数は少なく、結果を出している日本人監督は、川崎の鬼木達を筆頭に現役時代にはそこまで目立たなかった者が多い。もちろん、それ自体が悪いことではなく、決して「名選手=名監督」という訳ではないが、その一方でカリスマ性のある「スター監督」がJリーグにも必要なのは間違いないだろう。
今後、名波浩、宮本恒靖が名誉を挽回し、さらに小野伸二や遠藤保仁、小笠原満男といった黄金世代の面々、さらに本田圭佑、長谷部誠、吉田麻也といった欧州リーグで長年プレーした日本代表選手たちがJリーグの監督としてセカンドキャリアをスタートする時が来れば、日本サッカー界は必ず盛り上がる。そして“世界との距離”もようやく一つ、縮まることになるのかもしれない。