GK谷晃生がガンバを離れた理由「敷かれたレール」から飛び出した2年前の決意
GK谷晃生(湘南ベルマーレ)インタビュー@後編
湘南ベルマーレの谷晃生が、スポンジのようにすべてを吸収し、膨らみ続けている背景には、ひとつの決断があるように思えてならなかった。
おそらくターニングポイントは約2年前、2019年の冬にある。
ジュニアユース時代から育ったガンバ大阪を離れ、湘南に期限付き移籍した経緯について、どうしても聞きたかった。
「移籍する前年(2019年)に肩をケガしたことが大きかったんです。ちょうどその年、A代表ではコパ・アメリカがあり、年代別の代表ではU–20W杯があって、同世代の選手がJ1の舞台で活躍していました。その姿を見て、自分がケガから復帰したあと、どうすればより成長できるのだろうかと考えたんです」
ケガをしたことで、谷は自分を見つめ直した。身体だけでなく心、サッカーとも向き合った。
「それがきっかけになり、自分が成長できる場所を探したいなと思うようになりました」
生まれた大阪の街も、育ててくれたG大阪のグラウンドも居心地はよかった。だが、その心地よさが自分の甘えにつながっているのではないかと、自問自答した。
「中学の時からガンバで育ってきて、ある意味、ずっと敷かれたレールに乗ってきてしまったと感じたんです。中学3年の時にユースに昇格させてもらい、高校1~2年の時からトップの練習に参加させてもらえました。周りの人も、子どもの時から自分のことを知ってくれているので、どこかみんなが親というか、保護者みたいな温かい目で見てくれていた。
僕は2018年にプロになりましたけど、プロのサッカー選手というよりも、いつまでもアカデミーの選手というか。果たして自分は、プロサッカー選手として、周りと同じ目線で見られているのだろうかと疑問を覚えたんです。そう考えてからは、自分をまったく知らない選手たちのなかでプレーすることで、自分が成長できるのではないかと思いました」
自分のことを誰も知らない世界に飛び込み、純粋にプレーで認めさせていくことが、選手としての成長につながるのではないか。自分のことを誰も知らない人たちと、信頼関係を築いていくことが、人としての成長につながるのではないか。 「ひとりのプロサッカー選手として見られる場所で勝負してみたかったというのが、ひとつの強い思いではありました」
G大阪には今なお絶対的な守護神として君臨する東口順昭がいる。何より彼を越えなければ、谷に出場機会は巡ってこなかった。
「東さん(東口)と一緒にトレーニングができるという環境は本当に魅力的でした。東さんと一緒に練習することで、自分はいいところを盗み、自分のものにしてきましたし、実際にそれが今も生きています。
ただ、やっぱり同じ土俵にすら上がれていないというか。このままでは自分は同じ目線で見られないのではないかと思ったんです。競争相手のひとりとして見られるためにも、外に出て経験を積む必要がある。これは、(移籍を決断した)その時も、今も感じている部分です」
アカデミーのGKではなく、一人前のGKになるために武者修行を決意した。その時、声をかけてくれたひとつが湘南だった。
「唯一のJ1のクラブだったので、東さんと同じ舞台で勝負するという意味でも惹かれました。自分のプレーひとつで上がっていくじゃないですけど、ここからは自分次第。ベルマーレで勝負したいと強く思いました」
自分が想像していた以上に外の世界は厳しかった。今でこそ、湘南の正GKというイメージが定着している谷だが、加入した昨シーズンは最初から試合に出られたわけではなかった。
「ガンバにいた時から世代別代表には選ばれていたので、(湘南では)試合に出られるのではないかという思いもありました。でも、実際に来てみたら、そんなに簡単なことではないと思い知らされました」
新型コロナウイルス感染症の影響で、昨シーズンは開幕戦を終えると、J1は中断した。7月になり、ようやく再開されたが、そこでも谷に出番は回ってこなかった。
「自分で決めた道だったので、試合に出られなくても心が折れることはありませんでした。いつ出番が来てもいいように常に準備はしていましたし、正直、練習では自分を使え、自分を出せと思いながら取り組んでいました」
爽やかな風貌なだけに、強い口調から熱さが感じられてうれしくなった。
チャンスが巡ってきたのは、5戦未勝利とチームが窮地に立たされていたJ1第6節・鹿島アントラーズ戦だった。
「前日に『次、行くからな』と言われた時は、『ついに来たか!』と思いました。同時に、ここで結果を出さなかったら、お前はもう持っていないと、自分に言い聞かせていましたね。ただ、不思議と焦りや緊張はなく、決意というか、意志みたいなものが強かったですね」
結果は1-0の勝利。谷は湘南でのデビュー戦を無失点に抑え、チームを初勝利へと導いた。
「1勝して、『さあ、ここからだ!』ってあとに、川崎フロンターレに(1-3で)負けて、そのまま6連敗してしまったんです。敗戦が続き、再び自分が出られなくなってもおかしくはないという思いは常にありました。
そのなかで、どうやったらチームが勝ち点を拾っていけるかを考えるようになったんです。中3日、中2日の連戦でしたけど、1試合1試合整理しながらも、負けては落ち込んで、また負けては落ち込んでというのを繰り返しながら、気づいたことがあったんです」
U-24日本代表として臨んだ東京オリンピック。グループステージや準々決勝のニュージーランド戦で見せてくれた頼もしさにつながる振る舞いだった。
「連敗が続くなかで、自分自身の感情の浮き沈みがプレーに影響することを感じたんです。感情をコントロールして、一喜一憂しないようにすることが安定したパフォーマンスを生む。ガンバ大阪U-23でプレーしていた時にも(監督の)森下仁志さんから『感情をコントロールできるようになれ』と言われていたんです。そのことをあらためて思い出しました。
今は、たとえミスをしたとしても、同じミスはしないと思えるようになった。引きずっていても、誰かが慰めてくれる世界じゃない。次につなげていくことが、自分にとっても、チームにとっても最善だと思えています」
湘南でも出会いがあり、人から学び、吸収している。それがGKとしての存在感になっている。その一助となってくれたのが、GKコーチとして指導してくれている齋藤誠一である。
「ガンバから来て、ベルマーレで試合に出られるようになった時、最初はうまくプレーしようとしすぎていたんですよね。たとえば、パスにしてもうまく出そうとしすぎたり、いいところに出そうとしすぎたりしていました。それを見て、『プレーをはっきりさせよう』と言ってくれたんです。
そこが、自分が勝ち点を拾う、勝ち点につなげるプレーを考えるきっかけでもある。自分の欲よりもチームの結果につなげるプレーをしろ、ということだと捉えています」
東京オリンピックという大舞台で、谷が見せてくれたプレーは、湘南で試合という経験を積んだことで培われたものだった。きっと、U-24日本代表でGKコーチを務めた川口能活は、そのことをわかっていたのだろう。
シーズン途中に山口智監督が就任し、湘南は目指すサッカーも変わり、相手陣内へと押し込む時間帯が増えてきた。だからこそ—-谷は言う。
「今は、試合の流れを読んでプレーしたいと思っています。チームは以前と比べて、守備に回る時間帯が減り、シュートを打たれる回数も少なくなってきている。それなのに、シュート2本のうち1本を許して、勝ち点を落としている。
今まではシュートを止めることでリズムを掴んでいたところがあったのですが、自分がプレーに関与していない機会も増えているだけに、その数少ないシュートを止めることで、チームの勝利に貢献したいですね」
J1第33節の横浜FC戦では、6本のシュートを打たれたが、1失点に抑えた谷は2-1の逆転勝利に貢献した。J1残留争いをするチームにとって、それは大きな勝ち点3だった。
「J1残留は絶対に達成しなければいけない目標。緊迫した試合のなかでGKが果たす役割、自分のプレーがチームを勝たせる役割を担う部分は、より大きくなってくる。さらにチームを勝たせるプレーをしていきたいと思います」
チームを勝たせることを考え、追求することで谷は成長してきた。その姿勢は、日本代表であろうとも、湘南であろうとも変わることはない。シーズン終盤のしびれる戦いから、彼はまた吸収し、大きく成長するのだろう。そこに限界はない。そして、言わずもがな、目標は達成されるはずだ。
【profile】谷晃生(たに・こうせい)2000年11月22日生まれ、大阪府堺市出身。ガンバ大阪の下部組織で育ち、2018年にトップチーム初先発。2020年から期限付き移籍で湘南ベルマーレの一員となる。日本代表にはU-15から各年代で呼ばれ、東京オリンピックでは守護神としてチームの躍進に大きく貢献。2021年8月、A代表に初めて招集される。ポジション=GK。190cm、84kg。