元G大阪JY監督・鴨川幸司氏に聞いた堂安と林の中学時代
【NO BALL、NO LIFE】惜しくも4位に終わった東京五輪のサッカー男子。その開幕直前、G大阪のジュニアユースで2004年から16年まで監督を務め、現在はJFLのFCティアモ枚方で下部組織のコーチを務める鴨川幸司氏(51)に話を伺った。
五輪のピッチに立ったFW林大地、MF堂安律、GK谷晃生の3選手を中学時代に指導。そのうち、谷についてはニュージーランド戦のスーパーセーブ連発もあり、今月1日付の紙面に書くことができた。今回は、残りの2選手の中学時代について紹介していく。
当時小6だった堂安のスカウトでは、名古屋やJFAアカデミーなどと〝競合〟するなか、鴨川氏は「自分で合うところを決めな」とG大阪入りを強く押すことはしなかったという。「来てほしかったし、絶対合うと思った。でも(堂安)律は、自立していたから。合うチームを選んでくれる確信があった」。思惑通り、堂安は青と黒のユニホームに袖を通した。
2013年9月8日。東京五輪の招致が決定したとき、当時中3の堂安はチームのエースだった。「そんな世代になるなんて、運がいいな」と話した鴨川氏。だが、「その時は五輪に出られる選手になると思ってなかった」と明かす。
理由のひとつが伸び悩みだった。中2までは体も大きかったが、成長期のチームメートに体格で追いつかれ、スピードでかわすプレーが減った。「苦しくなるな、と思った。でも、中3と高1でさらに一段階、体のキレが上がった。これはプロでもやれると確信しました」。底知れぬ成長に、鴨川氏も舌を巻いた。
一方、五輪ではストライカーとして最前線で体を張った林の中3時は、1学年下の堂安らの控えだった。当時中盤でプレーしていた林を、鴨川氏は「ちょっと上手なくらいの、特徴のないオールラウンダーだった」と振り返る。それでも真面目で明るい性格や将来の体格アップを見込んで、進学先の履正社高・平野監督へ伝えた。「大地は遅咲きやから。でも、いいもの持ってますよ」。
履正社高から大体大を経由するなかで、FWとしての才能が開花した。「あんなスタイルの選手になるイメージはなかったな。平野さんたちのおかげです」。鴨川氏は苦笑する。ジュニアユースからトップチームへと、思い描いた通りには進まなかった成長。それでも、五輪の舞台までたどり着いた。
「3選手に共通にしているのは、自立していること」と鴨川氏は話す。「自立とは、サッカーでいえば自分の欠点は何か、それを改善するためにはどうすればいいのかというのを自分で分析し、解決すること。サッカーを教えながら、そういうことを伝えているのかなと思っています」。自身の指導哲学にも触れながら、3人の強みをそう教えてくれた。
五輪で思い通りの結果はつかめなかったが、選手としての戦いは続く。9月から始まるW杯最終予選で、A代表にこの五輪チームがどれだけ食い込むか。W杯本戦の舞台に立つのは誰か。期待を込めて追いかけていきたい。