「お前は何になりたいの?」堂安律を改心させたオリンピアンの一喝

PK戦までもつれ込む激闘を制し、2012年ロンドン大会以来の4強に進んだサッカーU-24日本代表。ニュージーランド代表からゴールは奪えなかったが、攻撃面で再三チャンスメークにからんでいたのが堂安律だった。

準決勝の相手、スペイン代表は東京五輪開幕前の7月17日に親善試合で対戦。その時も堂安がゴールし、日本代表戦4試合連続の得点。しかしその後、同点に追いつかれてドローに終わった試合後、堂安は報道陣にこう明かしている。

「まだまだ力の差を感じたのが本音だし、もっとうまくならないといけない」

6月に東京五輪に挑むU-24代表チームが発表されて以降、6試合戦い、堂安は3ゴール。53年ぶりのメダル獲得を目指すチームの背番号10をつけた選手として、結果を残し続けてきた。ただ、浮かれた様子はない。FRIDAYデジタルが五輪の大会前に行ったインタビューでもこう明かしている。

オリンピックに反対する意見にも、もちろん納得はできるんです。納得できるからこそ、アスリートとして結果で示さないといけないなと思っています」

「満足しちゃだめですよね、現役中に。満足したら成長が止まるという気がします」

まだ23歳。日本ではまだ大学を卒業し、社会人1、2年目を迎えたばかりの年齢だが、堂安のコメントには、調子に乗った雰囲気がない。ひたむきさを忘れない陰に、フィジカルコーチをつとめる杉本龍勇氏の存在がある。

杉本氏は元陸上短距離の一流選手。1992年バルセロナ五輪では100m、100×4リレーに出場したオリンピアンだ。現在は法大経済学部の教授をつとめながら、岡崎慎司や五輪代表の吉田麻也、板倉晃ら、サッカー選手の走りを改善するコーチをつとめ、岡崎や吉田は10年以上練習を見続けている。杉本氏が振り返る。

「律(堂安)が在籍していたガンバ大阪の監督だった長谷川健太さんとは、浜松大時代からの一緒に仕事をさせていただいていて、4年程前、健太さんから『若くていい選手がいるんだけど、スピードに課題があるから見てもらえないか』と相談されたのがきっかけです。

当時、プロ3年目に突入していた律は、まだガンバでもレギュラーではなかったんですが、最初見たときから体が強くて海外向きだな、と感じていました。能力的には岡崎に近いものを感じました。律の場合、野望も口に出して、ガツガツしているし、いい意味で今どきの子じゃない。ルックスと言動にギャップあるので伝わらりづらいかもしれませんが、根は実直で、目指しているものに近づける努力はしています」

杉本氏との出会いを機に、堂安の成長曲線は急上昇した。自分が持っているトップスピードをいかに短い距離で出すか、という加速に不可欠な体を動かし方の習得から開始。股関節、肩甲骨周辺の動かし方を習得することからはじめた。

数字で成果を見ることができない、地味なトレーニングを繰り返すことで走りが改善され、2017年の4月にJ1初ゴール、同年5月に行われたU-20代表のワールドカップにも出場。チームは決勝トーナメント1回戦で敗れたが、堂安は4試合で3ゴールを奪い、国際サッカー連盟(FIFA)の公式ツイッターで「日本のメッシ」と評された。

この大会から帰国した1か月後の6月にオランダ1部・フローニンゲンへ期限付き移籍が発表され、2年後の2019年8月末にオランダの名門、PSVに移籍。オランダ代表のロッベンやブラジル代表のロナウドなど世界の名プレーヤーを多数輩出したクラブの一員になった。

世界的に知られる名門クラブに所属したものの、堂安の出場機会は限られた。リーグ戦も全26試合のうち出場は19試合、半数は途中出場だった。「壁」に直面した状況だったが、日本では「世界的名門クラブにいる東京五輪のエース候補」として周囲からもてはやされ、露出も増えた。この時、堂安は22歳。「浮つくな」というほうが難しいかったのかもしれない。堂安は、自らのインスタグラムでもサッカー以外のファッションやプライベートショットなども紹介するようになっていた。

そんな堂安の浮ついた様子を、元オリンピアンの杉本氏は見逃さなかった。ちょうど1年程前の昨夏、堂安が帰国して一緒にトレーニングをした時、あえて突き放すような言い方で奮起を促したのだという。

「お前は単なる若者のアイコンになりたいのか?いいサッカー選手になりたいのか、どっちなんだ? サッカー選手として価値が下がっているのにチャラついているんじゃないよ。オリンピックの有望選手といっても、オリンピックが中止になってしまったら、今のお前は何もなくなる。サッカー選手として勝負したいのであれば、今の気持ちではダメだよな」

翌日までにプライベート画像をすべて削除してきたという堂安は、約2か月後の9月にドイツのブンデスリーガ、ビーレフェルトにレンタル移籍。常に優勝争いをする世界的な名門クラブから、1部に昇格してきたばかりの小さなローカルクラブへの移籍は、オランダやドイツでも「リスクあり」と見る向きが多かったが、堂安は選手としてさらにビッグになるために、リスクをいとわなかった。

東京五輪が延期になった昨季の1年間、1部残留争いをしたチームで試合に出場し続け、5月22日の最終戦・シュツットガルト戦で1部残留を決定づけるゴールも奪い、東京五輪に乗り込んできた。杉本氏は続ける。

「彼に対しては、私だけでなく、何人か厳しくモノを言ってくれる人がいます。いつも困ったときに、最後はその方たちに話を聞きに行っているようで、調子に乗りすぎてしまったときの戒めを自分なりにしているんでしょうね。

彼はもともと実直なので、選手として伸びる素地はまだあります。有名なクラブに所属するだけではなく、そのクラブでレギュラーとして3,4年続けて活躍して、海外で認められる選手になってほしいんです」

中3のときに東京五輪の開催が決まり、その時から目標と公言してきた「金メダル」まであと2勝。難敵・スペインを撃破するゴールを奪えば、きっとサッカーを知らない若者にも、「堂安律」の名前が刻まれる。

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