Jリーグで勝利数の多い日本人監督の共通項。戦術優先ではなかった
『特集:Jリーグが好きだっ! 2021』Jリーグ監督列伝(1)
2月26日に開幕するJリーグ。スポルティーバでは、今年のサッカー観戦が面白くなる、熱くなる記事を、開幕まで随時配信していきます。今回は「Jリーグ監督列伝」。長い歴史のなかで実績を積み上げた、日本人監督たちを取り上げます。
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<たくさん勝っている監督>
J1での通算最多勝利記録を持つのが、前日本代表監督の西野朗(現タイ代表監督)だ。その記録はなんと270勝! 2位の長谷川健太(FC東京監督)が昨年10月にようやく200勝に達したところ(現在204勝)なのだから、「270」という数字がいかに破格のものかわかるだろう。
2002年から10シーズンにわたってガンバ大阪を指揮して日本有数の強豪に育て上げ、その間にJ1をはじめ、天皇杯、ナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)などのタイトルを獲得。さらに、08年にはAFCチャンピオンズリーグ(ACL)も制覇してクラブワールドカップに出場。準決勝ではあのマンチェスター・ユナイテッド相手に撃ち合いを演じて3-5で敗れはしたものの、当時のヨーロッパ最強クラブ相手に3ゴールを奪って世界を驚かせた。
また、96年にはU-23日本代表を率いて28年ぶりに五輪予選を突破。アトランタ五輪本大会でもブラジルを破るという快挙を成し遂げた。そして、18年にハリルホジッチ監督解任を受けて代表監督に就任し、わずか3カ月後に開かれたロシアW杯ではラウンド16に進出して、強豪ベルギーと激しい撃ち合いを演じたことは記憶に新しい。
マンチェスター・ユナイテッドやベルギー代表といった相手にも、臆せず撃ち合いに出るあたりが「攻撃的」として知られる西野の真骨頂だ。
ロシアW杯ではグループリーグ最終戦でポーランドに1点をリードされたものの、「0-1のスコアのまま終わらせて、フェアプレーポイント差(警告や退場の数)でラウンド16進出を目指す」というギャンブルに出て目標を達成。もし失敗したら、日本中、いや世界中から非難を浴びていただろう。そんな采配ができるのだから、西野という男の胆力には恐れ入るしかない。
戦術にこだわる指導者ではない。
戦術の遂行のために選手のプレーに制約を加えることよりも、選手が自分の特徴を発揮して力を出し切ることのほうが西野にとっては大事なのだ。「選手が気持ちよくプレーしてこそ、良いサッカーができる」という考え方だ。
そして、勝点を取るために自らの哲学を曲げたりもしない。
G大阪監督時代、1点差で敗れた試合後の記者会見で「最後はパワープレーに出ても良かったのではないか?」と質問したら、「あれがオレの『美学』だ」という答えが返ってきた。メディアの側が「勝利の美学」といった表現を使うことは多いが、監督自らが「美学」という言葉を使ったのだ。これは、確信犯である。
西野が持つ最多勝利記録を追っているのが、西野と同じくG大阪の監督を務めた長谷川健太だ。J2に陥落したG大阪の監督を引き受けると1年目にJ1昇格を実現し、さらに昇格1年目でJ1、天皇杯、ナビスコカップの三冠を達成した。
西野と同じように「戦術優先」ではなく、長谷川も選手の気持ちに訴えかけることによって選手の能力を引き出すのが得意な指導者だ。
現在、長谷川はFC東京の監督を務めており、2021年シーズンでは虎視眈々と優勝を狙っているが、長谷川監督の下で永井謙佑やディエゴ・オリヴェイラといった選手たちは、献身的にチームのために走り切れる選手として生まれ変わった。また、長谷川の思い切った選手起用のおかげで下部組織出身の若手も着実に育ってきている。「個の力」を引き出すのが実にうまい監督だ。
西野と長谷川というふたりの名将には、実は大きな共通性がある。ふたりとも、現役時代は花形の攻撃的なポジションで、また若いころからスター中のスター的存在だったことだ。
西野は浦和西高校(埼玉県)時代からエレガントなプレーと甘いマスクで女性ファンを魅了し、サッカー専門誌の表紙を飾るスターだった。一方、長谷川は「サッカーの町」として知られた静岡県清水市(現静岡市)で少年時代から有名な存在であり、高校選手権では清水東高校の「三羽ガラス」の一角として、国立競技場を埋めた満員の観衆を沸かせた。
西野も、長谷川も、生まれながらのスターだっただけに常にポジティブで、周囲の思惑など気にしないで思い切ってプレーする習慣が身に着いていたのだろう。監督となってからも細部にはこだわらないで思い切ったことができるのは、そうした生い立ちに関係するのではないか。
もちろん、そういう指導方法で結果を出せたのは、能力の高い選手がそろったG大阪のようなクラブの監督だったからでもあるのだが……。
日本代表監督時代に、スター選手を尊重して彼らに自由にプレーさせたジーコ監督も、現役時代には前線の華やかなポジションでプレーし、サッカー王国ブラジルを代表するスーパースターだった。あるいは、バルセロナで超攻撃的なドリームチームをつくったヨハン・クライフも「空飛ぶオランダ人」として知られる世界のスーパースターだった。
◆J1移籍状況で見極める戦力ダウン必至のチームワースト3>>
<細部のこだわりがすごい監督たち>
一方で、現役時代にゲームを組み立てたり、中盤でバランスをとるMFや最終ラインを統率するDFだった監督は、戦術的な規律やディテールにこだわることが多い。
たとえば、J1でサンフレッチェ広島を3度の優勝に導き、現在は日本代表で手腕を発揮している森保一(J1通算92勝)は、マツダSC(現サンフレッチェ広島)時代にハンス・オフト監督に見いだされ、日本代表ではラモス瑠偉が奔放にプレーする中盤でバランスを取ることによって、監督の戦術をピッチ上で具現化する役目の選手だった。
日本代表をワールドカップ初出場に導いた岡田武史(J1通算62勝/J2通算48勝)は、J2とJ1の両リーグで優勝を経験した唯一の監督だが、現役時代は頭脳的な(かなりずる賢い)DFだった。そして、監督としても論理的な思考に基づいて戦術的なチームをつくり上げて、細部にもこだわりつづけた。だが、岡田は次第にきわめて思い切った采配を繰り出すことのできる監督となっていった。
世界的にも、たとえばバルセロナでプレーし、ワールドクラスのボランチだったペップ・グアルディオラ(現マンスチェスター・シティ監督)は、戦術的な戦いを好んでいる。同じサッカー選手であっても、ポジションによって性格も変わるし、監督になっても現役時代のプレーを思わせるような采配を振るう指導者は多い。
ただし、現役時代はFWだったのに戦術的な細部にこだわる指導者も存在する。
相手の弱点を突く戦術を駆使し、セットプレーを巧みに利用して湘南ベルマーレや松本山雅FCをJ1に昇格させた反町康治(J1通算37勝/J2通算239勝)も、現役時代にはアタッカーだった。
もっとも、反町はアタッカーと言ってもきわめて頭脳的なプレーをしていた選手だった。その点では、現役時代のプレーぶりとはまったく違うタイプの監督となったのが、高木琢也(J1通算11勝/J2通算199勝)だ。
現役時代の高木は広島のセンターFWで、サイズのあるターゲットマンとしてオフト監督に重用された。けっして戦術的な動きをする選手ではなかったのだが、監督としてはすべての選手のポジションに目を配る、実に細かな指導をするようになった。広島時代に一緒に戦った経験のある森保監督が、「高木監督があんな細かい指導者になるとは思ってもいなかった」と漏らしたことがあるくらいである。