南野拓実、中島翔哉が聞いた大合唱。震災後のU-17W杯で体験した「世界」。

『Sports Graphic Number』創刊1000号を記念して、NumberWebでも「私にとっての1番」企画を掲載します。今回は2011年6月、東日本大震災の3カ月後に行われたU-17W杯を振り返ります。若き日の南野拓実、中島翔哉らの戦いとは――。

「日本、大変なことになっているね。大丈夫なのか、家族は無事なのか」

2011年6月、メキシコ北部にあるモンテレイ市内を移動中、タクシー運転手にこう話しかけられた。

この年の3月、日本を未曾有の大災害が襲った。ニュースは日本から離れた遠いメキシコの地まで、全世界に伝わっていた。心配そうな表情の運転手としばらく会話を続けると、車内ではそれを図ったかのように原発事故のニュースが流れた。運転手は車内のテレビ画面を指差し、こう声をかけてくれた。

「本当になんて言っていいかわからないけど、頑張ってくれ。俺は、君も日本チームも応援しているよ」

彼の言う「日本チーム」こそ、メキシコが開催されたU-17W杯に出場する日本代表のことを指していた。

南野、中島、植田、武蔵、室屋、喜田……。
1994年1月1日以降生まれで形成された「94ジャパン」。その顔ぶれは今振り返るとかなり豪華なものだ。

南野拓実(リバプール)を筆頭に、鈴木武蔵(北海道コンサドーレ札幌)、MF中島翔哉(ポルト)、喜田拓也(横浜F・マリノス)、石毛秀樹(清水エスパルス)ら豪華なアタッカー陣に加え、アンカーを務めた深井一希(札幌)、CBでコンビを組んだ岩波拓也(浦和レッズ)、植田直通(セルクル・ブルージュ)、サイドバックには室屋成(FC東京)、GKは中村航輔(柏レイソル)と守備陣にも錚々たるメンバーが揃っていた。

彼らを指揮したのは元数学教師という異色の経歴を持つ吉武博文監督だ。4-1-2-3でポゼッションサッカーを掲げたが、ポジションの呼び方や役割は当時からすればオリジナリティあふれるものだった。1トップは「ゼロトップ」と呼ばれ、前線のフリーマン的な役割を担う。2シャドーの「フロントボランチ」、ウィングの「ワイドトップ」を起点にペナルティーエリア内で数的優位を作り、GKも参加するビルドアップからゴールを奪っていく。そんな特異なスタイルだった。

ヒデ、松田らを擁した’93年以来。
グループリーグ初戦のジャマイカ戦はポゼッション率62%、シュートは15本(ジャマイカは5本)も浴びせ、1-0で勝利。強豪フランスを迎えた第2戦でもポゼッション率は62%を記録し、シュート本数もフランスの12に対し、13と上回った。1-1のドローに持ち込み、これで決勝トーナメント進出をほぼ手中に収めた。

第3戦のアルゼンチンに対しては、スタメン7人を入れ替えながら3-1の快勝。この勝利で中田英寿、宮本恒靖、松田直樹、戸田和幸らを擁した1993年日本大会以来となる、18年ぶり2度目の決勝トーナメント進出の快挙を成し遂げた(国外大会では史上初)。

大会前、日本国内ですらメディアで取り上げられることは少なかったが、「94ジャパン」の1位通過を機に、一気に露出が増えていった。

支援への感謝の思いを横断幕に。
ラウンド16(決勝トーナメント初戦)のニュージーランド戦でもその勢いは止まらない。ポゼッション率は60%で、シュート本数はニュージーランドの7倍近い26本と圧倒。エース南野の大会初ゴールも決まり、6-0の完勝。’93年大会に並ぶベスト8進出を果たした。

この試合後、94ジャパンの選手たちは全員で大きな横断幕を手に場内を一周した。この幕に書かれていたのは、『To Our Friends Around the World Thank You for Your Support』(原文ママ) 。東日本大震災で世界中から温かい支援を受けたことに対する感謝の言葉だった。これでさらに地元メキシコの人たちの心を完全に掴む。スタンドからは割れんばかりの拍手がわき起こり、「ハポン(ジャパン)」コールも起こった。

この光景は翌日の地元紙にカラーで大きく取り上げられ、母国が災害を受けながらも、逞しく、異国の地で戦う高校生たち――ヤングジャパンを称えた。もちろん、冒頭に登場したタクシーの運転手にもその熱は伝わったようで、「1試合観に行ったよ。本当にいいチームだよね」と興奮気味に話していた。

満員の会場で、優勝候補ブラジルと。
2011年7月3日、初のベスト4入りをかけた準々決勝。決戦の地はメキシコ中央部にあるケレタロ。街の中心部全体が世界遺産となっている歴史ある場所でブラジル戦は行われた。日本からもサポーターは駆けつけたが、地元民たちも多く足を運び、会場のエスタディオ・コレヒドーラには3万123人の大観衆が集まった。会場の雰囲気は、躍進を続けるヤングジャパンを後押ししていた。

スタメンはGK中村、DFラインは左から室屋、植田、岩波、川口尚紀(柏レイソル)、アンカーに深井を置き、喜田と石毛の2シャドー、3トップは左から早川史哉(アルビレックス新潟)、南野、秋野央樹(V・ファーレン長崎)と、ベストメンバーの布陣で臨んだ。

だが、対するブラジルも、現在パリSGで守備の核を担うマルキーニョス、チェルシーで活躍するDFエメルソン、そしてガンバ大阪でプレーするFWアデミウソンらを擁した優勝候補である。これまでの戦いぶりが嘘かのように、厳しい戦いとなった。

ミスが続出、気づけば0-3。
「迫力にのまれてしまった」と植田が語ったように、立ち上がりからハイプレスと圧倒的な個人技で襲いかかってきたブラジルに対し、日本は後手に回った。

16分、右CKからマークのズレを突かれて失点を喫すると、ブラジルはさらにプレスを強め、日本のパス回しを寸断。ブラジルの圧力と試合前に降った雨の影響でぬかるんだピッチに苦戦し、日本はらしくないミスが続いた。

さらに後半立ち上がりの48分。左からの折り返しをCB植田がぬかるんだピッチに足を取られ、クリアミス。クロスはフリーのアデミウソンに渡り、豪快なシュートを決められた。60分にはミドルシュートのこぼれ球をFWアドリアン(アヴァイ)拾われ、強烈なシュートでゴールを射抜かれた。

ブラジルに対して、0-3。万事休す。

しかし、満員に膨れ上がったスタジアムのファンは「ハポン、ハポン」と大声援を送ってくれた。

中島、高木が流れを変える。
65分、喜田に代わって中島、75分には南野に代わって高木大輔(G大阪)が投入されると、これで流れが日本に傾く。ドリブラーの2人は劣悪なピッチを物ともせずに果敢に仕掛け、ブラジルの守備を乱していった。この動きに他の選手たちも呼応し、ムードは一変した。

77分、カウンターから縦パスで右サイドを抜け出した高木のマイナスの折り返しを、ニアで早川が飛び込む。これが囮となり、ファーサイドで完全フリーになった中島が落ち着いて決めて1点を返した。

「ハポン」コールはさらに大きくなる。

室屋が、植田が体を張った気迫のディフェンスでブラジルの勢いを封じると、迎えた88分。右CKからの混戦に反応した早川が押し込み、ついに1点差にまで詰め寄った。

この瞬間、スタジアムのボルテージは最高潮に達した。

日本のチャンスには地鳴りがするように大歓声が起こり、ブラジルの選手が接触プレーで倒れたり、時間稼ぎをすると、容赦ないブーイングが降り注ぐ。満員のスタンドは一体感に包まれ、あっという間に大合唱だ。立ち上がりっぱなしで大声を張り上げている者、日本の攻撃の度に足で床を鳴らして盛りあげる者、手拍子をする者……。スタジアムは完全に日本のホームと化していた。

惜敗も、特大の「ハポン」コール。
しかし、無情にも2-3のまま試合は終了。後半アディショナルタイム、右サイドを突破した石毛の折り返しに、飛び込んだ高木の足がわずかに届かないシーンを見た観客は一斉に頭を抱えたのが印象的だった。

鳴り響く、タイムアップのホイッスル。選手たちも大きなため息とともに膝から崩れ落ちた。

だが、次の瞬間、スタジアム全体から再び「ハポン」コールが湧き上がった。会場に詰めかけたすべての人たちがスタンディングオベーションで日本代表の健闘をたたえ、記者席に座る我々日本メディアにも拍手をしながら特大の「ハポン」コールを送ってくれる者もいた。

「世界というものを教えてもらった」
試合後、再びあの横断幕を持って場内を一周した。いつまでも響く割れんばかりの拍手と「ハポン」コールへの感謝を表すためでもあった。泣きながら手を振り、何度もスタンドを見回した。

「悔しかったけど、あの光景は初めてだったし、いろんな意味で世界というものを教えてもらった。あの大合唱は本当に鳥肌が立ちました」

南野はミックスゾーンで目を真っ赤にしながらこう語った。中島もまた「ワンプレー、ワンプレーで観客が凄く沸いてくれたし、プレーしていて楽しかった。悔しいけど、世界でプレーしたい気持ちが強くなった」と刺激的な時間を振り返った。

色あせないメキシコの景色。
日本サッカー界としては初となるU-17W杯ベスト4進出は叶わなかったが、「94ジャパン」がメキシコで残したインパクトは絶大だった。たくさんの「ハポン」コールを受けた少年たちは、現在、Jリーグにとどまらず、世界をまたにかける活躍を見せている。

今でもあの当時の選手を取材すると、必ずメキシコの話になる。

鈴木は「懐かしいですね。やっぱりメキシコで経験したことはとてつもなく大きな財産になっています。世界が一変したし、人間的にも大きな成長につながった」と話せば、早川も「本当に凄かったですよね。ピッチから360度満員のスタンドを見て、地鳴りがするような歓声と日本コール。負けて悔しい気持ちがあるのに、あんなに鳥肌が出たのは初めてでした。本当に忘れられない光景です」と懐古する。

9年前、メキシコの地で感じたフットボールの素晴らしさと「ハポン」の大合唱。再びあの素晴らしい瞬間に立ち会えるように、彼らは今やれるべきことに向き合い、走り続けている。

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