G大阪・遠藤保仁を楢崎正剛氏が語り尽くす…すごく駆け引きしてくる FKでも相手マークでも

G大阪の元日本代表MF遠藤保仁(40)が、2月23日の横浜M戦(日産ス)でJ1最多出場記録・631試合に並んだ。現在中断中のJリーグが再開されれば、新記録達成は確実となっている。スポーツ報知ではこの大記録に際し、遠藤と縁の深い4人の選手、元選手を取材。Jリーグが中断期間中の今、ネット限定の連載としてお届けする。第2回は遠藤とともに記録保持者となっている元日本代表GKで現名古屋クラブスペシャルフェロ―の楢崎正剛氏(43)。(取材・文 G大阪担当・金川誉)

遠藤が重ねた631試合の重みを、唯一身をもって理解できるのが楢崎正剛氏だ。遠藤がプロ1年目を過ごした横浜フリューゲルス時代の先輩であり、日本代表でもともに2度のW杯(2006年ドイツ、2010年南アフリカ)などを戦ったチームメートでもある。2018年に現役を引退し、現在は名古屋のクラブスペシャルフェロ―としてGKの後進育成に力を注いでいる同氏。開幕前の2月、名古屋のクラブハウスで取材に応じてくれたかつての名GKは、自身の記録を抜こうとしている後輩について「ヤットが一番になることに、誰も異論はないですよ。僕には荷が重い、という感じはあったので。彼がふさわしいと思います」と笑い、思い出を振り返ってくれた。

楢崎氏と遠藤との出会いは1998年。鹿児島実高からフリューゲルスに加入してきた高卒ルーキーの印象は「丸刈りが伸びたてで、初々しかった」というプレーとは一切関係がないもの。しかしそんな18歳は、当時日本代表MF山口素弘やブラジル代表MFサンパイオら、そうそうたるメンバーと肩を並べ、開幕スタメンに名を連ねた。「若手を後ろから見ると、大丈夫かなとか思うものですけどね。何試合かこなしているうちに、それ(スタメン)に値するな、と感じました」

当時のフリューゲルスは、元バルセロナのカルロス・レシャック監督の下、当時日本ではまだなじみの薄かったポゼッションを重視したサッカーに取り組んでいた。「いい選手はいっぱいいましたけど、メンバー的には前年までいたブラジル人がいなくなって、監督も変わって、新しくスタートした年だった。バルセロナから来た監督で、ボールを大事にする流れがあった。それがヤットのプレースタイルとフィットした、という風には見ていました」。開幕戦の横浜M戦、5万人以上の観客を前にしてもひょうひょうとプレーする遠藤に「今でもそうだと思いますけどマイペースで。普通にやっているだけでも、(他の若手とは)違うなと」と、異質な何かを感じとっていた。

フリューゲルスは98年を持って消滅し、楢崎氏は名古屋、遠藤は京都を経てG大阪へ移籍。Jリーグでは幾度となく敵として対戦し、代表ではチームメートとなった。長く日本のトップGKとしてプレーしてきた楢崎氏の目には、遠藤はどう映っていたのか。2010年に名古屋が優勝した際にはG大阪が2位と、クラブ同士タイトルを争ったこともある中で「攻撃的なガンバの中で、そのタクトを握っているのはヤット。だからできればそこを潰したい。でも周りの質も高くて、それを利用してかいくぐってくる。うちは強力な外国人FWがいる、というイメージで、ガンバはヤットを中心に中盤がすごく強かった」。さらに司令塔としての能力はもちろん、セットプレーのキッカーとしても印象深いという。

「同じところに同じような強さで(ボールが)入ってくるとなったら、合わせるほうも合わせやすい。それができる。あとはGKとの駆け引きですね。特に直接(FK)の時は、すごく駆け引きをしてくる。キックがうまい選手はたくさんいるけど、GKのことをあまり考えていない人もいる。でもヤットや(中村)俊輔は、GKのことも考えている。よく観察してくるというか。見ているというか。狙うか、狙わないか、という微妙な位置でFKの時。やたら中を見ているなと思って、合わせてくると思わせたいのかな、と思ったら、直接狙ってくる、とか。そういう細かい駆け引きを、すごくしてくるんですよね」

一方、日本代表では02年の初代表入りから2006年のドイツW杯で出場なしに終わるまで、レギュラーと呼べる立場ではなかった遠藤。しかし「選手同士は、試合だけじゃなく練習からも力が見えている。試合に関わるとなれば、監督の考えとかもあって、なかなか出られなかったりするけど、選手間での評価はすごく高かったですね」という。06年途中のオシム監督就任をきっかけに「オシムさんの日本人に合ったスタイル、ボールを大事にする、動く、そういう面でもうまくマッチしていく姿を見た」。その中で印象に残っているのが、意外にも守備時のセットプレー対応における姿だという。

「日本はセンターバックにはある程度、背の高い選手がいるけど、それ以外ってあまりいない。だから困っていたんですよ。そうなったとき、身長とか考えると(178センチの)ヤットが、相手のでかい選手をマークする。でもそこでやられることがないんですよ。任されたタスクについて、絶対やりぬくというメンタリティーがある。あとね、意外にきたなかったりもする。陰で相手に自由にさせない駆け引きをやっている。ファウルにならないように。賢くね」

確固たる自身のスタイルを持ち、さらに得意とするプレー以外でも、強い責任感を発揮する。そんな遠藤だからこそ「長くやれるタイプだろうな、と思っていましたよ。ポジション、プレースタイル的にも」と、自身の記録に並んだことに驚きはない様子だった。一方で「プレーヤーは、タイトルや記憶に残るプレーで評価されたほうがうれしいんですよ。なにかに到達したらおしまい、という感覚はないと思う。彼はまだ終わっていない。僕を抜いたからといって、満足というものは全然ないと思いますよ」。それは楢崎氏が631試合を積み上げた中で感じていた感情だったのかもしれない。スパイクを脱いだ後に、記録を眺める時間はいくらでもある。現役を去った先輩として、最後のフリューゲルス出身選手となった後輩に期待することは、まだまだサポーターの記憶に刻まれるプレーを続けることだった。

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