「誰にも負けない」 J1最多タイ出場の遠藤保仁、自身が認める唯一無二の“才能”は?
【インタビュー|第1回】J1最多タイの通算631試合出場を達成した鉄人に迫る
ガンバ大阪MF遠藤保仁が23日、Jリーグ開幕戦となる横浜F・マリノス戦(2-1)でJ1最多タイとなる通算631試合出場を達成した。2018年限りで現役を引退した元日本代表GK楢﨑正剛(名古屋グランパス)に並ぶ大記録。このほど、記録達成を控えていた遠藤は合同インタビューに応じ、自身が「誰にも負けない」と感じることや、移籍についてなど、キャリアを振り返りながら心境を明かした。
背番号7の姿が開幕戦のピッチでも輝いた。プロ23年目を迎えた遠藤は、横浜FM戦に先発出場。J1最多タイとなる通算631試合出場だけでなく、連続開幕スタメンも最多の「21」に更新した。1998年に鹿児島実業高校から横浜フリューゲルスに入団。この日と同じスタジアム(当時の名称は横浜国際総合競技場)で高卒1年目から開幕スタメンに名を連ねた。開幕戦で先発を外れたのは京都パープルサンガ(当時)に所属していた99年のみ。13年のJ2時代を含めて21年連続でスタメンを務めた。さらに、プロ1年目から23年連続での開幕戦出場。横浜F時代の先輩である楢﨑に並ぶJ1最多タイとなる通算631試合出場という記録ずくめの一戦とし、9年ぶりの開幕戦勝利を飾った。
18歳でデビューし、今年で40歳。身体的な衰えを感じないと言えば嘘になる。だが、そのなかでも遠藤を駆り立てるのは試合がある、ということ。そのためには台頭する若手と切磋琢磨しながら、チーム内での競争を勝ち抜かなければいけない。毎年毎年、厳しい状況に追い込まれるなかでも、遠藤は今年も開幕戦のピッチに先発で立った。
「基本的には目の前の試合に出たいというのが大前提になってくるので、若手と同じようなことをしても体が壊れる可能性もありますし、逆にセーブしすぎて、本来やっていかなければいけないことをやっていなければ、落ちていくだけなのでその辺は難しい立ち位置ですけど、でも、元気なうちは若手と競争し合いながら、日々のトレーニングをやっていれば問題ないと思うので、それプラス自分の体と向き合ってという感じで続けていければ」
遠藤保仁、という選手の存在意義。もちろん、偉大な現役選手ということには変わりないが、一本のパスで観客を魅了するセンスは簡単に真似できるものではない。「なぜ、そこが見えていた?」という場所にもパスが出てくる。それでも視野の広さは「年を重ねるごとに狭くなる傾向にあると思う」という。コンタクトなしで1.5だった視力も最近は1.2へと落ちた。だからこそ、自分の体の声を聞いて、工夫する。
遠藤が語る「誰にも負けない」こと 「誰にも分からないですけど…」
「ゲーム中、常に周りを確認してというのは昔より増えたと思いますし、それはやらないとダメだと思うので、状況確認する作業は増えたと思います。できれば全員のポジションを確認したいと思っているので、首を振るようにはしていますし、もちろん状況は常に一緒ではないので、ミスする時もありますけど、できる限りそういう状況を保ちながらプレーしたい」
出番が途中出場となる時も、もちろんある。スタートからピッチに立てない悔しさを押し殺して、まずはイメージする。すべてのことをプラスに捉え、後ろは振り返らない。
「見られるんでね、ベンチで。ある程度『こうなったらこうなるだろうな』という予想を立てながらピッチに入っていけるので、それをベンチにいる選手と話すことで少しずつ意見もあって、動きも変わってくるかもしれない。最初から入るよりもちろん見やすくなるので、ただ単に見るというのではなく『こういう時にはこうしたほうがいいんじゃないかな』というふうに思いながら見てます」
試合出場へ貪欲な姿勢があるからこそ、1試合1試合を積み重ね、J1最多タイの631試合へと到達した。昨年8月2日、J1第21節ヴィッセル神戸戦では、遠藤自身が「ものすごく価値がある」という公式戦1000試合を達成。それは誰にも負けないと思っていることがあったからだ。
「頭ですかね。誰にも分からないですけど。頭で考えてプレーするということは、思って考えてきたので誰にも負けないかな。途中から入っても最初から出ても何かしら変化はつけたいなと思っていますし、チームが上手くいっていない状況からいい状況に持っていくのは面白いところの一つでもあるので、そういう時に体が勝手に動くのは一番いいと思いますけど、頭でしっかり考えて、という試合が増えていけばいいかなと思っています」
遠藤に迫った海外移籍のチャンス…セリエAのジェノアは「熱心だった」
98年に横浜Fへ入団し、クラブの消滅を機に翌年には京都へ移籍。00年にG大阪へ加入した。京都から移籍する際には多くのクラブからオファーが届き、「数チームでは迷っていた」という。そのなかでも「ガンバが一番いいやろなと思っていました。ガンバは若くていい選手が多かったので、普通に考えたらガンバしかないかなという感じになりました」と、新天地を決めた。
新天地では西野朗監督(現タイ代表監督)の下、絶対的な選手となり、日本代表としても欠かせない存在となった。もちろん、海外クラブからも注目されることが増えた。キャリアをすべてJリーグで過ごしてきた遠藤だからこそ達成できた記録でもあるが、海外移籍を考えなかったわけではない。
「何がなんでも行きたいというのは代理人に伝えていなかったので、別に行けたらという感じでしたけど……(セリエAのジェノアは)イタリアに興味なかったので、行く気はなかったですけど、熱心だった。スペイン、ポルトガルらへんは行きたかったですね。そこらへんで(オファーするクラブの)名前が出ていたら、もしかしたら(行っていたかもしれない)」
次節の3月1日ベガルタ仙台戦(ホーム)でピッチに立てば、J1最多出場記録を更新する。「目の前に大記録があるというのはJリーグにいないとできなかったと思うので、そこに後悔とかはない」。長年過ごしたG大阪で、そしてホームのサポーターの前で、再び金字塔を打ち立てる背番号7の姿が見られるはずだ。