昌子源、ガンバ移籍会見で明かした「鹿島で習ったこと」とは? 長引いた怪我、中学時代の挫折にも言及

「トゥールーズのメディカルの方となかなか合わなかった」
フランス1部トゥールーズから完全移籍でガンバ大阪に加入した元日本代表DF昌子源(27)が5日、入団会見を行なった。背番号は「3」。ジュニアユースに所属していた07年以来13年ぶりの古巣復帰で、青と黒のユニホームに袖を通した際には「ワクワクではなくドキドキしている」と緊張気味。「中学の時はそこまでサッカーで名前を残さなかった。G大阪のユニホームを着て、今回は名前を残したい。あの時とは違うオレを見せたい」と意気込んだ。

鹿島で11年から8年間在籍。ロシア・ワールドカップではJリーグ勢唯一のレギュラーとなり、3試合に出場した。19年1月にトゥールーズへ完全移籍。ロシア・ワールドカップの決勝トーナメント1回戦・ベルギー戦では足が届かずに決勝点を決められ、その〝数センチの差〟を埋めるために海外へと活躍の場を求めた。

だが昨年の9月、11月と右足首を負傷。「トゥールーズのメディカルの方となかなか合わなかった。長い間怪我で休んで、リハビリしても良くならなくて……。長い時間が掛かるなか、怪我を治すことを考えた時に日本に帰ろう、と」。日本復帰を画策し、古巣・鹿島にも売り込んだが、すでに編成を終えた後のタイミングだったため折り合わず。そこで手を挙げたG大阪入りが急転決まった。

G大阪ジュニアユース時代を振り返れば「悔しい思いしかしていない。挫折ですよね」という。当時はFWで、同期には宇佐美貴史。「逆立ちしても勝てない」と言う他ない、圧倒的な実力の差を目の当たりにし、出場機会をなかなか得られなかった中学3年次にクラブを退団した。ただ「逆にそれが良かった。ガンバへの思いはあったので」と昌子。そして進学した米子北高でDFにコンバートされると才能が開花した。鹿島だけではなく日本を代表するセンターバックとなり、国際Aマッチ18キャップ。大きな成長を経てのガンバ復帰に「お世話になったスタッフもいる。恩返しできる強い気持ちを持っています」と話した。

「1年目だろうが、1日目だろうが関係ない」
会見では何度も鹿島絡みの質問やコメントが飛び出した。「鹿島に恩義を感じているのは事実です」。それは偽らざる本音だろう。一方の「ガンバに決まった以上は、このチームでタイトルを取るためにやっていく」という言葉も本音だ。まだ右足首の状態確認のため別メニュー調整中で、本格合流の時期も未定。それでも『常勝軍団』と謳われる鹿島で計6冠獲得に貢献したセンターバックは、早くもリーダーの風格を漂わせている。

「ガンバが目指せるものすべてに僕の力をすべてもたらしたい。引っ張る覚悟です。そこは1年目だろうが、1日目だろうが関係ない。それは鹿島で習ったし、チームは違えど、還元できると思う。結局、サッカーは優勝チームと、優勝していないチームに分かれる。2位以下は一緒。優勝あるのみ。優勝する雰囲気を自分から発信していきたい」

運命の糸に導かれるように、13年の歳月を経て邂逅を果たした昌子とG大阪。見据えるのは5年ぶりのタイトル獲得だけだ。

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