功労者・二川孝広の突然の移籍。困惑するファン、葛藤したG大阪、そして決断した背番号10

6月末、G大阪のレジェントである二川孝広の東京ヴェルディへの移籍が発表された。出場機会は減っていたものの、功労者である二川の移籍はファンに大きな 衝撃を与えた。アカデミー出身で、天才的なパスセンスでファンを魅了してきた背番号10は突如クラブを去った背景には何があるのか?

G大阪アカデミーの最高傑作・二川の移籍。ファンに衝撃

 ガンバ大阪U-23が長野と対戦した7月3日。キックオフ前のゴール裏に、まるで的外れな横断幕が掲げられていた。

〈功労者を大切に出来ないクラブに未来はあるのか?〉

クラブ側とのやり取りの結果、キックオフ時には姿を消していた横断幕のメッセージが意味した「功労者」とは6月28日に東京ヴェルディへの期限付き移籍が発表された二川孝広である。

宇佐美貴史がガンバ大阪でのラストマッチを終え、盛大なお別れセレモニーで送り出されたわずか3日後に発表された二川の期限付き移籍は、多くのサポーターにとって衝撃的なものだった。

移籍が発表された翌日の29日午前、市立吹田サッカースタジアム内で急遽行われたファンサービスに詰めかけたサポーターは実に400人。「本当にありが たいですし、それだけ応援してくれたんだなっていう感謝の気持ちでいっぱいです」と二川はサポーターへの思いを口にしたが、その実績を考えればサポーター のリアクションは当然だった。

宮本恒靖や稲本潤一、宇佐美ら数々のスター選手を生み出して来たガンバ大阪のアカデミーではあるが、考えようにとっては「最高傑作」と称するに相応しい男が二川という希代のパサーだった。

1999年にトップチームに昇格。クラブ一筋のサッカー人生を送って来ただけでなく、2003年からは背番号10を託され、13年半、エースナンバーに相応しい活躍を見せて来た。

「黄金の中盤」と称されて来た全盛期のパスサッカーでは遠藤が理詰めのパスで、ボールを動かすとバイタルエリアでキュッと前を向き、一撃必殺のスルーパス を供給。当時、ポルトガル語通訳は「まず、フタ(二川)と仲良くなれ」と新加入のブラジル人選手にはアドバイスを送るほど、二川が果たしていた役割は大き かったのだ。

変わらぬ評価も出場機会減。本人も移籍も決断

 長谷川健太監督が就任した2013年こそJ2で36試合4得点と主力の座を保った背番号10ではあるが、三冠イヤーとなった2014年は途中出場中心でリーグ戦19試合1得点、昨年はルーキーイヤーの5試合にも届かない2試合出場のみに終わっていた。

もっとも指揮官の二川評は「フタのようなパスを出せる選手は他にいない」。ベテランへの気配りを忘れない長谷川監督のリップサービスでないことは、昨年のACLの大一番での起用を見れば明らかだ。

ホームに広州恒大を迎え撃った準決勝のセカンドレグで、調子を落としていた宇佐美に代わって長谷川監督が送り出したのは二川だった。

しかし、過去2シーズンを振り返れば、背番号10がサブに甘んじたのは無理もない事だった。

2003年、二川に背番号10をつけるよう厳命した西野朗元監督は、そのパスセンスに惚れ込んでいた1人。そんな西野氏が名古屋グランパスの指揮官として万博記念競技場に戻って来た昨年9月のナビスコカップ準々決勝の後、二川のプレーをこう分析したのだ。

「しょうがないよね。今のガンバの中盤は、こうだもんね」と握りしめた両手を上下動。ハードワーカーの阿部浩之と大森晃太郎が担っている守備面での役割をこなしきれない背番号10の出場機会が激減するのも無理はない状況だったのだ。

「トップで出番がないことが移籍を決めた決め手だった」(二川)。

アカデミー時代から慣れ親しみ、ある意味では遠藤以上にクラブの象徴的なタレントだった男に対して、クラブは冒頭の横断幕に記されたような振る舞いをしてきたわけではない。

二川も言う。「去年も出場機会が減って来ていたので、移籍した方がいいのかなと思ったけど、そこでオファーもなかったし、ガンバも契約延長をしてくれたのでしっかりとここで頑張ろうと切り替えてやっていた」

疑問残る長谷川監督の起用法。本人は安定よりチャレンジを選択

 J2の京都サンガから照会はあったものの、二川の獲得に手を挙げたJ1はゼロ。「功労者は絶対におかしな切り方をしてはいけない」という強いポリシーを持つ長谷川監督だけに、クラブ側も彼に対しては最大限の誠意は見せていた。

ただ、18年目のシーズンにあたってクラブ側が出していた条件の1つは「J3で若手に見本を見せてもらう、若手に勉強をさせる」(上野山信行取締役アカ デミー部長)である。シーズン当初、J3を主戦場にしながら、トップでの出場機会を目指すという立ち位置を理解していた二川ではあったが、随所でトップで のプレーに執着心をのぞかせていた。

ガンバ大阪U-23がJ3の開幕戦に挑んだ3月13日は、トップチームがACLのアウェイ・上海上港戦に向けた遠征に出発する日でもあった。市立吹田 サッカースタジアムで行われるJ3の試合には、選手たちはクラブハウスから1分ほど歩いて向かうのだが、オーバーエイジ枠でJ3に出場する二川は、トップ チームが空港に向かうバスを見るとこんな冗談を口にした。

「オレ、こっちのバスで行くわ」

記者に対して自分から軽口を叩く事など皆無に近い背番号10の言葉からはトップチームに対する思いが痛いほど伝わって来た。

疑問が残るのは今季の長谷川監督の起用法である。攻守の歯車がほぼ噛み合い、ハードワーカーが幅を利かせていた昨年までと異なり、チームは序盤、新たに模索する方向性の中で迷走を続けていた。

先発が難しかったとしても、短時間ならば流れを変えうる存在だったのは今季トップチームで唯一プレーしたアウェイのメルボルン・ビクトリー戦を見ても明 らか。途中出場で全く期待感のないプレーに終始するのみだった藤本淳吾や大森晃太郎らに代わって、ピッチに立ってもおかしくはなかった。

「出場機会はファーストステージよりあるけどなと話はした」という長谷川監督に対して、二川が選択したのは「迷う気持ちはあったけど、ここで安定した生活 のためだけに残るのか、チャレンジして現役を続けるために頑張るのかという選択で、後者を選択しました。試合に出たいなというのがあったので」だった。

そんな36歳に目をつけたのがJ2で低迷が続く東京ヴェルディの竹本一彦GMだった。

「功労者だからこそ」。ガンバが送り出した理由

 昨年、広州恒大との準決勝で先発する二川を万博記念競技場で目にしていた竹本氏はかつてガンバ大阪で指導者として二川と接した間柄。大阪まで直々に、背番号10を口説きに来たという竹本氏の存在も「大きかった」、と二川は言う。

「生え抜きのレジェンド」という肩書きよりも、あえて他クラブで一からの競争に身を投じる決意をした天才パサーだが、忘れてはいけない事がある。その実績と功績を認めるが故に、クラブはその挑戦を受け入れたということだ。

二川が400人へのファンサービスを行っている間、トップチームの練習を見守っていた上野山取締役アカデミー部長は複雑な胸の内をこう明かした。

「背番号10をつけた選手にどうしてこういう扱いをするんだ、とサポーターの方に言われるのは分かっているんですよ。ただ、本人が試合に出る事にこだわっているし、そこは本人の意思を尊重した。本当は契約上クラブの管理下にあるんだから、ノーと言えるんだけどね」

エースナンバーを背負い続けて来た小柄なファンタジスタは、新天地での一からの競争にこだわった。そして二川を育てたガンバ大阪は「功労者」だからこそ、その決断を尊重した。

他クラブのユニフォームを着る二川などサポーターなら誰もが見たくないのは事実だろう。明確な正解がない生え抜きのレジェンドとクラブの関係性――。ただ、長年パスサッカーを支えあってきた遠藤が送ったエールが一番の正解に近いのかもしれない。

「このチームで一番長く在籍している選手がいなくなるのは大きなことだけど、活躍しているところを見たいし、活躍しているところが見られなくなる方が寂しいんでね。ヴェルディに行ってまた活躍するところを見せて欲しい」

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