藤春、亡き父が続けさせてくれたサッカーで嬉し涙を

<手倉森JAPANリオで金託された18人(3)>

工場が立ち並ぶ物作りの町、東大阪市。G大阪DF藤春広輝(27)の練習場はその一角だった。小学校から帰ると、母洋美さんの実家の工場「宮川シール」 へ一目散。父末広さんが勤めており、背中を見ながら工場でボールを蹴るのが日課だった。練習相手は父の同僚だが、大人にボールを奪われてはすぐに泣き、あ だ名は「泣き虫ヒロ君」。

最初の挫折は小6の時。G大阪ジュニアユースの最終選考に残った。工場での“特訓”で自信はあった。郵便受けに入っていた最終通知。マンションの廊下を走 りながら開封したが、結果は落選。「落ちたわ…」。ショックは大きかったが、立ち直らせたのは「好きなようにやっていいよ」という父の口癖だった。その一 言があったからサッカーを続けた。

しかし生活は突然変わる。東海大仰星高3年時に父が拡張性心筋症を発症。東海大進学が決まっていたが母に「大阪に残って」と頼まれ、急きょ大体大に進路 変更。在学中は深夜にこっそりコンビニで働いた。練習後の疲れている体で生活費を捻出。涙はもう流さない。父と約束した好きなサッカーを続けるため、一人 前の男に成長を遂げた。

最愛の父は大学4年時の10年7月9日に他界。あれから6年がたち、日本代表の一員としてW杯予選に出場するまでになった。昨年11月17日、W杯アジ ア2次予選カンボジア戦。左クロスでFW本田のゴールをアシストした。得点後、本田と抱き合った。その写真が始まりの場所である工場に飾ってある。次は、 メダルとともに汗とうれし涙が詰まった五輪の写真を掲げたい。

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