【G大阪】「織田5大将」末裔・丹羽、代表初選出も「驚きなし」 スポーツ報知 6月2日(火)7時2分配信

大阪・吹田市内での練習後に聞いた29歳での初代表。丹羽の表情は自信にあふれていた。「僕は(代表に)入るつもりでしたから。驚きはなかったですよ」。5月の代表候補合宿に招集された際は、本職ではない右サイドバック。しかし、その後もクラブではセンターバックとして結果を出し続け、念願の日本代表にたどり着いた。

 実は織田信長に仕えた「織田5大将」の一人、丹羽長秀の末裔(まつえい)にあたるという。祖父は織田家の領地だった愛知県出身。「じいちゃんから『おまえには武士の血が流れてるんやからな』って言われてました」。高校2年時、その祖父が亡くなる直前には「おまえは武士の子孫だから、二刀流はせずに一刀流で生きろ」とサッカー一筋に打ち込むよう背中を押された。J2クラブを渡り歩いた経験も持つが、どんな環境でも努力を重ねてきた。そんなストイックな性格は、幼少期からたたき込まれてきた“武士の魂”が無関係ではない。

 招集された4人のセンターバックで最年長だが、代表での経験値は劣る。それでも「オフ・ザ・ボール(ボールを持たない時)の準備、細かいラインコントロールは誰にも負けない。パートナーの良さを引き出すのも特徴です」と代表デビューへイメージを膨らませた。ハリルホジッチ監督も「彼以外にも4、5人候補はいましたが、彼はここに来てくれた。センターもサイドもできる。彼も代表に入る資格があると証明してほしい」と期待をかけた。織田信長とともに乱世を駆け抜けたご先祖様のごとく「下克上、起こしてきますよ!」と力強く笑った熱き守備の男。代表デビューへ、準備は整っている。(金川 誉)

 ◆丹羽 大輝(にわ・だいき)G大阪ユースから2004年に昇格。07年以降は徳島、大宮、福岡にレンタル移籍し、12年にG大阪復帰。家族は妻と1男1女。

 ◆丹羽 長秀(にわ・ながひで)1535年10月16日、尾張国春日井郡児玉(現在の愛知県名古屋市西区)生まれ。織田信長に仕え、1573年に若狭(現在の福井県南西部)一国を与えられ、織田家臣で最初の国持ち大名となった。安土城築城の責任者も務め、信長の死後は羽柴秀吉軍に参戦し、山崎の戦いで明智光秀を討った。51歳没。

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