中村敬斗が明かすドン底の試練「本当にキツかった」 半年間も試合に出られず…それでも帰国しなかった本当の理由
中村敬斗選手は、今年のサッカーワールドカップで名を挙げた選手のひとりだ。プロとして、サッカーに挑み続ける──。インタビューからは強靱な精神力と覚悟を持って歩んできた青年の姿が浮かび上がった。AERA 2026年9月14日号より。
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中村敬斗(以下、中村):特に最後のブラジル戦は、もっと何かできたんじゃないかなと思います。そう考えると、やっぱり悔しさは強いです。
──初出場の北中米W杯で全4試合に先発し、1得点1アシストという成果を上げ、日本のグループリーグ突破に貢献した。大会について感想を求められると、決勝トーナメント1回戦(ベスト32)で敗れたブラジル戦への思いを率直に口にした。
中村:66分で交代しましたが、僕自身はまだまだプレーできましたし、もっとプレーしたい気持ちはありました。ただ、ブラジル戦は前半がすごくよかったけど、後半は相手が戦い方を変えてきたことにうまく対応できなかった。チームとしても、思い通りの戦いができていなかったですし、交代は仕方のない部分もあったと思います。
ただ、いい勝負をしたと言われても、自分たちは優勝するために戦ってきたから。
■点を取ることの快感 ──思い描いていた通りの大会だったかどうかはともかく、「W杯が世界で一番大きな大会」であることは肌で感じた。緊張感はあったが、自ら仕掛けた場面では、世界を相手に持ち味を示した手応えがある。
中村:初戦のオランダ戦でピッチに立った時の歓声もそうですし、世界中がこの大会に注目していることは実感しました。会場の規模や観衆、報道陣の数を含め、大会期間中は非日常の連続でした。
4試合で一番印象に残っているのは、やっぱりオランダ戦のゴールかな。チュニジア戦のアシストもうれしかったですが、サッカーをやっていていちばんの快感は、やっぱり点を取ることですから。それを求めて日々トレーニングしていますし、大きな舞台で、相手が強ければなおさらです。ただ、W杯を通して自分のプレーが通用したと感じた部分があった一方で、達成感はまったくないです。
──初めて見たW杯は、幼稚園の年長だったときの2006年ドイツ大会。ロナウジーニョらスター選手を擁したブラジル代表に夢中になり、2年後には父親と2人でブラジルを訪れている。
中村:8歳だったので、詳しいことは覚えていないのですが……。ただ、ドイツW杯のあと、両親にずっと「ブラジルに行きたい、行きたい」と言って、ポルトガル語の勉強もしていたみたいで。まだ子どもだったので、移動距離や費用のこともわからず、とにかく現地に行ってみたいという気持ちだけでした。不安なんてなかったですし、ブラジルでは地元の人に、ドリブルやリフティングでひたすら勝負を挑んでいました。そうした経験で海外志向が強まり、いまにつながっている部分はあるかもしれません。
■ピッチではライバル
──2019年夏、まだ10代だった中村は、ガンバ大阪からオランダ1部トゥウェンテへ期限付き移籍した。以来7年、オランダ、ベルギー、オーストリア、フランスと欧州のクラブを渡り歩いてきた。
中村:海外へ行くことに、抵抗はまったくなかったです。むしろ、楽しみでワクワク感しかなかったというか。
──欧州での出だしは好調だった。オランダでは移籍直後から得点を重ねた。しかし、翌年に移ったベルギーのシント=トロイデンでは、出場機会を失った。故障も重なり、練習に参加できない時期もあった。
中村:シント=トロイデンのときは本当にキツかったです。ほぼ半年間、試合に出られなかったですから。チームには日本人選手も何人かいました。ただ、試合に出られないことを相談することはなかったです。ピッチの外では仲がよくても、ピッチに入れば日本人も外国人も関係なくライバルですから。うまくいかず、気持ちがモヤモヤしているときに、日本時間の深夜に家族へ電話して、愚痴をこぼしたことはありましたけどね。
──当時の所属元だったガンバ大阪から、帰国を勧められたこともあった。だが、自分を信じ、欧州でのプレーにこだわった。
■自分で解決する
中村:ガンバからは「一度戻って、再挑戦すればいい」と言ってもらいました。でも、それって言うほど簡単じゃない。年齢が上がれば上がるほど海外移籍は厳しくなりますから、僕の中に「帰国」という選択肢はなかった。自分を否定したくない気持ちもありましたからね。
──「ドン底」のなか、中村はオーストリア2部へ移籍。そこで出場機会を取り戻し、半年後には1部LASKリンツへ完全移籍した。そこでの活躍が、日本代表デビュー、スタッド・ランス移籍、初出場のW杯へとつながった。
中村:まわりからは順風満帆に見えるかもしれませんけど、全然そうじゃない。苦しい状況に直面したとき、どう乗り越えるのか? 腹をくくるというか、とにかく練習しました。まわりに相談もしましたが、基本的には最後は自分で解決するしかないですから。性格は頑固ですかね。ただ、性格が頑固ってイメージはよくないような気がします。こだわりが強いってことにしておいてください(苦笑)。
──26歳にして、キャリアの大半を欧州で過ごしてきた。苦境のなか、帰国という道を選ぶこともできたが、欧州に残る厳しい道を進んだ。その選択が、現在を形づくってきたのは間違いない。
W杯を経て、日本代表は新たなフェーズを迎える。今後は、同じ2000年代生まれの久保建英らとともに、チームを引っ張る役割が期待されるのではないか。 中村:代表でどういう存在になるかは、僕が決めることじゃない。プレーで引っ張っていくのか、声を出していくのかもわからないですけど、僕は声をかけて盛り上げるタイプでもないし、ガツガツとリーダーシップを取るタイプでもないですから。いつも通りやるだけ。
年代別代表では飛び級でプレーすることが多かったから、キャプテンとして先頭に立ったこともないし、無理に何かを変える必要はないんじゃないですか。



