『JINTAN U-14 ADFT』スペシャル対談 木場昌雄VS半田陸(ガンバ大阪)
現役時代はガンバ大阪やアビスパ福岡をはじめ、タイでもプレーした木場昌雄氏が2014年にスタートした『JINTAN U-14 ASEAN Dream Football Tournament』(略称:U-14 ADFT)。来年には記念すべき10回目の開催を迎えるという。
今回は14歳の時に同大会に出場し、現在はガンバ大阪の右サイドバックとして活躍中の半田陸選手をゲストに迎え、当時の思い出話にも花を咲かせながら、木場氏が同大会に込める想い、今後の展望などを伺った。
■「この大会で初めて、海外の選手と戦うのって面白いなって思いました」(半田)
―対談を始めさせていただきます。よろしくお願いします。
木場昌雄(以下、木場) お時間をいただいてありがとうございます。
半田陸(以下、半田) 初めまして、半田陸です。
木場 僕は半田選手が生まれる前の、1993年のJリーグ元年からガンバ大阪でプロキャリアをスタートし12年間、在籍していました。実は01年からは半田選手と同じ背番号『3』を背負っていました。
半田 ガンバでプレーされていたのはもちろん知っていましたけど、同じ背番号だったの初耳です。受け継がせて頂いています!
木場 普段は、DAZNの解説の仕事もさせていただいているので、スタンドから半田選手のプレーも楽しませてもらっています。昨シーズンはフル稼働の1年になりましたね!
半田 ありがとうございます。2023年にガンバに加入してからの2シーズンは、ケガで少し長い離脱をしてしまったんですけど、昨年はスタートから1年を通してピッチに立ち続けようと思っていた中で、それが実現できた、充実したシーズンになりました。ただパフォーマンスとしてはたくさんの試合に出場できたからこそ、得点やアシストという数字をもっとつけなくちゃいけなかったと思っています。
―今回は、木場さんが現役引退後に始められた事業の1つで、森下仁丹さんが冠スポンサーの『JINTAN U-14 ASEAN Dream Football Tournament』についての話を伺いたく、対談をお願いすることになりました。
木場 簡単に説明させていただくと、もともと僕はガンバを退団した後、アビスパ福岡やヴァリエンテ富山、FC MIOびわこ滋賀(現レイラック滋賀FC)を経て、2008年からの3年間、タイのカスタムズ・デパートメントFC(現カスタムズ・ユナイテッドFC)でプレーしたんです。ガンバに在籍していた時代からシーズンオフの自主トレなどでタイに足を運ぶ機会も多く、現地でいろんなご縁が出来ていたこともきっかけになりました。
半田 タイではどのくらいプレーされたんですか?
木場 3シーズン、プレーして2010年に引退しました。その時間を通して、タイの選手のポテンシャルの高さを肌で感じたこともあり、タイの選手がJリーグでプレーする橋渡しをできないかと思ったんです。そこで引退後、東南アジア初のJリーガー誕生を目指して『一般社団法人Japan Dream Football Association(JDFA)』を設立しました。以来、現地でサッカー教室を行うなど東南アジアと日本をつなぐ様々な活動を行ってきた中で、森下仁丹さんにサポートいただいて、14年から『JINTAN U-14 ASEAN Dream Football Tournament』を開催するようになりました。コロナ禍を除いて年1回の頻度で行っていて、今年は9回目の開催を予定しています。
半田 僕、その大会に出場していますよね?! 中学生の時でした?
木場 そうなんです! モンテディオ山形ジュニアユースチームに所属されていた中学2年生の時にご参加いただきました。
半田 覚えていますよ! 個人的に『海外遠征』ということでは山形選抜として韓国に行ったことがあったのですが、チームで海外遠征をしたのは確か『JINTAN U-14 ASEAN Dream Football Tournament』だけだったはずで…だからこそ余計に印象に残っています。チームメイトの中には『海外』自体が初めてだった選手もいたはずです。
木場 当時、タイのジュニアユース年代はなかなか海外のチームと試合をする場がなく…。またマインド的にも内弁慶な選手がすごく多かったんです。正直、U-14年代であればプレーの能力的にはタイも、日本も大差がないんですけど、世代が上がるにつれて、その年代で得られる経験値の差が日本との差を広げているような気がしていました。ということもあって、『JINTAN U-14 ASEAN Dream Football Tournament』は日本のチームをはじめASEAN諸国のチームにも参加してもらうタイ国内での国際大会として開催することにしました。半田選手が出場された時は日本から、川崎フロンターレジュニアユースチーム、名古屋グランパスジュニアユースチームも参加してくださっていました。
ープレー環境はもちろん、食事などの生活面も日本とは違う中で、どんなことを感じられましたか?
半田 僕自身も、タイ遠征は初めてだったんですけど、特にストレスを感じることはなかったです。というか、まだ14歳だったのでチームメイトといつもの国内遠征とはまた違った長距離の移動をして…という時間を含めて楽しく過ごした印象が強いです。あと…お弁当が美味しかった(笑)。
木場 そこ(笑)! 確か、ガパオライスとかタイ料理で弁当を用意したはずですけど、辛いのは大丈夫でした?
半田 僕は大丈夫でした! なのでお弁当に限らず、他のタイ料理も美味しくいただきました。
木場 中学生くらいの年代だと辛いのが苦手とか、匂いが得意じゃない、という選手もちらほらいて、お弁当でさえ苦戦する選手もいたりするんですけど、さすが、逞しい!
半田 基本的に今もそういう環境の変化や食べ物の違いみたいなところはあまり気にならないタイプというか。それも含めて遠征だと思っているので、子供の頃もそんな感じだったのかも知れません。
木場 当時はすでにアンダー世代の日本代表にも選ばれていましたか?
半田 いや、日本代表はU-15が初めてだったので、その時はまだ選ばれていなかったです。そういう意味では、海外で試合をする経験もあまりなかったので、そこまで自分に『海外』に対する耐性があったとは思えないんですけど…なぜか、大丈夫でした(笑)。
―当時はグループリーグで、清水エスパルスSSセレクション、バンコクユナイテッド、アーミーユナイテッド、チョンブリーFCと対戦し、首位で勝ち上がりました。決勝ラウンドは、マレーシア代表、BECテロサーサナ、PVFベトナムと戦い、20チーム中4位に終わりました。
半田 グループリーグは首位だったんですね! そこはよく覚えていないけど、PVFベトナムにPK合戦の末に負けた記憶はあります。
木場 3位以上のチームにはメダルが授与されるのでPVFベトナムに勝っていたら、半田選手もメダルを受け取っていたはず。そしたら、もう少し記憶に残っていたかも知れません。
半田 惜しいですね(笑)。それまで東南アジアのチームと対戦する機会なんてなかったのですごく楽しかったし、この時に初めて「海外の選手と戦うのって面白いな」って思った気がします。特に、タイの選手は技術があるというか、巧いなって印象があったし、マレーシアの選手は前線に能力の高い選手がいたのを覚えています。また、当時の僕はセンターバックでしたが、対峙したFWの選手にも日本人とは違うスピード感や、足が伸びてくる感覚があって、それも新鮮ですごく楽しかった印象があります。
■国際試合の経験が少ない10代前半選手が、ピッチ内外で異国を学び、プレーを磨く。
木場 試合中のレフェリーの笛にはどんなことを感じましたか? 近年はタイのレフェリーのレベルも向上したけど、半田選手にご参加いただいた当時はまだまだ低く…。選手が倒れるたびにピッピピッピと笛が鳴るような状況だったので選手も倒れ癖がついてしまっていたんです。実際『倒れればファウルを取ってもらえるだろう』という感覚でプレーしている選手も多かった。そこは日本チームのコーチングスタッフと話していても指摘されることが多かったし、僕自身もレフェリングを含め、タイの育成年代の課題の1つだと感じていました。
半田 正直、僕はそういう印象はなかったです。これは、僕らの監督がすごく熱い人でいつも「自分たちのプレー以外のところに矢印を向けるな!」と言われていたからかも知れません。実際、国内外を問わず、ピッチコンディションや環境の変化にストレスを抱くことはあまりなかったし、どんな状況に直面しても「これもいい経験だ」くらいに思っていました。
―国際試合だからこそ、得られた収穫もあったのでしょうか。
半田 僕自身は、プレー以上に、試合を重ねるにつれて『意識』が変わっていった印象が強いです。最初はいつもの国内戦のような感覚で臨んでいたけど、日本とはまた違うプレーの特徴や『サッカー』を体感して、試合をするうちにより意識が上がっていく気がしました。また、チームとしても、大会を通じてより結束力が強固になっていったというか。国際試合特有の雰囲気がそうさせていた部分もあった気がします。ただ…これは余談ですけど、僕たちは、宿泊ホテルが名古屋の選手と同じだったんです。でも、僕を含めて誰も名古屋の選手に知り合いがいなくて、ほとんど交流せずに終わりました。つまり、基本、サッカー以外の時間もチーム内でワイワイするのがメインで、それが結果的に結束力を強める時間になったという見方もできるんですけど、今になって思えば、もう少し他のチームと交流してもよかったなとは思います。今の自分なら、たとえば日本代表に選出されたときなども、初対面の選手でも話をするし、そこから新たな交流が生まれたり、いろんな知識を得ることもあるんですけど。そういう意味では、さっき木場さんがタイの選手は内弁慶だって話をされましたけど、当時は僕も山形の田舎者で内弁慶だった気がします (笑)。
木場 そういう僕も淡路島出身で、中学生の頃は淡路島からほぼ出なかったので、半田選手と似たようなもんでした(笑)。というか滝川第二高校に進学してからも、海外遠征をする機会は皆無でしたしね。それこそ僕は、日本代表に選ばれたのもU-19日本代表が初めてで、その時に韓国のチームと対戦したのが初めての国際試合でした。そういう状態からプロになって、いきなりACFフィオレンティーナ(セリエA)やニューカッスル・ユナイテッドFC(プレミアリーグ)と言ったヨーロッパの強豪とプレシーズンマッチで対戦したり、Jリーグでもストイコビッチやレオナルドといった世界的なスター選手と対峙するみたいな状況で…。どんなふうに体を当てれば飛ばされないのか、どうすれば抜かれないのか、実際にプレーしながら体感していった感じでした。その時に、育成年代でもう少し国際経験があれば自分に免疫がついていたかもな、と痛感した覚えがあります。実際、半田選手は15歳の頃から日本代表としても戦ってこられましたが、その経験が今の自分に活かされていると感じることもあるのではないですか?
半田 確かに15歳の頃から日本代表に選んでもらっていたことで、いろんな免疫力がついたというか。それが経験値になって後々の自分に活かされたなと思うところはたくさんあります。
木場 そう考えても若い時に何を経験するか、どんな体感を得られるのかはすごく大事だと思う。
半田 そういう意味では、僕にとっては『JINTAN U-14 ASEAN Dream Football Tournament』でアジアのチームと対戦していたことも大事な経験値になっています。実際、日本代表に選ばれてアジア予選を戦ったり、昨年から今年にかけてAFCチャンピオンズリーグ2を戦う中でも、その経験が自分の中でも活きているというか。免疫がある分、国ごとのチームの特徴やプレースタイル、プレーの癖みたいなところも含めて、その国の環境を受け入れやすいところもあるように思います。
木場 そう言ってもらえるとすごく嬉しいです。
―『JINTAN U-14 ASEAN Dream Football Tournament』に出場した選手が、半田選手のようにプロとして活躍しているケースも多いですか?
木場 そうですね。実は今回、半田選手との対談をお願いしたのも当時、山形ジュニアユースのコーチをされていた中村亮太さんとお会いする機会があった際に「半田陸も14歳の時に参加していましたよ」と伺ったのがきっかけだったんです。それを機に調べてみたら、ざっとカウントしただけでも30名近い選手がプロとして活躍されていました。宮城天選手(川崎)や鈴木章人選手(湘南ベルマーレ)、北野颯太選手(レッドブル・ザルツブルク)らもその一人です。最初にお話しした通り、大会の目的としては、東南アジアの選手を日本へ、という思いがあるとはいえ、日本の選手にもこうした機会を提供することによって、何らかの刺激があったらいいなと思います。
半田 僕自身、今大会を含めて海外遠征を重ねていくにつれて『海外でのプレー』に対する意欲が膨らんでいったことからも、必ず刺激はあると思いますよ!
■木場氏が『JINTAN U-14 ASEAN Dream Football Tournament』に描く未来。
木場 ちなみに、当時の半田選手は、こういった大会に臨むにあたって、あるいは、サッカーをする上でどんなことを心がけていましたか?
半田 基本、僕は『今の自分の精一杯を発揮しよう』というだけでした。だからこそ、勝っても負けても後悔がないというか。もちろん、負ければ悔しいし、自分の物足りなさにも直面しますけど『精一杯やった上での結果なら、また課題と向き合って頑張るだけだ』という気持ちになれていた気もします。それはプロになった今も変わっていません。自分の精一杯で今と向き合うことでしかキャリアは進んでいかないと思っています。それもあって近年は16〜17歳の頃のように漠然と『海外』に憧れることもなくなったというか。まずは『今、自分がいる場所でやるべきことをしっかりやろう』ということが最優先になっています。
木場 僕も現役時代は半田選手と同じスタンスでした。基本的に目の前のことにしっかり向き合っているから、その先にまた違う景色が見えてくると思っていました。ただ半田選手ほど、なんでもできる選手ではなかったですけど(苦笑)。実際、昨シーズンの半田選手は4バックの右で出場することが多かった中で、ポジションを変化させながら攻撃にも積極的に参加して…いつも『僕らの時代にはいなかったタイプの選手だな』と思いながら試合を観ていました。疲れ知らずのスタミナもすごかった!
半田 いや、シーズン最終盤はやや疲れていたというか…J1リーグをフルで戦ったのも個人的には初めてで、例年とは違う体の疲労感があったし、少し動きにくさも感じていました。それも踏まえて今シーズンは、1年を通してタフに戦える体づくりを意識して過ごしていますし、プレーや体のキレのところはもう1、2段階上げていきたいなと思いながら始動しました。
木場 今シーズン、ご自身の目標として描いていることはありますか?
半田 まずは12日から始まる沖縄キャンプを、ケガをせずによりパワーアップして終えられればなと思っています。この時期は毎年そうですけど、とにかく自分の体にだけ注力してコンディションを上げることに気持ちを向けているので、まずはそのベース作りを徹底したいです。今年はイェンス・ヴィッシング新監督が就任した中で新たなサッカー観に触れられるのも楽しみですし、新たな戦術の中で自分の引き出しを増やしながら攻撃のところでより数字を意識するシーズンにしたいと思っています。
―来年、『JINTAN U-14 ASEAN Dream Football Tournament』は10回目の開催を迎えます。更なる発展を目指して思い描いていることがあれば教えてください。
木場 来年はちょうど日タイ修好140周年にあたるメモリアルイヤーでもあるので、まずはJDFAの活動や大会をご支援いただいている森下仁丹さんをはじめ、ご協力いただいたタイの方たち、アジアの方たちにその感謝をしっかり伝えられる大会にしたいと思っています。あとは、以前から僕自身が活動を通じて描いてきた『東南アジア出身のJリーガーを』という目標を未だ実現できていないので引き続きそこは目指したい。半田選手のようにタイの選手にも自国でプロキャリアを切り拓いた選手は何人かいますし、例えば大会優秀選手に選んだ選手がタイ五輪代表に選ばれるといった嬉しい報告も受けているので、いつかその先にJリーグでのプレーが実現すればいいなと思っています。
半田 毎年、何チームが参加しているんですか?
木場 半田選手が出場していた時代は20チームだったんですけど、近年は16チームで開催しています。そのうち5チームが日本のチームです。ありがたいことに近年は大会自体も定着して、Jクラブのアカデミーの皆さんの方から出場を希望してもらうことも多いのですが、日本チームの参加数を増やしすぎると日本チーム同士が対戦することになりかねないので、その辺りも意識したチーム数にしています。
半田 近年はタイ国内でのこの世代の国際大会も増えたんですか?
木場 そうですね。半田選手に参加していただいた時代は、『JINTAN U-14 ASEAN Dream Football Tournament』が唯一と言っても過言ではなかったのですが、近年はいろんな国際大会が開催されています。ただ『JINTAN U-14 ASEAN Dream Football Tournament』ほど長く開催されている大会はないため、ありがたいことにタイ国内ではメディアに取り上げていただくことも多く、定着した大会になりつつあります。また、毎回、タイ及びASEANチームから僕が選出した大会優秀選手をJリーグクラブのアカデミーに練習参加してもらうといった取り組みもしていて、他大会との差別化も図っています。今後もそうした独自の取り組みも継続しながら、よりいい形で発展させていけたらと思っています。もし、半田選手から何かアドバイスがあればぜひ聞かせてください。
半田 山形もそうだったように、田舎のチームやJ2リーグ、J3リーグのクラブほど、こういった大会に呼ばれる機会はあまりない気がするし、特にU-14年代はより少ないはずなので。ぜひ、そういうチームにも声をかけてもらいたいです。近年、東南アジアのレベルはすごく高くなっているし、さっきも言ったように選手にとって、中学生年代で国際試合を戦う経験はすごく大きいはずですから。僕自身の経験からも吸収できることはたくさんあると思うのでぜひ、いろんなチーム、選手に参加してもらって国内戦とはまた違う経験値を積み上げて欲しいなと思います。
木場 ありがとうございます。半田選手の活躍はきっと大会に参加していただく選手の皆さんの刺激になると思います。今日はお忙しい中お時間をいただいてありがとうございました。
半田 こちらこそ、ありがとうございました! 今シーズンもガンバの『3』がしっかり輝くように頑張ります!
https://news.yahoo.co.jp/users/expert/takamuramisa/articles?page=1



