8月に死去した元日本代表FW釜本邦茂さんの「お別れの会」開催 メキシコ五輪でチームメートの横山謙三氏「日本史上最高のストライカー」

8月に肺炎のため81歳で死去した元日本代表の釜本邦茂さんの「お別れの会」が22日、東京都内のホテルで開催された。日本サッカー協会の名誉総裁である高円宮妃久子さま、宮本恒靖会長、王貞治氏(ソフトバンク球団会長)、元女子日本代表の澤穂希氏と多くの関係者が参列した。

釜本氏は早大在学時の19歳で日本代表に初招集されると、鋭い突破と右足からの強烈なシュートを武器に活躍。五輪は1964年東京と68年メキシコの2大会に出場。メキシコ大会では7得点を挙げて得点王となり、銅メダル獲得に貢献した。

日本代表として国際Aマッチ通算75得点は歴代最多。日本リーグでも7度得点王になり、歴代最多となる通算202ゴールを挙げた。84年に引退後はJリーグ・ガンバ大阪の監督や日本サッカー協会副会長、参院議員を歴任。サンケイスポーツでも評論家を務めた。

追悼の辞では、1968年メキシコ五輪銅メダルメンバーで元日本代表監督の横山謙三氏が「初めて君と出会ったのは1960年。今から65年前の夏でした。とてつもないシュートを放つ京都弁を放つ選手でした。プレーもすごかったですが、朝食をだれよりもすごいスピードで食べていた豪快な姿を今でも忘れられません。東京、メキシコ五輪とともに戦う仲間となった。夢にも思わぬことでした。右45度からの正確なシュートが代表的で日本史上最高のストライカーとして伝えられています」と思い出を話した。

また「こわもてで孤高のストライカーの印象をもたれていますが、いろんな一面を見てまいりました。指導者として1700回以上ものスクールを全国で繰り広げ、飛び回っていました。惜しむことなく未来を担う子供たちに伝えてまいりました。だからこそでしょう、やさしい男でした。あの強烈なシュートとは違って、面倒見がよかった。君の功績は色あせることはありません。これからも日本サッカーを明るく照らし続けてください。日本がW杯で優勝するためには、自分を超える選手が必要だと、そんな選手が現れることを願っています」と別れの言葉を伝えた。

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