「何回も削られてこうなった」釜本邦茂さんの大きなくるぶし 天才ストライカーの思い出 記者ノートfrom湊町

Jリーグ開幕前の1991年、松下電器産業(現ガンバ大阪)から監督のオファーを受けたとき、釜本邦茂さんは一瞬「選手としての契約か」と思ったそうだ。当時47歳。現役引退から7年ほど過ぎていたと思うが、今も現役の三浦知良選手(58)より若い。

実際、練習で蹴るボールはシュートでもセンタリングでも現役選手より迫力があった。「薬を飲めば、30分くらいなら出られるぞ」という本人の言葉はもちろん冗談だったが、分厚い体は20代の選手を楽々とはじき飛ばせた。スピードやスタミナは落ちてもゴール前での仕事なら十分に勝負できたと思う。

スーツ姿の足首からのぞくくるぶしの大きさに驚いたことがある。ゴルフボールほどの大きさで常人の倍くらいあった。本人に尋ねると、顔をしかめながら「何回も削られてこうなったんや」と教えてくれた。希代のストライカーを止めるために必死のDFからタックルを受け続けた結果だった。捻挫や打撲、小さな骨折もあったことだろう。日本代表歴代1位の国際Aマッチ75得点、日本リーグ202得点は、そうやって生まれたのだ。

あのころ、釜本さんがよく話していたのが「プロ意識」だった。試合への準備や勝利への執着心など若い選手に苦言を呈することが多かった。アマチュアの日本リーグからJリーグに衣替えしたとはいえ、すぐに「プロ」になれるわけではない。現役時代プロにはなれなかったが、その気概で過ごしてきた釜本さんにとって、時代の流れだけで「プロ」を名乗れる選手が歯がゆかったのだろう。

そんな釜本さんが10日、鬼籍に入られた。ご冥福をお祈りしたい。(中野謙二

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