川崎・大黒将志コーチ、釜本邦茂さんは「日本史上最高のストライカー。本当に偉大で優しかった」実家も近所で家族ぐるみの親交
J1川崎は12日、川崎市の麻生グラウンドで練習を公開。大黒将志コーチ(45)が取材に応じ、親交があり、10日に肺炎のため死去した元日本代表FW釜本邦茂さん(享年81)を偲んだ。
「釜本さんが釜本FCを作ってくださったから、僕も入って、釜本さんが初代監督になるに従って、ガンバジュニアになって、トップまで上がれたのでもう本当に釜本さんのおかげです。本当によくしてくれましたし、家族ぐるみのお付き合いもあり、家もよく行かせてもらって、感謝しかない。今回は残念ですけど、サッカー界にとって日本サッカー史上最高のストライカーだったと思うので、そういう姿勢やフォワードは点を取らないといけない志向やマインドは受け継いでいきたい」
小学生時代は途中から釜本FCでプレーし、プロ入り後は家族ぐるみで親交。大黒コーチの実家と釜本さんの家は「たぶん350メートルくらいの距離で、自転車で2分くらいの距離にあった」という。事あるごとに気にかけてくれて「いつもおいしいものをいただいていました」。最後に会ったのは1年ほど前。「本当に偉大で優しい、選手としてもすごいんですけど優しかった」と感謝した。
釜本さんは1991年にJリーグへの参加が内定していた松下電器の監督に就任し、そのままG大阪となったチームで初代監督に。そして自ら立ち上げた「釜本FC」はクラブ下部組織の母体にもなった。そこから大黒コーチだけでなく、元日本代表MF宮本や稲本、橋本ら数々の名選手が誕生した。
「礎を作られたのは釜本さんですし、釜本FCは他のチームとはやり方が全然違った。負けてもいいからパスを繋げとかドリブルで抜けとか、個人がプロになることを目指してやっていた。勝てと言われたことないんですよ。選手はみんな勝ちたいじゃないですか。勝つよりも自分が上手くなることにフォーカスしてとにかく丁寧にやれと言われていた。当時はそれがめずらしくて、だからいっぱいいい選手が出た」と振り返った。
今でも教えは刻まれている。「お前、シュート練習はしているのか、毎日しろ」。その言葉があったからこそ、けがで出来ない日を除いて練習終わりに毎日のようにシュート練習を実施。現役生活22年で公式戦通算222得点を記録するなどプロでの活躍につながった。
「大変お世話になりました」。今はコーチとして川崎の選手に、練習後などに時折実演しながらシュート練習をサポートする姿がある。釜本さんの教えを受け継ぎ、今度は自分がストライカーを育てていく。



