どうなる天皇杯を連覇したガンバ・宇佐美の去就 THE PAGE 1月2日(土)7時0分配信

同じ言葉を3度繰り返した。2年ぶりに元日に行われた天皇杯決勝。4万3809人が詰めかけた味の素スタジアムで浦和レッズを2対1で振り切り、連覇を達成した試合後の取材エリア。来シーズンの去就を問われたガンバ大阪のFW宇佐美貴史は、「ノーコメント」を3連発した。

もっとも、すべての「ノーコメント」で表情とニュアンス、そしてトーンが異なっていた。

――来シーズンに関してはどのような考えなのでしょうか。
数秒の沈黙の後に「ノーコメントでお願いします」と返した宇佐美だったが、心なしか「ノー」の部分の語気をやや強めている。この場では話しません、という意思表示にも聞こえたなかで、すかさず次の質問が飛ぶ。

――まだ決まっていないのか、あるいはこれから考えるのでしょうか。
今度は苦笑いしながら「ノーコメントでお願いします」と、懇願するように言葉を返した。取材者を見つめる姿からは、察してくださいよ、という本音が透けて見えた。

――それでも、自分のなかではもう決めているのでしょうか。
最後は間髪入れずに「ノーコメントです、もう。はい、すみません」と、去就に関する質問を終わりにしてほしいとばかりに頭を下げた。

シーズンが終わりに差しかかった段階で、宇佐美に対してヨーロッパの複数のクラブが興味を示しているという報道が飛び交った。
具体的な動きを見せたのはブンデスリーガのシュツットガルト。ドイツ国内で「宇佐美獲得へ動き出す」と報じられたのは昨年11月上旬。実際に同22日に行われたモンテディオ山形とのセカンドステージ最終戦を、スカウト担当のギド・ブッフバルト氏が視察に訪れている。

元レッズ監督のブッフバルト氏は宇佐美に対して高い評価を与えたが、その後の具体的な動きは報じられていない。同じくブンデスリーガのブレーメン、フラ ンスリーグの強豪マルセイユ、オランダの名門PSVの名前もあがったが、シュツットガルトと同じ状況が続いたまま年を越した。

宇佐美は2011年夏に、ブンデスリーガの強豪バイエルン・ミュンヘンへ移籍。大きな注目を集めたが、ワールドクラスのスター選手たちが繰り広げる、弱肉強食の競争のなかにすら加わることができず、1シーズンで戦力外通告を受けた。
本人の強い希望で挑戦を1年延長。ホッフェンハイムへ新天地を求めたが、シーズン終盤になると出場機会が激減。シーズン閉幕を待たずに、2度目の戦力外通告を受けた。

バイエルン・ミュンヘンとホッフェンハイムへは、ガンバからの期限付き移籍という形だった。宇佐美の心のなかには納得できない部分があったが、ガンバから期限付き移籍の再延長はないと通告を受けたことで、2013年5月にガンバ復帰を決めている。

半ば強引に宇佐美を呼び戻した当時の背景を、ガンバの梶居勝志強化本部長はこう語ったことがある。
「ドイツでの2年間の下積みで得たものを、さらにパワーアップさせるためのリセット。まだ21歳ですから」

宇佐美自身も、当時はJ2を戦っていたガンバでの復帰をこう位置づけていた。
「ヨーロッパという選択肢も、もちろんありました。ヨーロッパでもう1年やるほうがいいのか、ガンバに戻って力を蓄え直すほうがいいのか。すごく悩みまし たけど、どちらが選手としてより大きくなれるのかを考えたときに、人はそれぞれ考え方があると思いますけど、自分はガンバでもう一度やり直した方がいいと いう結論に達しました。自分にとっては、日本に帰るとなったらガンバしかないと常に考えていました。J1にいようが、J2にいようが、その下にいようが、 自分にとってガンバはガンバ。J2への抵抗はありませんでした」

その後の軌跡は、あらためて説明するまでもないだろう。2013年シーズンは後半戦だけで、出場試合数よりも多い19ゴールをマーク。ガンバの1年でのJ1復帰に大きく貢献した。

けがで出遅れた2014年シーズンは、夏場から右肩あがりの曲線を描き出した宇佐美のパフォーマンスに比例するようにガンバも上昇。2000年シーズンの鹿島アントラーズ以来となるシーズン三冠を独占する原動力になった。
迎えた今シーズンは、開幕からゴールを量産。疲労が蓄積したシーズン終盤の失速で得点王は逃したものの、自己最多の19ゴールをあげて得点ランキングの3位に食い込んだ。

ガンバはリーグ戦、ナビスコカップ、天皇杯に加えてACLでも日本勢で最高位となる準決勝へ進出。天皇杯決勝で実に年間60試合に達し、宇佐美も念願のA代表デビューを。その後もフルに招集されたハリルジャパンでの活動が加わった。疲労が蓄積した理由はここにある。

「もちろんタイトさは感じましたし、疲労で自分らしくプレーできないことが多々あったと思いますけど、こういう日程で試合ができたことはすごくありがた かった。こういう試合数であると想定したうえで、しっかりと体を作っていけば十分に対応できるスケジュールなので、僕自身はまったく問題ないと思っていま す」

苦悩を重ねたなかでシーズンをフルに戦い抜き、2位続きだったガンバに、最後に天皇杯というタイトルをもたすことができた。再挑戦への機は熟したという判断が、宇佐美のなかで下されても決して不思議ではない。

同じ1992年生まれの23歳で、日本代表でのライバルでもあるFW武藤嘉紀が、昨夏に移籍したブンデスリーガのマインツで7ゴールをマーク。プレミアリーグの名門マンチェスター・ユナイテッドが接触したという事実も、宇佐美の心を刺激しているはずだ。

一方で、ヨーロッパのシーズン途中での移籍は、新天地に順応するうえで大きなリスクを伴う。昨年のクリスマスイブに第一子となる長女が誕生したことも、いますぐ海を渡る決断を鈍らせる大きな要素になるだろう。
加えて、ガンバが待ち焦がれてきた新スタジアム、吹田スタジアムが来春にこけら落としを迎える。ガンバの関係者は、こんな光景を思い浮かべてもいた。

「せめてオープンのときは、宇佐美にはガンバのユニフォームを着て新しいスタジアムでプレーしてほしい」

こうした事情も勘案すると、2016年のファーストステージはガンバでプレーし、さらに結果を残したうえで、ヨーロッパの新シーズンに合わせて満を持して移籍というプランも浮上してくる。

「しばらく休んでリフレッシュして。正月を家族と過ごして、まあそこからという感じじゃないですかね」

最後まで言葉を濁した宇佐美は、かねてから新シーズンの条件を「劇的に成長できるところ」と位置づけていた。果たして、どのような決断を下すのか。わかっ ていることは、次にヨーロッパへ移籍するときは完全移籍。退路を断つだけに失敗は許されないことを、誰よりも宇佐美本人が理解している。

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