「8番の重みは軽々しく言えない」柿谷曜一朗が“我が家”に戻り、泣き笑いの引退会見。香川は「一緒にやった日々はすごい大事な時間だった」と感謝
60分間の会見、20分間の囲み取材
16歳だった2006年にセレッソ大阪でプロ契約を結び、徳島ヴォルティス、FCバーゼル、名古屋グランパスの4クラブで19年間の現役生活を過ごした柿谷曜一朗。日本代表として2014年ブラジル・ワールドカップにも参戦し、世界最高峰の舞台も経験した。
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2007年U-17W杯のフランス戦、ハーフウェーライン付近からのループシュートに始まり、C大阪時代の2016年3月の群馬戦でのヒール弾、21年11月に名古屋の一員として古巣のC大阪相手に決めたオーバーヘッド弾など、数々の記憶に残るプレーを披露。その一挙手一投足は紛れもなく天才と言っていいものだった。
その彼が1月23日にC大阪の本拠地・ヨドコウ桜スタジアムで引退会見を実施。4歳から過ごした“我が家”で区切りの機会を持ちたいと本人が熱望。16日にクラブに申し入れ、1週間で盛大な場が設けられた。そのことに心から感謝しつつ、柿谷は60分間の会見、そして20分間の囲み取材で偽らざる胸の内をさらけ出した。
「僕はサッカーがすごく楽しくて、簡単で、こんなに自分に合ったスポーツはないと思ってやってきたけど、数年前からしんどくて、難しくて、僕が長年、ボールを追いかけてきたような状態じゃないなと思うようになった。
サッカーに対する熱が冷めたわけじゃないし、いくつかオファーを出してくれたチームもあったけど、中途半端にプレーするのは違うかなと。『上に行くぞ』という気持ちでやっている選手と、今の自分が一緒にやれるのかな…』という気持ちも1月になってから大きくなってきて、ここはもう引退を決めるしかないなと思いました」
柿谷は12月から1月にかけての心の動きを述懐した。12月21日の南雄太氏の引退試合の際は「やめへんよ」と言っていただけに、「まだまだやれるのに」「35歳になったばかりでユニホームを脱ぐのは早すぎる」という声も少なくなかった。が、本人はこのタイミングで次のステージに進むのがベストと判断。引退という大きな決断したという。
「もっと成長したい」と高いレベルを渇望
改めて19年間のプロキャリアを振り返ってみると、柿谷はC大阪で11年、徳島で4年半、名古屋で2年、バーゼルで1年半プレー。やはりセレッソが人生の中心にあったのは間違いない。その愛するクラブを離れたことが3度あった。
最初は2009年6月。レンタルで赴いた徳島ではプロとしての姿勢を一から叩き直され、人として大きく成長した。それが12年のC大阪復帰、13年にはJ1で21ゴール、日本代表入りにつながったのは間違いない。
2度目は2014年夏のバーゼルへのレンタル移籍である。ブラジルW杯で世界トップレベルの凄さを突きつけられたことで「もっと成長したい」と高いレベルを渇望。単身で異国に赴いたのだ。
そこで現在、南野拓実とモナコで共闘している当時17歳のブリール・エンボロらと出会い、本物のスーパーな才能を目の当たりにした。スイスでは彼自身、必ずしも成功したとは言い切れなかったが、世界基準を肌で感じたという意味で貴重な経験だったと言っていい。
そして最後は2020年末。この時は「もう2度とセレッソには戻れない」と悲壮な決意を固めての完全移籍だった。奇しくも21年ルヴァンカップ決勝で古巣と激突することになった時のことを会見で問われると、柿谷は堪えていたものが崩れ落ちたのだろう。
「泣かへんはずだったのに…」と涙を拭いながら「あの時はまともに寝られないくらいの状態になった。でも『正直、曜一朗はセレッソの曜一朗だから、どうなろうとお前のプレーが楽しみなだけだから』とセレッソサポーターに言ってもらえて、気持ちが楽になった。その方にお礼を言いたいですね」と号泣した。そんな姿からも凄まじいセレッソ愛が見て取れた。
そういう男がこのクラブでエースナンバー8を8年間も背負ったというのは特筆すべきこと。本人も誇りを感じているに違いない。
「8番の重みというのは、軽々しく言えるもんじゃない。森島(寛晃=現社長)さんの凄さはやっぱり付けてみないと分からないと感じました。プレーどうこうじゃないし、全てにおいての模範にならないといけない。光栄でしたけど、僕は模範には合わない人間。やっぱり着けるべきじゃなかったかなと思いました」と、まず大先輩へのリスペクトを口にした。
そのうえで、こんな話もしていた。
「森島さんの後、(香川)真司君とキヨ(清武弘嗣)、乾(貴士)君と自分の4人が付けましたけど、彼らはその重みを話せる貴重な仲間。特に真司君は全てにおいて模範になれる選手だと思っています。勝てなかったのはやっぱり香川真司。比べてもらって嬉しかったけど、キャリアや実績は足もとにも及ばないし、比べ物にならない。一番尊敬している選手です」と、柿谷は2006年同期入団の香川の存在に心から感謝したのだ。
豪華引退試合を行なう青写真も
その香川は柿谷の引退を受けて、「曜一朗と一緒にやった日々は僕にとってすごい大事な時間だったし、それがあったからこそ自分も成長できた。彼は4歳からセレッソにいるし、自分にはない『ソウル(魂)』を持っている。それだけセレッソを愛して、いろんな紆余曲折も経験しただろうけど、曜一朗にしか築けないキャリアだった。その経験をまた新たな人生で伝えていってほしいと思います」と神妙な面持ちで語っていた。
桜の8番が似合う男には、できることなら、セレッソでプロ選手のラストを飾ってほしかった。だが、それが叶わなかったのも、また彼の人生である。古巣で引退会見を行なったことで、スッキリはしただろうが、本人の中ではヨドコウ桜でガンバ大阪とセレッソ大阪を交えた豪華引退試合を行なう青写真もあるという。
それが半年後なのか、1年後なのかは分からないが、再び雄姿を見せてくれるはず。その日を楽しみに待ちたいところだ。
これからは妻でタレントの丸高愛実さんとともに、サッカー文化人的な活動をしていくというが、子どもたちと一緒にボールを蹴ったり、技術やアイデアを教えたりすることはできるはず。
「自分は天才と言われるのが嫌だった」と本音を吐露したが、傍から見れば、こんなに見る者をワクワクさせてくれる選手は他にいない。
だからこそ、柿谷はこの先もサッカーの楽しさや魅力をピッチ内外から伝え続けるべき。それだけは強くお願いしておきたいところである。