J3で3年目・松本山雅の現状 PO圏内に肉薄…逆転J2昇格へ“命運を託された”3人のキーマン【コラム】
松本はYSCC横浜に勝利し昇格PO圏内に肉薄
すでに大宮アルディージャの1年でのJ2復帰・優勝が決まっている2024年J3。しかしながら、2位以下はまだ混沌とした状態が続いている。自動昇格圏の2位争いはFC今治とカターレ富山の一騎打ちの様相を呈しており、今季創設されたJ2昇格プレーオフ参戦圏内の3~6位争いはさらなる激戦になっている。
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特に4~6位争いは、目下、勝ち点51の4位・アスルクラロ沼津から14位・FC岐阜までがわずか6ポイント差。3枠を巡って11チームがしのぎを削るという前代未聞の展開になっているのだ。
その枠に何とか滑り込もうと必死に粘っているチームの1つが松本山雅だ。ご存知の通り、松本山雅は反町康治監督(現清水GM)が率いていた2015・2019年にJ1昇格経験があるクラブだが、2021年にJ2最下位となり、今季でJ3・3年目を迎えている。
1年でJ2復帰を目指した2022年は名波浩監督(現日本代表コーチ)が指揮を執ったが、4位で昇格に失敗。翌2023年には現在の霜田正浩監督が就任したが、1年目の昨季は9位と不本意な結果に終わっている。
それでもクラブは霜田体制を継続。2024年は勝負をかけて挑んだが、序盤から勝ちきれない試合が続き、ラスト5戦で11位。絶体絶命の窮地に追い込まれていたのだ。
これ以上、勝ち点を落とせば終戦になりかねない状況下で迎えた10月26日のYSCC横浜戦。JFL降格危機に瀕する相手との激突ということでタフな戦いが想定された。残り全勝を目指す霜田監督はこれまでの4バックを改め、3-4-2-1システムへ布陣変更。「失点ゼロ」を大前提に戦う方向へ舵を切ったのだ。
「僕はやはり、山雅を昇格させたい。『どうしたら山雅を昇格させることができるか』を考え、原点に戻った。今までと同じだと同じ結果に終わってしまうと思った。どこかで何かを変える勇気を僕自身が持たなければいけないと考えて、今日は3バックからスタートした」と指揮官は悲壮な決意を口にした。
それを選手たちもひしひしと受け止めていたのだろう。この日の松本山雅はセーフティな入りを見せる。開始7分にはベテランDF高橋祥平が供給したロングボールに最前線の安藤翼が反応。ペナルティエリア内で相手DF大嶋春樹に倒され、相手が退場。PKを得た彼らはキャプテン・菊井悠介が確実にPKを決め、、11対10の数的優位という状態で1点を先行したのである。
だが、逆にそこからは相手にボールを持たれる時間が多くなり、後半には2度の決定機を作られた。リードしながら嫌なムードも流れたが、途中出場の中村仁郎がいい仕事を見せる。後半32分、右サイドから背番号25が蹴り込んだクロスに菊井がファーから飛び込んでヘッド。浮き球のシュートがネットを揺らす。こうしてダメ押しゴールを奪った松本山雅は2-0で勝利。勝ち点を48まで伸ばし、6位・福島に1ポイント差というところまで肉薄したのである。
「もう勝てれば何でもいいと思っていた。4試合勝っていなかったんで、(監督も)何か変化を加えたいという意図は分かったし、選手の中では『守備的な3バックじゃなくて、攻撃的な3バックをやろう』と話していました。でも相手が10人になって、逆に自分たちが準備していたことができなかった。どんなレベルでも10人で下がる相手を攻め崩すのは難しい。反省しなきゃいけないところはありますけど、そこまで悲観する内容ではなかったと思います」とキャプテン・菊井は胸を張った。やはりこの男が活躍するか否かがチームの明暗を分けるのは間違いないだろう。
日本代表MFと親戚のキャプテンが感じる重責
流通経済大学から2022年に松本山雅入りした技巧派は日本代表ボランチ・守田英正(スポルティング・リスボン)の親戚で、大学の後輩でもある。プロ入りに際しては相談もしたという仲だ。その的確なアドバイスが奏功したのか、このクラブでプロ1年目から主軸と位置づけられる。名波監督からは寵愛を受け、大きく成長。霜田体制移行後はキャプテンも任された。だからこそ、本人も「何としても松本山雅をJ2に復帰させなければいけない」と重責を感じていたはずだ。
だが、2年連続で困難なシーズンを余儀なくされた。今季も佳境を迎えた9月29日の奈良クラブ戦からの終盤戦4試合で未勝利。菊井自身も負傷でこのうち2試合を欠場しており、「自分がチームを勝たせる」という思いは人一倍強かっただろう。
「今日みたいに相手に持たれる時間もあるだろうし、相手の時間もある中で、やっぱり我慢してゼロで抑えるってところと、少ないチャンスの中でものにするってところは、優勝した大宮がやったように僕らも見習わなきゃないけない。ここからは結果が全てだと思います」と本人も語気を強めたが、しぶとく泥臭く戦うという松本山雅の伝統を彼が率先して体現していくべき。残り4試合は背番号10の一挙手一投足次第と言っても過言ではないほど、この男の重要度は高いのだ。
その菊井を「山雅で一番うまい選手」と言い切り、YSCC戦の2点目をアシストした中村仁郎も2人目のキーマンと言っていい。ご存知の通り、ガンバ大阪のアカデミー出身で、年代別代表の常連だった彼は今夏、悲壮な覚悟を胸に、初めて大阪を離れる決断をしたのである。
「今季後半戦だけでゴール・アシスト合計で10を目指す。助っ人の自分が松本山雅の成績を引き上げないといけない」と8月の移籍当初に力を込めていた中村。その後、8月31日のFC岐阜戦で初先発を飾り、9月22日のカマタマーレ讃岐戦で初ゴールを奪ったが、目に見える数字はそれだけ。本人もこの試合では結果に飢えていたという。
「今日落としたらホンマに終わってたと思うし、今日勝ってまだまだ望みをつなげたと思う。チーム全体で諦めてる選手はおらんし、僕自身も個人の成績がチームに還元されると思っているので、結果にこだわっていきたいです」と中村は言う。1得点・1アシストという現状を残り4戦で引き上げ、チームを勝たせられる存在になろうと考えているのだ。
霜田監督が3バックを継続するのであれば、中村は今回のようにシャドウの一角でジョーカー起用される可能性が高そうだ。
「3-4-3のシャドウは昔やっていたので、やりやすいですし、自由に使えるエリアも広くなる。自分のプレースタイル的にもジョーカーとして使われても全然やれると思います」と本人も目を輝かせる。
もちろんスタメンも狙っていくというが、限られた時間で中村の持つアイディアや背後を突く動きを押し出していけば、相手にとってより脅威になれる。そういう意味でも中村には相手を一刺しする鋭さをより一層、研ぎ澄ませていってほしいものである。
大ベテランが挑むJ3という未知なる環境への参戦
そしてもう1人、逆転昇格に不可欠なのが、大ベテランの山本康裕。2008年にジュビロ磐田のアカデミーからトップ昇格を果たし、2023年までキャリアのほとんどを名門で過ごした男が新天地に赴いたのは今季頭のこと。J3という未知なる環境への参戦ということで、本人も戸惑いや難しさを感じていただろう。
「今年は『ここぞ』という時にことごとく勝ててない。でもJ2昇格プレーオフというレギュレーションに助けられている。6位まで昇格のチャンスがあるので、そこに何とか滑り込んでいきたい。自分や(高橋)祥平が後ろからサポートするんで、若い選手にはこういう状況の中でも硬くなったり、緊張することなく、思い切ってやってほしい」と35歳の大ベテランは苦境の中でも黒子になってチームを力強く支える覚悟だ。
今回のYSCC戦を見ていても、攻め込まれても慌てずに試合を運び、冷静にゲームをコントロールする山本の落ち着きと戦術眼が特筆すべきものがあった。10人の相手に押し込まれた後半はサポーターから「もっと前へ行け」「攻めろ」といった声も飛び交い、焦燥感をにじませた選手もいたが、山本は「リードしていたんだから、別に後ろで回していれば問題ない」と決して動じなかった。
彼のようにどっしり構えた人間が中央に陣取っていれば、チームもブレずに戦えるはず。そこは21歳の中村も強調している点だ。
「康裕君はとにかくうまい。寡黙な方ですけど、トレーニングもアップからめっちゃちゃんとやるし、選手の鑑みたいな存在。やっぱりこういう選手が生き残っていくんだなと感じるし、参考にせないかんなと思います」
多くの選手からリスペクトされる百戦錬磨の山本。ラスト4戦で6位以内を勝ち取るためには、彼の統率力や経験値が必要不可欠。プロ生活の全てを注ぎ込んで、奇跡の逆転昇格の立役者になるしかない。
J1経験クラブの命運を託されたキーマン3人。彼らの動向から目が離せない。
[著者プロフィール] 元川悦子(もとかわ・えつこ)/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。