え、早すぎ!? 欧州から一瞬で帰ってきた日本人(8)意味不明!? 不可解な扱いを受けたドリブラー
日本サッカー界では、欧州クラブで主力として活躍する選手が続々と出てきている。だが、過去を遡ってみると、実力があるにも関わらず短期間で海外挑戦を終えて日本に戻ってきた選手たちもいる。今回は、様々な理由により欧州クラブ在籍1年未満で帰国した日本人選手をピックアップして紹介する。※成績は『transfermarkt』を参照
MF/FW:泉澤仁
生年月日:1991年12月17日
移籍先:ガンバ大阪→ポゴニ・シュチェチン(ポーランド)
在籍期間:2019年1月~2019年7月
2024シーズン、泉澤仁が所属する大宮アルディージャはJ3優勝を果たし、1年でJ2返り咲きを達成した。プロ入り初年度にも在籍したクラブで来シーズンにつながる結果を手にした男は、キャリアの中で一度だけ海外挑戦を経験している。
2019年1月、泉澤はガンバ大阪からポゴニ・シュチェチン(ポーランド1部リーグ)に完全移籍で加入した。初の海外挑戦の場として、1920年代に4回にわたり国内リーグを制覇した古豪を選んだ。しかし、同クラブでは不可解な扱いを受けて短期間での退団を余儀なくされている。
加入後はなかなか先発出場の機会を得られなかった泉澤だが、2019年4月3日(現地時間)のリーグ戦第28節レフ・ポズナン戦で新天地デビューを果たすと、それまでのうっぷんを晴らすかのように1得点をマーク。巡ってきたチャンスを確実に生かしてみせた。
だが、泉澤がピッチに姿を見せたのはレフ・ポズナン戦が最後となる。ゴールという結果を残したにも関わらず、先発はおろか途中出場の機会さえ与えられなかったのだ。
2022年6月、大宮のクラブ公式サイトには同年1月、約6年ぶりの復帰を果たした泉澤は屈辱のポーランド時代について「サッカー観の違いを感じました」とコメント。日本サッカーで大切にされる「チャレンジ&カバー」がない点を挙げ、言語面の難しさも含めて東欧への適応に苦しんだことを明かした。
泉澤は生粋のドリブラーではあるものの、周囲と連携し、活かし活かされる関係を築くことでより能力が上振れするタイプだ。良くも悪くも「個」の力が重視されがちなサッカーは、泉澤にとって今ひとつ実力を発揮しきれない環境だったのかもしれない。