中村俊輔を救ったバックアップメンバー 後々キャリアの糧にも…パリ五輪代表“抜擢”組が目指す系譜【コラム】
–植中朝日は急遽メンバーに帯同することに
2024年のJ1は7月20日、21日の第24節で中断期間に突入した。その間に開催されるのが、ご存知の通り、パリ五輪だ。大岩剛監督率いるU-23日本代表は24日(日本時間25日未明)に初戦・パラグアイ戦に挑み、27日(同28日早朝)にマリ戦、30日(同31日早朝)にイスラエル戦を消化。上位2位以内に入れば、決勝トーナメントに進むことになる。
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彼らにとって朗報なのは、登録メンバー18人に加え、バックアップの4人を加えた22人の中から試合ごとに18人を選ぶことができた2021年夏の東京五輪とほぼ同じ運用が認められたこと。理由に関しても、怪我に限らず、疲労やメンタル面の問題でも入れ替えが可能となった。つまり、大岩監督は戦術的な理由でメンバーを入れ替えながら戦えるのだ。
そういう意味で、チームの帯同することになった山田楓喜(東京ヴェルディ)、鈴木海音(ジュビロ磐田)、佐々木雅士(柏レイソル)、植中朝日(横浜F・マリノス)にとっては大きなチャンス。特に植中は、当初のバックアップメンバーだった佐野航大(NECナイメンヘン)がチーム事情で呼べず、代役として抜擢されたラッキーな男だ。
「自分はメディカルチェックも行ってなかったので、本当にビックリした。連絡をもらった時も昼寝してて、強化部長からの電話で起きてという感じだったので(笑)。メディカルチェックも昨日(19日)バタバタと行って、本当にマンガのようという感じなので、まだ気持ちが落ち着いていない部分もありますけど、まだ時間があるので。飛行機の中だったりで意識を作っていきたいですね」とまさに一瞬にして状況が変わったことを明かしていた。
1週間前にフランス入りし、17日(同18日早朝)にフランス代表とのテストマッチを消化した藤田譲瑠チマ、山本理仁(ともにシント=トロイデン)ら主力組に比べると、現地適応や戦術理解、本番の対策といった部分で後れを取るのは否めないが、直近のJリーグの試合もこなしているため、コンディションは悪くないはずだ。
彼らがどこまで選手層を押し上げるかというのは、日本にとって非常に重要なポイントと言える。実際、東京五輪を振り返っても、バックアップで選ばれた林大地(ガンバ大阪)が怪我上がりでベストの状態でなかった上田綺世(フェイエノールト)からポジションを奪い取った前例もある。林の身体を張ったポストプレーと前線からのハードワークは、森保一監督率いる当時の日本の生命線になっていた。特にアタッカーである植中や山田には大化けするチャンスが少なからずあるということなのだ。
「自分も(林のような)ああいう形だと思っていましたし、少ない時間かどうか分からないですけど、出た時にいつでもいいコンディションでやれるように、気持ち的には普通に選ばれている選手たちと同じものを作らないといけない」と植中は目を輝かせていた。
実際、彼は同い年の川﨑颯太(京都サンガF.C.)らと親しく、事前にコミュニケーションを取っている様子。JFAアカデミー福島の後輩でもある三戸舜介(スパルタ・ロッテルダム)との共闘体制も整っている。ポジション的に最前線、トップ下、インサイドハーフと幅広い役割をこなせるところも優位性がある。
そこは大岩監督らスタッフにしてみれば、左足のスペシャリストの山田以上に利用価値が高い点。もしかすると、本当に「林大地の再来」になる可能性もないとは言い切れない。本人も虎視眈々と千載一遇のチャンスを狙っていくに違いない。
とはいえ、指揮官も最初に選んだ18人に対する信頼は強いはず。彼らにアクシデントが起きなかったり、コンディション万全な状態が続けば、バックアップ組はずっとベンチ外ということもあり得る。
フランスまで赴いたのに、試合から遠ざかり続けるというのは、選手にとって辛いところ。モチベーションをどう維持するかを真剣に考えなければならないだろう。
過去を振り返ってみると、史上最強の五輪代表チームの1つに挙げられる2000年シドニー五輪代表のバックアップに遠藤保仁、曽ヶ端準、山口智、吉原宏太というそうそうたる面々が入っていた。この4人は誰1人、入れ替えがないまま、最後までチームに帯同し、黙って練習に参加していたのだ。
遠藤保仁が歩んだ道は励みにも
当時、遠藤と曽ヶ端は中村俊輔(横浜FCトップコーチ)と親しく、常に行動をともにしていた。中村俊輔はトップ下でのプレーを希望していたが、当時ASローマに在籍していた中田英寿の参戦によって左サイド移動を余儀なくされ、どこか割り切れない思いを抱えていた。
それを近くで聞き、サポートしていたのが彼ら2人だ。特に遠藤はポジションが同じ1つ上の中村に対して親身に接し、不満など一切、顔に出さなかった。中村はどれだけ救われたか分からないくらいだ。
2006年ドイツ・ワールドカップ(W杯)でも遠藤はフィールドプレーヤーの中で唯一の出番なしという屈辱を強いられている。その時も常に飄々としていて、感情の起伏を表に出すことはなかった。そこが自然体の男の凄さだろう。遠藤はそこからA代表の主力の座を射止め、いつしか中村をも抜き去り、日本代表歴代最多キャップ数の152試合を叩き出した。若かりし日にバックアップという位置付けだったとしても、後々のキャリアの糧になるのは間違いないのだ。
2001年生まれ以降のパリ世代の4人はそんな遠藤の様子など知る由もないが、偉大な先人にもバックアップとして下積み生活を送った時期があったことが分かれば、少しは楽な気持ちで今大会に臨めるのではないか。当時の様子を熟知する山本昌邦ナショナルチーム・ダイレクターにはそのことをぜひ伝えてほしいものである。
いずれにしても、22人が一体感と結束力を持って戦わないと、パリ五輪で日本が躍進するのは難しくなる。オーバーエージ(OA)枠の統率力ある年長者がいない分、キャプテン・藤田を中心にパリ世代の底力を発揮すること。そこに集中するしかない。
後から参戦した山田、植中、鈴木、佐々木の4人がどんな役割を担い、実際にピッチ上で大仕事を見せることがあるのか否か。そこに注目しながら、大会開幕を待ちたい。
[著者プロフィール]
元川悦子(もとかわ・えつこ)/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。