サッカー日本代表、パリ五輪で56年ぶりメダル獲得なるか… カギを握るオーバーエージの存在、過去の人選と戦績から分析

国際サッカー連盟(FIFA)は4年に1度開くW杯の権威を保つため、1992年バルセロナ大会以降、五輪(サッカー男子)の出場規定を原則23歳(1年延期の東京五輪では24歳)以下に限定している。そこでカギを握ってきたのが、年齢制限のないオーバーエージ(OA)3人の存在だった。日本が出場した過去7大会の五輪から導けば、OAの人選とスムーズな融合は戦績にリンクすると言っていいかもしれない。

2000年シドニー大会はフィリップ・トルシエ監督がA代表からGK楢崎正剛(当時名古屋)、DF森岡隆三(同清水)、MF三浦淳宏(同横浜M)を迎え入れ、2021年東京大会では森保一監督がA代表の屋台骨を担うDF吉田麻也(同サンプドリア)、DF酒井宏樹(浦和)、MF遠藤航(同シュツットガルト)を補強した。A代表と五輪代表を兼任する監督だからこそ、実力、経験、人間性、影響力など表も裏も熟知したOAの人選とスムーズな融合が可能だった。

下馬評が低かった2012年ロンドン大会では、DF吉田麻也(同フェンロ)とDF徳永悠平(同FC東京)のOA2人の存在が躍進につながった。

吉田は五輪直前にチーム合流後、親善試合の会場へ向かうバスの雰囲気に緩みを感じ取ると、「試合への入り方が大事なんだ。あの雰囲気はちょっと違うんじゃないか」と強く指摘。経験の浅い選手たちを短期間にまとめ上げ、戦うチームへ変貌させていった。

「おまえじゃないとダメなんだ」。当時の原博実技術委員長、関塚隆監督にそう口説き落とされた徳永は、吉田とは正反対の黒子役に徹してチームを下支えした。寡黙だが芯は熱く、ビッグネームを相手にしても「いつも通り。やるべきことをやるだけ」と決して動じない実力者。左サイドバックとして出場した1次リーグ初戦のスペイン戦でフアン・マタ、準々決勝のエジプト戦ではモハメド・サラーを完璧に封じ、若いチームに自信を吹き込んだ。

一方、2008年大会では反町康治監督がOAを要望しながら、起用できなかった。OAに内定していた遠藤保仁(同G大阪)は大会直前にウイルス感染症を患い、大久保嘉人(同神戸)に関しては所属クラブとの派遣交渉がまとまらなかった。

2016年大会では手倉森誠監督が当初、本田圭佑(同ACミラン)や香川真司(同ドルトムント)、長友佑都(同インテルミラノ)、岡崎慎司(同レスター)らA代表の主力クラスをOAとして希望したが、リオ五輪決勝の10日後にW杯アジア最終予選を控えていたA代表のハリルホジッチ監督が認めず、欧州の所属クラブも派遣を固辞したため実現しなかった。

五輪本大会で1次リーグを突破した3チームに共通するのは、守備陣に経験豊富なOAを起用したこと。東京大会で4強入りした森保監督は「守り中心の選手をオーバーエージで選考して、年齢制限のないA代表のディフェンスラインに近い形にしたかった」とOAの人選の理由を挙げ、「短期決戦では簡単に失点せず、得点のチャンスをうかがう。チームが思い切って力を発揮するためには、まず守備が安定すること。それが攻撃にもつながっていく」と振り返る。

パリ五輪で指揮を執る大岩剛監督も森保監督と同じ視点で構想を描いており、DF板倉滉(ボルシアMG)、DF谷口彰悟(アルラヤン)、DF町田浩樹(サンジロワーズ)らがOAの有力候補に挙がっている。

五輪といえども、これまでと同様、選手の招集に拘束力はない。所属クラブとの交渉でいかに招集にこぎ着け、大岩監督が要望する「最強布陣」を編成できるかどうか。56年ぶりのメダル獲得へ、最も重要なポイントになる。

【五輪代表のオーバーエージ(OA)と戦績】

▽1996年アトランタ大会(西野朗監督)

OA起用せず=1次リーグ敗退

▽2000年シドニー大会(フィリップ・トルシエ監督)

GK楢崎正剛、DF森岡隆三、MF三浦淳宏=ベスト8

▽2004年アテネ大会(山本昌邦監督)

GK曽ヶ端準、MF小野伸二=1次リーグ敗退

▽2008年北京大会(反町康治監督)

OA起用せず=1次リーグ敗退

▽2012年ロンドン大会(関塚隆監督)

DF徳永悠平、DF吉田麻也=ベスト4

▽2016年リオデジャネイロ大会(手倉森誠監督)

DF藤春廣輝、DF塩谷司、FW興梠慎三=1次リーグ敗退

▽2021年東京大会(森保一監督)

DF吉田麻也、DF酒井宏樹、MF遠藤航=ベスト4

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