クラブ大崩壊…。Jリーグ、大失敗した日本人レジェンド監督(2)成績低迷、主力と確執!? 日本サッカー界の大物

「名選手、名監督にあらず」という言葉があるように、サッカー選手として優れていたからといって、優れた指導者になるとは限らない。愛する古巣を崩壊させてしまう、そんなケースもしばしばだ。今回は監督としては大きな成功を収められなかった日本代表クラスの元Jリーガーたちを紹介する。

釜本邦茂(元日本代表FW)

生年月日:1944年4月15日

主な監督歴:ガンバ大阪(1993-1995)

言わずと知れた日本サッカー界のレジェンドである釜本邦茂もまた、「名選手、名監督にあらず」を体現してしまった1人である。

現役時代には日本代表のストライカーとして、公式戦76試合に出場して75得点という驚異的なスタッツをマーク。この記録は現在も日本代表歴代最多得点となっている。1968年に開催されたメキシコ五輪では、アジア人史上初となる得点王(7得点)に輝いた。

そんな輝かしい実績を持つ釜本は、1993年にガンバ大阪の初代監督に就任。しかし、Jリーグ発足1年目となる1993シーズンは年間7位、2年目の1994シーズンは年間10位と成績は低迷し、わずか2年で監督を解任されることになった。主力選手との確執があったとされ、監督としての力量は十分ではなかったと言わざるを得ない。監督としてのJ1戦績は80試合31勝49敗となった。

それでも、釜本が日本サッカー史に名を刻むレジェンドプレイヤーであることに異論があるはずが無く、2005年には日本サッカー協会が選ぶ「第1回日本サッカー殿堂」入りを果たしている。

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