「中田の次に海外へ行く怪物ストライカー」から「ケガで20歳で戦力外通告」へ…「日本一多忙」なセカンドキャリアを歩む「元Jリーガー・小松原学」の挑戦

「中田英寿の次に海外へ行くのはこの男」と評されたストライカー

「当時は睡眠時間は2~3時間でした」

とどまらない小松原の野心

常人なら苦労して開いた鍼灸整骨院を軌道に乗せることだけに集中するものだが、小松原の野心はそこだけにとどまらなかった。整骨院開業前、まだ学生だった2010年に「Jeoサッカークリニック」というスクールをいち早く立ち上げ、邑楽町の1400坪もある雑木林をグランドにすべく、自ら動いたのである。

「サッカー指導に関しては最初は考えていなかったんですけど、アルバイトで手伝っていた館林のスクールがとん挫したので、子供たちを引き取って教えようと思ったのが始まりです。

そのためにはグランドがないと難しい。邑楽のちょうどいい場所があったので、地主のおばあさんに頼み込んで承諾を取り付け、木を伐根して土を慣らす作業からひとつひとつやりましたね。途中で重機を借りることができ、2011年からは使えるようにもなりました」

鍼灸整骨院とサッカースクールの二足の草鞋を履くようになった小松原。2014年にはNPO法人「ラファーガC.F.」を設立し、スクール名を改名し、小中学生70~80人が常時活動する組織を整えた。専任コーチも採用し、彼自身もJFA公認指導者ライセンスを取得を進め、今では最高峰のS級の下に当たるA級ジェネラルまで上り詰め、フィジカルコーチC級まで取ったという。

アグレッシブな男はそれに飽きたらず、超難関資格であるアスレティッククトレーナー(AT)の資格を取ろうと一念発起した。コロナ禍の2年間は東京・渋谷の学校に朝一番で通って授業を受け、午後に群馬に戻って診療、サッカー指導をするという超多忙な生活を送った。そして念願のATも合格。あらゆる角度から診療ができる体制を整えたのである。

猪突猛進ともいえる勢いで突き進む小松原だが、そんな彼にも悩みがあるという。

*小松原学さんの日々の活動はInstagramでも更新されています。

詳しくは後編記事『「『元Jリーガー』は引退後もサッカーにしがみついていたら難しい」…がむしゃらに突き進む「小松原学」の現役引退後の「多忙な毎日」』でお伝えする。

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