「お酒に逃げた」25歳で引退した堂安律の“元相棒”が初告白…“遠藤保仁の後継者”と呼ばれた天才パサーの後悔「なんであんな行動したんやろ」

NumberWebで展開中の「消えた天才」特集。本稿では、将来を期待されながら25歳で引退した元U-20日本代表MF市丸瑞希の今に迫ります。〈全3回の1回目〉

兵庫県川西市、とあるサッカー場。住宅に囲まれた、どこの街にもあるような土のグラウンドは高台だからか3月上旬でも余計に肌寒く感じる。

「寒い中、お待たせしてすみません」

ジャージ姿の男性は軽自動車の後部座席から子どもたちを降ろすと、すぐにこちらを気遣った。見覚えがあった。かつて、ガンバ大阪でプレーしていた市丸瑞希だ。

一つ年下の堂安律らと共に将来を嘱望される存在としてユース時代から頭角を現し、視野の広さとセンス溢れるパス力で「遠藤保仁の後継者」と高く評価された。2017年にはU-20W杯に出場し、堂安や冨安健洋、久保建英らと日の丸を背負っている。

しかし、その後はプロの壁に阻まれ、J1リーグの通算出場試合はわずか「5」。期限付き移籍したFC岐阜、FC琉球でも芽が出ず、最後は25歳の時に関東1部リーグ・VONDS市原でひっそりとスパイクを脱いでいる。輝かしい時代があっただけに、天才司令塔の早すぎる引退はプロの厳しさを物語る絶好のケースとなってしまった。

「瑞希のパスは強烈なメッセージがある」

市丸がガンバ大阪のトップチーム昇格を果たしたのは2016年。すでに高校時代から2種登録され、ナビスコカップではベンチ入りも経験していた。だが、ルーキーイヤーのJ1デビューはお預けとなり、市丸の主戦場は同年から発足したG大阪U-23だった。ここで、飛び級で同期昇格となった堂安と息のあった連係を見せる。

「律が欲しいタイミングと、僕の出したいタイミングがずっと一致していた。最高の相棒でしたし、当時は『俺が律を一番輝かせることができる存在だ』と思っていましたね」

2人のコンビネーションは世代別日本代表でも威力を発揮し、同年のAFC U-19選手権や前述した翌年5月のU-20W杯でも光った。特に印象的だったのはU-20W杯のグループステージ突破を決めたイタリア戦。堂安の貴重な同点弾を鮮やかなパスでアシストしたのが市丸だった。

「瑞希のパスはいつも強烈なメッセージがある。あのゴールは完全に瑞希のパスによって引き出された。天才ですよ、彼は」(堂安)

しかし、市丸が堂安と一緒に公式戦に出場したのは、この大会が最後となった。

「日本のメッシ」と世界から注目を集めた堂安は、この大会直後にオランダのフローニンゲンへ移籍。同シーズンで市丸が出番を掴んだのはスタメン出場した8月のJ1第22節ジュビロ磐田戦のみだった。さらにU-20日本代表で一緒にプレーをしていた冨安や久保、板倉滉、中山雄太らも続々と海を渡った。順調に階段を登る仲間たちを尻目に、市丸は俯きはじめる。

「ずっと、俺はもっとできるのに、周りはなんでこんな評価してくれへんのやろなと思っていました」

ベンチを温めるのは良いほうで、ベンチ外になる日も増えた。スタンドから試合を見つめていても、原因の矛先は自分ではなく周りに向けていた。

「守備が課題と指摘されていたのですが、自分の中では『攻撃で違いを見せたらいいやろ』と思っていた。試合を見ていても味方に対して『なんでそこに(パスを)出さへんねん』『俺やったら絶対にこのタイミングで出していた』と思っていましたし、その度に『俺を使ったら、チームを勝たせられるのにな』とも思っていました」

今ならわかる「ヤットさんの守備」との違い

それでも、前向きにサッカーに向き合っていられたのは、目標としていた遠藤保仁の存在があったからだ。

「(練習で敵として対峙したとき)ヤットさんは僕がパスを出したい場所に必ず立っていたんです。だから、いつもプレーをキャンセルせざるを得ない。僕もヤットさんのように、自分でボールを奪えなくても、他の選手がボールを奪えるようにするためにポジションをとることは意識していました。

でも、ヤットさんの守備は評価されるのに、僕の守備はいつまで経っても評価されない。今、思えばヤットさんはかなりハードワークしていたんです。そこには気づかずに『なんでやねん』と不貞腐れていて」

プロ3年目の2018年、若手起用に積極的なレヴィー・クルピの目に留まった市丸は、開幕スタメンを飾り、パナソニックスタジアム吹田のピッチに立つ。そこから4試合連続で先発出場し、いよいよレギュラー定着の気配も漂った。そう思ったのも束の間、第4節の柏レイソル戦で前半31分に交代を告げられた。負傷交代ではあったが、市丸にとってこれがJ1リーグでのラストゲームになった。

以降は、スタメンどころかベンチからもはずれ、再びU-23チームでの出場が増えた。ここで踏ん張れば良かったのだが、当時21歳の市丸には受け入れる器はなかった。

「なんで評価されへんねんって。今、思うと、なんであんな行動をしてしまったんやろ……と思います」

理想と乖離する現実を受け止めきれなかった市丸は、この頃からお酒に頼るようになった。覚えたてのお酒はオフに嗜む程度だったはずだが、絶望感と焦燥感に支配されていたのだろう。誘惑に負けるサッカー選手に神様は微笑まない。そこから、市丸は坂道を転がり落ちていった。

(#2へ続く)

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