“J3降格”の古巣監督就任「今こそ恩返しをする」森保一とミシャ、西野朗や長谷川健太に学び…“有能説”の中で片野坂知宏が挑んだトリニータ再建
優勝、残留、降格、解任……Jリーグクラブをめぐる歓喜と悲哀は今シーズンも各カテゴリで起きた。その現場に直面する監督は、どのように選手との関係をはぐくみ、決断を思考しているのか――『サッカー監督の決断と采配-傷だらけの名将たち』(エクスナレッジ)から、来季から大分トリニータ監督に再就任する片野坂知宏の項の一部を転載してご紹介します。(全2回の1回目/#2につづく)
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2015年晩秋、トリニータからの監督就任オファーを前に、片野坂は逡巡していた。
当時、トリニータはJ2で激しい残留争いの真っ最中。外から見ているかぎり戦力は十分に揃っており、現在の順位が妥当とは思えない。だが、どんなに戦力が充実していても、ひとたびボタンを掛け違えれば何が起きるかわからないのがチームというものだ。おそらくいまのトリニータもそんな状態なのだろう。ここでJ2に踏みとどまれるか、それともJ3に転落してしまうか。その瀬戸際を、チームは危なっかしく揺れ動いているようだった。
ガンバのU-23チーム監督の就任が内定していたが
この時点ですでに、片野坂は当時トップチームのヘッドコーチを務めていたガンバ大阪で、来季発足するU-23チームの監督への就任が内定していた。ガンバと言えばJリーグ屈指のビッグクラブ。ビッグスポンサーの支援をバックに潤沢な予算に恵まれ、外国籍選手や日本代表級のプレーヤーも多く擁して、毎年のようにJ1の上位争いに食い込んでいる。
実際に片野坂もコーチやヘッドコーチとして、リーグ戦やカップ戦でいくつものタイトルを獲得してきた。U-23監督として好結果を残せば、自ずといずれトップチーム監督への道も拓けてくる。
とはいえU-23チーム。いくら監督とは言ってもトップチームの戦術を踏襲することになる。この2年間、ヘッドコーチとして支えてきた長谷川健太監督のことは敬愛してやまないが、指導者としての道を歩みはじめてちょうど10年、自分の中にも確固たるサッカー哲学が輪郭を成しつつあると、片野坂は感じていた。
西野、ミシャ、森保からの学びが血肉に
2007年から3シーズンはガンバでサテライトチームの監督を兼任しながら、コーチとして西野朗監督に。2010年に移籍したサンフレッチェ広島では、やはりコーチとして最初の2シーズンをミハイロ・ペトロヴィッチ監督に、もう2シーズンを森保一監督に。
再び戻ったガンバでの長谷川監督の右腕としての仕事も含め、4人の名将から学び自らの中で咀嚼したものが、徐々に吸収され血肉になってきた体感がある。
トリニータに行けば完全にチームを任され、自らの判断に基づいて、その哲学を思う存分ぶつけることが出来る。その魅力は、なんとも抗い難いものに感じられた。
一方で、もしもチームがJ3に降格すれば、来季は絶対に1年でのJ2復帰をノルマとして課せられるはずだ。そのノルマを達成できなかったときのことを想像すると、やはり体がすくむ。どのような戦力が揃うかの見通しも立たない状況でそれを引き受けることは、あまりにリスキーだった。
これは僕の知っているトリニータではない
迷いながら見ていると、完全に負のスパイラルにハマっているトリニータは無残に敗れ続ける。
これは僕の知っているトリニータではない、と片野坂は胸を痛めた。
かつては片野坂自身、トリニータの選手としてピッチに立った時期がある。初めて移籍加入した2000年は石﨑信弘監督の下、キャプテンを務めながら公式戦6試合に出たのみで8月にガンバへと移籍してしまったが、2002年のベガルタ仙台での1シーズンも経て、2003年、もう一度トリニータに戻った。怪我もあって出場したのは11試合のみだったが、小林伸二監督からも厚い信頼を得る。
そのシーズンかぎりで現役を引退してからはクラブに残り、最初の2年間は強化部スカウトとして働いた。3年目にU-15のコーチになったのが、片野坂の指導者人生のスタートラインだ。その年のうちに早速、S級ライセンスを取得。指導者になりたてでこれは異例の早さで、クラブからの期待の大きさも感じられたのだが、その翌年、片野坂はトップチームのコーチにステップアップするかたちでガンバへと籍を移したのだった。
J3降格も〈J1で戦えるところまで引き上げよう〉
S級ライセンスを取らせてもらった恩義をいまだ返さずにいることも、ずっと気がかりでいた。いま、ボロボロになっているトリニータを立て直しに行くことは、自分の使命なのではないか。 深い逡巡の果てに、片野坂は来季のカテゴリーがJ2とJ3のどちらになってでも、監督就任のオファーを受けようと決意を固めた。 2015年のJ2リーグを4連敗フィニッシュして21位となったトリニータは町田ゼルビアとのJ2・J3入れ替え戦に臨むと、片野坂が息を詰めて見守る中、アウェイでもホームでも敢えなく敗れ、力尽きたようにJ3へと転がり落ちた。 J1経験クラブの中でJリーグ史上初めて、J3で戦うことになったトリニータ。それをもう一度、かつてのようにJ1で戦えるところまで引き上げようと、片野坂は自らに固く誓った。
「いまこそ恩返しをするときだと思っています」
「古巣の危機を救いに来ました。いまこそ恩返しをするときだと思っています」 2016年1月、新体制発表会見で就任の挨拶をしたときのことは、いまでもはっきりと思い出せる。
ガンバが天皇杯を決勝まで勝ち上がったためトリニータ監督就任の発表がずれ込み、新指揮官内定の噂ばかりが広まる中でファンやサポーターがやきもきしていたぶん、発表時の反響は大きかった。
J1では残留争いを繰り返し、2度のJ2降格を経験したトリニータのサポーターたちにとっても、J3降格という初めての事態はディープインパクト。当時の社長と監督が退任して先が見えず、予算規模縮小や戦力流出の様相に脅え、おそらく何人もの候補者から指揮官就任を断られたに違いないともっともらしい憶測も飛び交う中で、ただ祈るようにそのときを待っていたのだ。
ガンバやサンフレッチェでコーチとして在籍したシーズンに多くのタイトルを獲得していることで、Jリーグファンの間では「片野坂有能説」が広まっている。そこにすべての希望を託す勢いで歓迎してくれるトリニータサポーターたちを前に、初めて自分のチームを持つ新人指揮官は、身を引き締めた。
あの日から6年。
初陣での勝利は忘れない。開幕はホームでのAC長野パルセイロ戦だった。 <後編に続く>