なぜ「毎年のように主力が流出してきた」東京Vが16年ぶりのJ1昇格を果たすことができたのか?
J1昇格プレーオフ決勝が2日、東京・国立競技場で行われ、J2・3位の東京ヴェルディが1-1で同4位の清水エスパルスと引き分け、規定によりリーグ戦上位のヴェルディが16年ぶりのJ1昇格を決めた。後半18分にPKで先制されたヴェルディは、試合終了間際にFW染野唯月(22)が自ら獲得したPKを決める劇的な展開で追いついた。2008シーズンに再降格して以来、スポンサーの撤退や経営難に直面し、毎年のように主力を引き抜かれてきた黎明期の名門はなぜ復活を遂げたのか。
5万人を超える国立で劇的なアディショナルTでの同点PK
最後の最後にドラマが待っていた。
清水が1点をリードしたまま、8分の後半アディショナルタイムが4分を過ぎた直後だった。ヴェルディのDF谷口栄斗(24)が自陣の右タッチライン際でボールを奪い、パスを受けたMF中原輝(27)が振り向きざまに前線へロングボールを送る。
最終ラインの裏へ抜け出そうとしていた染野の足もとに、ゆるやかな軌道を描いたパスがピタリと落ちる。すかさず発動されるカウンター。ペナルティーエリア内の右側へ突進していく染野を、清水のセンターバック、高橋祐治(30)が必死に追走する。
次の瞬間、高橋が選択したのは禁断のスライディングタックルだった。
後半38分に交代し、ベンチで勝利を祈っていた元日本代表MF乾貴士(35)が「祐治(高橋)もわかっていると思うけど」と断りを入れながらこう続けた。
「きついことを言うけど、まず滑る必要はなかった」
ゴール前にヴェルディの選手は誰もいなかった。ゆえに染野を無理に止める必要もなく、プレーを遅らせるか、あるいはペナルティーエリアの外へ追いやる守備で十分だった。しかし、リスクをはらむタックルの代償は、池内明彦主審の笛とともに支払われた。
染野を倒した高橋のプレーがファウルと判定され、ヴェルディがPKを獲得する。VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)との交信をへても判定は変わらない。この時点で「自分が蹴る」とばかりに、染野はボールを抱え込んで離さなかった。
「あの場面で蹴らなかったら、フォワードとして気持ちよくなかった。正直、いままでで一番緊張したけど、最後は自分で点を取りたい気持ちが強かったので」
失敗したら、という恐怖心をストライカーの矜持が上回った。染野が選んだコースは右隅。利き足の右足から放たれた強烈な弾道は、コースを読み切った清水GK大久保択生(34)が必死に伸ばした右手の先をかすめ、ゴールネットに突き刺さった。
1-1のまま試合が終われば、規定によりJ2リーグで上位のヴェルディに軍配が上がる。実に16年ぶりとなるJ1復帰。待ち焦がれた笛が鳴り響いたのは、後半55分を回った直後だった。ベンチ前でひざまずき、両拳を握りしめ、雄叫びをあげながら感情を解き放った城福浩監督(62)は、試合後の公式会見では一転して冷静にこうコメントした。
「春先にわれわれが『昇格する』と話したら、本気で聞いてくれるメディアの方はおそらく一人もいなかったと思います。そういう意地もありました」
昨シーズンは9位だったから無理もない。しかし、ヴェルディにとっては4年ぶりのひと桁順位であり、何よりもドラマの序章は昨年6月に幕を開けていた。
FC東京の監督を2度務め、ヴァンフォーレ甲府やサンフレッチェ広島、年代別の日本代表も率いた経験を持つ城福監督の就任。2021シーズンのオフにもオファーを受けた指揮官は、一度は断りを入れている。「自分がヴェルディに行けるわけがない」と。
ヴェルディとFC東京は、ともにホームタウンを東京に置くライバル関係にある。そして、FC東京色が極めて強い自分は、とてもじゃないが歓迎されない。こう考えていた城福監督は、再び届いたラブコールに心を動かされ、そして覚悟を決めた。
「結果を出さなければ、おそらく『あそこ(FC東京)から来たからだろう』と言われると覚悟していた。しかし、このクラブがJ1に上がれば、必ずJリーグも盛り上がる。それに寄与できると思ったし、何にもましてヴェルディですから。このクラブがもう一度日本一を争えるようになれば、こんなに素敵なストーリーはないと思ったからです」
富士通サッカー部(現川崎フロンターレ)を28歳で引退した後は、しばらく社業に専念していた城福氏は30年前の1993年に、業務命令で同部コーチに就く形でサッカー界に戻った。ちょうどJリーグが産声をあげた年であり、カズ(三浦知良)らラモス瑠偉、武田修宏、北澤豪らのスターを擁するヴェルディ川崎が華やかなスポットライトを浴びていた。
日本サッカー界の悲願だったプロ時代をけん引したヴェルディは、1993、94シーズンとリーグ戦を連覇。ヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)は1992シーズンから3連覇し、1996シーズンには天皇杯も制して黄金時代を築いた。
しかし、1998シーズン後に読売新聞社とよみうりランドが経営から撤退。
2001シーズンからはホームタウンを東京都に移し、味の素スタジアムを本拠地にするも低迷が続き、2005シーズンには初めてJ2へ降格。2008シーズンにJ1復帰を果たしたが1年で再降格。以後はJ2から抜け出せず、2014シーズンは20位、2016シーズンには18位に低迷した。
その間の2009年9月には日本テレビまでが経営から撤退。翌2010年には経営危機に直面し、一時はJリーグが運営した時期もあった。同年からメインスポンサーを務めてきたゼビオホールディングスが2020年の年末に出資比率をアップ。ヴェルディが同社の連結子会社となるともにフロントが一新され、いま現在に至っている。
しかし、経営体制が変わっても、編成や補強を含めた運転資金が潤沢にあるわけではない。むしろその逆で、J2全体でも中位程度の規模で推移してきた。城福監督も清水戦後の会見で「去年の冬の移籍獲得合戦から正直、全戦全敗だった」と明かす。
新戦力の補強で後塵を拝しただけではない。金の卵を輩出してきた伝統のアカデミーは健在ながら、主力として一本立ちするやいなや他のクラブに引き抜かれるケースが相次いだ。クラブ側も生え抜きの若手選手を放出して得られる移籍金を補強資金にあててきた。指揮官は清水戦後に「このチームは毎年主力が流出する」とも語っている。
城福監督が就任した昨年6月以降も、夏場にパリ五輪世代のMF山本理仁(21、現シントトロイデン)らがガンバ大阪へ移籍。オフにはDF馬場晴也(22、現北海道コンサドーレ札幌)、FW佐藤凌我(24、現アビスパ福岡)らの主力が新天地へ移った。
チームを取り巻く状況が変わらないなかで、城福監督は就任当初に描いた、ヴェルディを根本的に立て直すための処方箋を実践し続けた。指揮官は端的にこう表現する。
「ハイラインを保ち、相手陣内でボールを動かす。ボールを奪われたら人数をかけて即時奪回する。これらをどのようにしていくのかだけにフォーカスしてやってきた」
再び選手の引き抜きに直面しようとも、大きな影響を受けにくい戦い方と言えばいいだろうか。9位に終わった昨シーズンも、終盤戦は6連勝でフィニッシュ。総失点は2021シーズンの66から55に減らすなど、改革の効果は確実に芽を出し始めていた。
迎えた今シーズン。戦い方をより先鋭化させたヴェルディはJ2リーグ最少の31失点と、堅守を武器とするチームに変貌を遂げる。ともに夏場に期限付き移籍で加入した染野(前鹿島アントラーズ)がチーム最多の6ゴール、中原(前セレッソ大阪)が2位の5ゴールをマークするなど、ピンポイントの効果的な補強で得点力不足を補った。
リーグ戦は2位で自動昇格したジュビロ磐田と勝ち点75で並びながら、得失点差でわずかに及ばない3位だった。順位の上でアドバンテージを持って臨んだJ1昇格プレーオフでも、準決勝でジェフ千葉を2-1でまず撃破。リーグ戦で1-2、0-1と2戦2敗だった清水にも、5万3264人で埋まった国立競技場でしっかりと借りを返した。
後半18分に喫した先制点もPKだった。計り知れないほど大きな重圧を感じていたのだろう。競り合いでボールを自身の手に当て、PKを献上したキャプテン、MF森田晃樹(23)は試合終了の瞬間からピッチに仰向けになって号泣した。
「彼(森田)も冬に大きな選択を迫られた。ただ、彼は残る決断をした。この1年、一緒にもがいてきた最後に、彼と昇格を勝ち取れた喜びは言葉では説明できない」
小学生年代のジュニアからヴェルディひと筋でプレーし、今シーズンから新キャプテンに指名した森田への思いを問われた城福監督はこんな言葉を残しながら、一方で東京都に3つのクラブが集う来シーズンの戦いへ向けて、早くも気持ちを新たにしている。
「とにもかくにも、目指すところへ進み続けないとエレベータークラブになってしまう。それぐらい、われわれのいまの予算規模を考えれば楽観視はできない」
目指すところとは、ハイライン&ハイプレスをベースにすえたポゼッションサッカーのJ1バージョン化に他ならない。期限付き移籍選手たちの所属クラブとの交渉。外国人を含めた新戦力の獲得。経営面では新たなスポンサーの獲得も急務だ。16年ぶりの悲願達成は通過点。生まれ変わったヴェルディは、夢のその先へすでに走り始めている。
(文責・藤江直人/スポーツライター)