U-17世代に関わって10年、“ゴリさん”が伝えたかったこと。種まきに徹して畑を耕す。その功績は計り知れない【森山ジャパン総括】
“死の組”を勝点6の3位で突破
「1年遅れでアジアの戦いを経験して、選手たちはまだまだ。個人としてもグループとしても甘さたっぷり」
【PHOTO】キャプテン小杉啓太や名和田我空、佐藤龍之介らが絶妙ポージング!W杯を戦うU-17日本代表メンバーを公式ポートレートで一挙紹介!
昨年10月、U-17日本代表の森山佳郎監督はU-17アジアカップ予選(U-17ワールドカップの1次予選)を戦う選手たちに、厳しくも愛のある言葉で現時点での力を評していた。
この世代からレギュレーションが変更となり、U-15年代で行なっていたU-17W杯のアジア1次予選は、1年後ろ倒しに。最終予選(U-17アジア杯)は8か月ほど遅れ、W杯と同じ年の6月に開催された。
さらにこの世代は、2020年3月頃から大流行した新型コロナウイルスの影響で、中学2年生から3年生にかけて強化の場を失っている。U-15代表でもクラブでも海外遠征の機会が減少。経験値は不足し、今までのチームと比べて精神的にも肉体的にも、どうしても物足りなさは否めない。
本当に世界で戦えるのか。そんな不安を覚えずにはいられなかった。
だが、U-17アジア杯予選から1年ちょっと。「どことやっても戦えるんだ。そういう自信を彼らは得たはず。それをもってすれば、成長速度を変えてくれるんじゃないかな」。指揮官が目を細めるほど、選手たちはひと回りもふた回りも成長し、見違えるように逞しくなった。
何度倒れても前に進む。壁に当たっても乗り越える。その繰り返しが彼らを強くした。かのマハトマ・ガンジーもこんな名言を残している。 「人は何度でも立ち上がる。立ち上がっては倒れ、立ち上がっては倒れ、その足もとはおぼつかないかもしれない。けれども、立ち上がったことは、一生忘れることのない、かけがえのない記憶となる」
U-17W杯に臨んだ若き日本代表は、ベスト16で敗退した。グループステージではポーランド、アルゼンチン、セネガルといった強豪国とタフに戦い、“死の組”を勝点6の3位で突破。11月20日に行なわれたラウンド16では、中2日の連戦という過酷な日程で戦うことを余儀なくされ、中3日のスペインに1-2で敗れた。それでも、彼らが辿った足跡は胸を張れる。
“心”や“気持ち”を植えつけてきた
ポーランドは大会直前に4名が不適切な行為で離脱したとはいえ、その攻撃力はアジアで味わえないレベル。それでも真っ向からやり合い、立ち上がりの不安定さを乗り越えて1-0で勝利した。開始8分で2失点を喫したアルゼンチン戦では、世界トップクラスの強度と出力を体感。1-3で敗れたものの、後半のパフォーマンスは称賛に値した。
「フィジカルお化けで、まったく身体能力が違う。時速35キロのスピードを出すような選手もいた」(森山監督)というセネガルは、言うなれば“未知”の相手で、アフリカ特有のバネとしなやかさは滅多にお目にかかれない代物。
ミドルレンジから放たれるシュートもパンチ力があり、打たれるごとに圧力を感じさせられた。それでも耐え凌ぎ、2-0で勝利してノックアウトステージ進出を決めた。
最後に戦ったスペインは、一つひとつのプレーに無駄がなく、戦術の練度も世界でトップクラス。個々のスキルも洗練されており、“サッカーを知っている”選手がズラリと揃っていた。そんな相手に心を折られ、それでも立ち向かい、食い下がった。
スペイン、アルゼンチンには敗れたが、その経験は選手たちにとって強烈な記憶として残っている。
そうした経験はW杯でしか味わえない。だが、強豪国と対戦すれば良いというわけでもない。学ぶ姿勢がなければ、その価値は薄れてしまうからだ。だからこそ、森山監督は“心”や“気持ち”を選手に植えつけてきた。
今年の初めまで代表に関わっていなかったFW高岡怜颯(日章学園)が、グループステージの3試合で4得点と目覚ましい結果を残せたのも、指揮官の教えがあったからこそだ。
サッカー選手として、どんな心構えが必要なのか。もっと言えば、人としてどうあるべきか。森山監督は、まだまだ未熟で幼い選手たちと膝を突き合わせ、日本の次世代を担う若者の未来を一緒に作り上げてきた。
今大会でもそうした姿勢は随所に見られ、1対1で対話する場面が何度もあった。たとえば、初戦で途中交代したFW名和田我空(神村学園)を2、3戦目で起用しなかったが、その理由を明確に伝えた。
「3戦目に誰を使うか考えた時に、『お前ではなかった』という話はした。『その理由は自分で感じないといけない』という話もしてね。ラウンド16で使うと決めた時には、『お前で行くからなと。気持ちの準備をしておけ』と一言だけ言った」
U-17アジア杯でMVPと得点王を獲得した主力選手を外す決断は簡単ではない。強度不足を露呈した初戦のパフォーマンスを見て判断したが、その後のフォローは手厚く行なった。そして、スペイン戦。名和田は先発起用に応え、一時は同点に追いつくゴールを奪った。
「種まきをして、ここから去れたとは思う」
MF矢田龍之介(清水ユース)に対しても同様。初戦で出場機会を得られず、2戦目も7分間の出場に止まったボランチとも個別で話す場を設けている。2戦目の試合前日と翌日に長めに話し、現状を整理しつつ必要なことを伝えた。
自信がなければ、自信を得られる環境を作る。サッカーを知らなければ、サッカーを教える。勝負の厳しさが分からなければ、勝負の厳しさを味わえる場を作る。
そうした細やかな指導が森山監督の真骨頂。時には厳しい言葉も投げかけ、必要な時に手を差し伸べてきた。
ピッチ外でもそれは変わらない。サッカー選手として戦うための心構えを説き、日本の環境がいかに恵まれているかを伝えてきた。この先、厳しい環境で戦うことを余儀なくされ、衛生面で苦しむ局面はいくらでも訪れる。そうした経験も必要だと話し、解決策を提示してきた。
最たる例が、タイで行なわれたU-17アジア杯。東南アジア特有の問題に悩まされ、お腹を壊す選手が続出。まともな状況で試合に臨めなかったが、そうした経験が今回のW杯でも生きた。
バリ島で行なった直前合宿の終盤に数名の選手が同じ症状を訴えたが、ほとんどの選手がタイでの経験を活かして事なきを得ている。歯を磨く際もミネラルウォーターで口をすすぐなど、徹底した衛生管理で戸惑わずに大会開幕を迎えられた。
世界の舞台ではまたしても壁に阻まれ、3大会連続でラウンド16敗退に終わった。もっとも、得たものは決して小さくない。
「やれるという手応えを植えつけられたかなと。種まきをして、ここから去れたとは思う。ただ、栄養を与えて、肥料とか水をあげて育てるのは自分自身でしかない。この悔しさをワールドカップでしか晴らせないというところで、自分で掴むまで成長してほしい」
右も左も分からなかった選手たちに一から関わり、世界で戦う術を伝えた。目標としていた「ファイナリスト」にはなれなかったが、勇気を持って戦えば強豪国と互角に渡り合える――その自信を選手に植えつけた。
中2日の連戦に耐える強度や選手層の厚さなど、解決できなかった課題はある。だとしても、現在地と世界の基準を真剣勝負の場で知ることができたのは、選手にとって財産だ。
久保や菅原、彩艶、半田も
2013年にJFAに入り、U-17世代の選手たちと関わり始めて10年。森山監督は“種をまく”人に徹し、“種をまく”ために畑を耕してきた。そして、多くの芽を息吹かせてきた。
今回のメンバーだけではなく、2017年大会や2019年大会に参加した選手たちにも同じアプローチで指導。実際にU-17世代の活動を経て、A代表に活躍の場を移した選手はひとりやふたりではない。
2017年大会組ではMF久保建英(レアル・ソシエダ)、FW中村敬斗(スタッド・ドゥ・ランス)、菅原由勢(AZ)、GK谷晃生(デンデル)、2019年大会組ではGK鈴木彩艶、MF藤田譲瑠チマ(ともにシント=トロイデン)、DF半田陸(G大阪)がA代表に名を連ねる。
コーチとして関わった世代でも、DF冨安健洋(アーセナル)やMF田中碧(デュッセルドルフ)、MF堂安律(フライブルク)らが飛躍するなど、携わった選手たちを挙げれば枚挙にいとまがない。
「五輪やワールドカップに選手を輩出できた。ハートを持った子たちが上がっていってくれた。ピッチの中だけじゃなくて、サッカーだけではなくてね。しっかり感謝の気持ちを持って、向上心を持って、上を目ざしていけるような選手が増えてきた」
森山監督とともに歩んだ10年間は日本サッカー界にとって、かけがえのないものだ。
「気持ちには引力がある」。指揮官が大切にしている言葉の通り、自らがその姿勢を示して選手に向き合ってきた。教え子たちも森山監督を慕い、愛称である“ゴリさん”の名前を今でも口にする。
今年3月に初めてA代表に招集された半田も、次のように言っていた。 「ゴリさんにはサッカーに対しての熱量とか、向き合い方を伝えてもらった。根本的な部分だけど、そこは熱く教えていただきました」
森山監督は大会後に退任を示唆したが、その功績は計り知れない。 世界一という結果は出せなかったとしても、“ゴリさん”の教えは日本サッカーにとって財産になる。
後進がそれを受け継いで、次はどんな芽が息吹くのか。肥えた土壌の作り方や種を撒くタイミングを伝えてきたつもりだ。森山監督が作り上げたものをベースに、もう一度立ち上がれれば、今回のラウンド16は決して無駄ではない。